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2016.09.01 (Thu)

【マザー・テレサ】
20Cカトリック教会の修道女。本名アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ。1929年インドに赴きカルカッタで貧民のための活動を開始。50年修道会「神の愛の宣教者会」を創立し「死を待つ人々の家」を設立。60年代以降活動は世界規模に拡大していく。79年ノーベル平和賞。

【マリリン・モンロー】
20C米国の映画女優。官能的な肉体美で1950年代のセックス・シンボルとなる。奔放で不安定な私生活でも知られ、54年プロ野球選手のジョー・ディマジオと、56年には劇作家のアーサー・ミラーと結婚。ジョン・F・ケネディ大統領とも関係。62年自宅で不審な死。

【セルゲイ・プロコフィエフ】
20Cソ連の作曲家。バレエ組曲「ロメオとジュリエット」など多数の傑作を残す。ロシア革命後約20年間海外で生活するが、1936年の帰国後は自由を奪われ、48年ジダーノフ批判の対象となり、妻リーナは強制収容される。ヨシフ・スターリンと同日に死去。

【パウル・ヒンデミット】
20Cドイツの作曲家。ロマン主義を嫌い、ノイエ・ザッハリヒカイト(新即物主義)と呼ばれた。代表作はドイツ農民戦争を描いたオペラ「画家マティス」と同名の交響曲。ナチス政権下で「退廃音楽」として弾圧を受け、指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが擁護した。

【ダリウス・ミヨー】
20Cフランスの作曲家。フランス6人組の一人。ユダヤ人。ブラジルでラテン音楽を、米国でジャズを吸収。印象主義を嫌い新古典主義的を推進。多種多様な作品を残したが、ピアノ組曲「スカラムーシュ」がよく知られる。小児麻痺による身体障害のため車いすを使用していた。

【モーリス・ラヴェル】
19C末-20C前フランスの作曲家。バスク人。「オーケストレーションの天才」。代表作はディエゴ・ベラスケスの絵から着想した「亡き王女のためのパヴァーヌ」やバレエ音楽「ボレロ」など。モデスト・ムソルグスキーのピアノ組曲「展覧会の絵」のオーケストラ編曲も有名。

【ジャコモ・プッチーニ】
19C後-20C前イタリアの作曲家。大衆的なメロドラマ・オペラで知られる。代表作は貧しい芸術家たちの青春を描く「ラ・ボエーム」、画家と歌手の悲恋「トスカ」、長崎を舞台にした藩士令嬢と米海軍士官の悲恋「蝶々夫人」。「トゥーランドット」は遺作となった。

【ル・コルビュジエ】
20Cフランスの建築家。スイス出身。「住宅は住むための機械である」としてモダニズム建築を推進。鉄筋コンクリートの平滑な壁面、ピロティ、屋上庭園が特徴。超高層ビルと空地による都市計画を提唱。代表作は「サヴォワ邸」「ユニテ・ダビタシオン」「国立西洋美術館」など。

【アルフォンス・ミュシャ】
19C後-20C初チェコの画家。アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナー。1890年代女優サラ・ベルナールのポスターで成功。女性と繊細な装飾の組み合わせが特徴。1910-30年20点の連作絵画「スラヴ叙事詩」を制作。39年ナチス占領下に死去。

【モーリス・ユトリロ】
20Cフランスの画家。アルコール依存症治療の一環として始めた描画が評価された。歌酒場ラパン・アジルやサクレ・クール寺院などパリのモンマルトルの風景を好んで描いたが、人影がないのが特徴。白にこだわり、絵の具に漆喰や石膏を混ぜて風合いを出した。

【マリー・ローランサン】♀
20Cフランスの画家。「狂騒の20年代」を体現した画家とされる。淡い色調と人形のようなリリカルな少女画が特徴。代表作は「三人の少女」など。ココ・シャネルの肖像画も残る。詩人ギヨーム・アポリネールとの恋愛でも知られる。堀口大學とも親交。

【アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック】
19C後-20C初フランスの画家。パリでダンスホールや酒場に入り浸り、娼婦を好んで題材にした。代表作は「ムーラン・ルージュにて」など。ポスターのデザインでも知られる。少年期に大腿骨を骨折して脚の成長が止まった身体障害者であった。

【ジョルジュ・ルオー】
19C末-20Cフランスの画家。野獣派。ステンドグラス職人の経験があり、黒く太い輪郭線と厚塗りの色彩美による骨太の作風が特徴。代表作はパリ郊外の幼子を連れた貧しい母親をキリストの姿に描いた「郊外のキリスト」など。日本で特に人気があり、白樺派が共感を示した。

【ジョルジュ・ブラック】
20Cフランスの画家。パブロ・ピカソと並ぶキュビスムの創始者。工場町レスタックの風景を巨大な立方体群によって表現した「レスタックの風景」は、キュビスムという名称の由来となった。第一次世界大戦後はキュビズムと決別し独自の道を歩んだ。楽器を好んで描いた。

【エドヴァルド・ムンク】
19C後-20C前ノルウェーの画家。幼少期に母と姉を結核で失う。死への不安や孤独、嫉妬、狂気などの感情を極度にデフォルメされた人物に描く表現主義的な画風。実際に体験した幻覚を描いた「叫び」が最もよく知られる。他に多感で不安定な少女のヌード「思春期」など。

【ウォルター・リップマン】
20C米国のジャーナリスト。47年著書のタイトルに「冷戦」の語を使用したためそれが定着した。ベトナム戦争に反対し、リンドン・ジョンソン政権と論争(リップマン戦争)。主著は「世論」。人々が認識しているのは様々なバイアスのかかった疑似環境であるとした。

【マーシャル・マクルーハン】
20Cはカナダ出身の文明批評家。斬新なメディア論で知られ「メディアはメッセージである」と主張。メディアの発達が「地球村」を作り出すと予言。62年「グーテンベルクの銀河系」で活字文化が抑圧していた人間性をメディアが解放するとし、活字文化を批判した。

【ノーマン・メイラー】
20C-21C初米国のノンフィクション作家。1944年陸軍に入隊しレイテ島の戦いとルソン島の戦いに従軍。この体験を下に48年代表作「裸者と死者」を刊行。58年映画化。他に「なぜぼくらはヴェトナムへ行くのか?」「夜の軍隊」「マリリン―性と愛の神話」など。

【イアン・フレミング】
20C英国の冒険小説家。第二次世界大戦中は軍の諜報員としてスペインの参戦を阻止する「ゴールデンアイ作戦」を指揮。1953年の「カジノ・ロワイヤル」を皮切りにスパイ小説「ジェームズ・ボンド(エージェント007)」シリーズを執筆。シリーズは62年以降映画化。

【ホルヘ・ルイス・ボルヘス】
20Cアルゼンチンの作家。簡潔な文章で異常な世界を描く短編が特徴。代表作は架空の世界が現実に侵食する「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」、すべての本を所蔵する「バベルの図書館」などの短編を納めた「伝奇集」。フアン・ペロン政権に迫害された。

【ベルトルト・ブレヒト】
20Cドイツの劇作家。共産主義者。感情移入を否定する「叙事的演劇」を提唱した。1922年スパルタクス団蜂起を題材にした「夜うつ太鼓」で成功。米国亡命を経て戦後は東ドイツに居住。代表作は他に「三文オペラ」「肝っ玉お母とその子供たち」「ガリレイの生涯」など。

【サミュエル・ベケット】
20Cフランスの劇作家。アイルランド出身。不条理演劇を代表する作家。青年時代パリで同郷のジェイムズ・ジョイスと親交。孤独な現代人を描出した「ゴドーを待ちながら」は日本映画「桐島、部活やめるってよ」に影響したとも。1969年ノーベル文学賞。

【マルグリット・ユルスナール】♀
20Cフランスの作家。代表作は「源氏物語」を含む東洋の伝承を翻案した作品集「東方綺譚」、架空の自伝「ハドリアヌス帝の回想」、錬金術師ゼノンの冒険「黒の過程」など。主人公は同性愛者が圧倒的に多い。三島由紀夫についての評論も知られる。バイセクシャル。

【アーサー・ミラー】
20C-21C初米国の劇作家。代表作は競争社会、親子の断絶、若者の挫折を描く「セールスマンの死」。エリア・カザン演出で1949年の初演以来ロングランを続ける。53年「るつぼ」で魔女狩りに仮託してマッカーシズムを批判。56-61年マリリン・モンローの夫だった。

【ウィリアム・フォークナー】
20C米国の小説家。第一次世界大戦に従軍。両大戦間期に活躍した「失われた世代」を代表する作家。重層的な独白など難解で実験的な手法で人間心理を描いた。「響きと怒り」「八月の光」など多くの代表作はヨクナパトーファ郡という南部の架空の田舎町を舞台とする。

【F・スコット・フィッツジェラルド】
20C米国の小説家。「ジャズ・エイジの桂冠詩人」。第一次世界大戦に従軍。両大戦間期の繁栄と空虚感を描き「失われた世代」を代表する作家となる。代表作は「楽園のこちら側」「グレート・ギャツビー」。妻ゼルダ・セイヤーは奔放なフラッパーの象徴となる。

【ヘンリー・ミラー】
20C米国の小説家。過激な性描写と自己中心的な世界観で知られる。1934年パリの堕落した人間模様を描く自伝的小説「北回帰線」をフランスで刊行し成功するが、米国では性表現により長らく発禁処分にあった。67年75歳のときに30歳の日本人ジャズ歌手ホキ徳田と結婚。

【マーガレット・ミッチェル】♀
20C米国の小説家。ジョージア州アトランタ出身。南北戦争期を生きる気性の激しい南部の女性スカーレット・オハラの半生を描く長編時代小説「風と共に去りぬ」を執筆。1936年刊行。たちまち世界的ベストセラーとなり39年に映画化された。49年交通事故死。

【ロジェ・マルタン・デュ・ガール】
20Cフランスの小説家。代表作は1922-40年に発表された大河小説「チボー家の人々」。20C初頭から第一次世界大戦にいたる時代のブルジョワ青年たちの葛藤を堅実な兄アントワーヌと理想主義者の弟ジャックを中心に描く。37年ノーベル文学賞。

【レイモン・ラディゲ】
20C前フランスの作家。1923年19歳のときジャン・コクトーの支援で処女作「肉体の悪魔」を刊行。少年と人妻の愛を緻密な心理描写で描き大ベストセラーとなるが、同年腸チフスで夭逝。伯爵夫人と青年の恋を描く「ドルジェル伯の舞踏会」が遺作となった。

【ジャック・プレヴェール】
20Cフランスの作家。1920年代にはシュルレアリスムに共鳴するがのちに決別。シャンソンの作詞や児童文学のほか、「天井桟敷の人々」など多くの映画脚本を担当。アニメーション映画「やぶにらみの暴君」(改作「王と鳥」)はスタジオジブリにも影響を与えた。

【アンドレ・ブルトン】
20Cフランスの作家。1924年「シュルレアリスム宣言」を発し、シュルレアリスム運動を創始した。ジークムント・フロイトに強い影響を受けた、無意識や夢を重視した芸術運動で、ダダイスムを承継して20Cの大きな潮流となった。代表作は自伝小説「ナジャ」。

【サマセット・モーム】
20C英国の作家。1915年自伝的小説「人間の絆」を執筆。1919年ポール・ゴーギャンをモデルにした「月と六ペンス」で成功。54年「世界の十大小説」を選出。「アシェンデン」は英国情報局の工作員として活躍した経験に基づく。生涯世界各地を旅行した。同性愛者。

【ヘルマン・ヘッセ】
20C前ドイツの作家。1905年少年期の挫折を基に「車輪の下」を発表。両大戦に反対したが、理想が実現しない社会に対する懐疑や絶望を「デミアン」「荒野のおおかみ」に込めた。「少年の日の思い出」は戦後日本の教科書に掲載され続けている。1946年ノーベル文学賞。

【モーリス・メーテルリンク】
19C後-20C前ベルギーの詩人、劇作家。1908年に発表した童話劇「青い鳥」は幸福に関する寓意に満ちたチルチル、ミチル兄妹の冒険物語でラストシーンはよく知られる。「ペレアスとメリザンド」はクロード・ドビュッシーがオペラ化した。11年ノーベル文学賞。

【ミシェル・フーコー】
20Cフランスの哲学者。近代的理性の絶対視を常に批判。1961年「狂気の歴史」で狂気を肯定的にとらえ、精神病として排除してしまう精神医学を批判。「監獄の誕生」では規律によって精神を支配する権力の技術を分析した。84年エイズにより死去。同性愛を公言していた。

【ヘルベルト・マルクーゼ】
20C米国の哲学者。ドイツ出身のユダヤ人。フランクフルト学派であったが1934年米国へ亡命。社会に疑問を持たない「一次元的人間」に警鐘を鳴らし、60年代の学生運動昂揚期に「新左翼の父」と呼ばれた。69年「解放論の試み」でアジア・アフリカの解放を訴えた。

【モーリス・メルロー=ポンティ】
20Cフランスの哲学者。エトムント・フッサールの影響で現象学に傾注。精神偏重の思想を批判し、生命は精神と身体の両面を持つとして現象学的身体論を展開した。身体的な知覚の根拠として「ルビンの杯」や「ミュラー・リエール直線」などの錯視に注目した。

【エトムント・フッサール】
19C末-20C前オーストリアの哲学者、数学者。ユダヤ人。現象学の創始者で実存主義にも大きな影響を与えた。数式による自然の理念化を批判し、日常的に直感される「生活世界」に基盤を置く学問を提唱。ナチス政権成立後は死去するまで活動を制限され執筆に専念した。

【シモーヌ・ド・ボーヴォワール】♀
20Cフランスの作家、哲学者。ジャン=ポール・サルトルの妻。1949年「第二の性」で「女に生まれるのではない、女になるのだ」と女性らしさを不自然で抑圧的なものであるとして批判し、ジェンダー論の基礎を作った。他に自伝的小説「レ・マンダラン」。

【カール・ヤスパース】
ドイツの哲学者、精神科医。実存主義哲学の代表。死や苦悩など人が逃れることのできない限界状況にこそ実存への目覚めの機会があるとした。イスラエルの預言者、ギリシャ哲学者、諸子百家、釈迦らが登場した前500年前後を「枢軸時代」と呼び、現代との類似性を指摘。

【ハインリヒ・リッケルト】
19C後-20C前ドイツの哲学者。新カント派のうちヴィルヘルム・ヴィンデルバントと並ぶ西南ドイツ学派の代表。知るに値する事象の価値判断を行う価値哲学を提唱。普遍的法則を抽出する自然科学の手法を社会科学にも適用するマックス・ヴェーバーらに異を唱えた。

【ジャック・ラカン】
20Cフランスの哲学者、精神分析学者。フロイトの精神分析学を構造主義的に発展させ、パリ・フロイト派を主導した。新フロイト派やアンナ・フロイトの自我心理学に反対。人は幼児期の鏡像段階で自己像を認識し、成長して現実界・象徴界・想像界からなる主体性を得るとした。

【カール・グスタフ・ユング】
20Cスイスの精神科医・心理学者。分析心理学の創始者。1907年以降ジークムント・フロイトと親交し11年共同で国際精神分析協会を設立するが14年決別。性格を外向型・内向型に分類。神秘主義に傾倒し「人類の歴史が眠る宝庫」である集合的無意識を提唱した。

【ハンス・モーゲンソウ】
20Cドイツ出身米国の国際政治学者。国際政治を権力闘争とみなす現実主義学派の代表。国益を外交の行動準則とすることを提唱。世界国家の設立などの理想は、外交の復権によって実現するとした。早くからベトナム戦争の非合理性を批判。主著は「国際政治―権力と平和」。

【カール・マンハイム】
20C前ハンガリーの社会学者。ユダヤ人。思想と社会的状況の関係を問う知識社会学を構想。主著は「イデオロギーとユートピア」。あらゆるイデオロギーの存在拘束性を指摘。拘束から免れた「自由に浮動する知識人」を志向する一方、理想を追うユートピア思想を肯定した。

【ハロルド・ラスキ】
20C前英国の政治学者。ポーランド出身のユダヤ人。フェビアン協会を経て1912年労働党に入党。左派の理論的指導者となる。25年「政治学大綱」で国家の責務を個人の自己実現の「機会の保障」とした。34年のソ連訪問後マルクス主義に傾倒。戦後は社会民主主義を提唱。

【ルドルフ・ヒルファーディング】
オーストロ・マルクシズムの経済学者、医師。ウィーン出身のユダヤ人。ドイツ社会民主党の理論的指導者。1910年「金融資本論」で帝国主義時代の独占資本を分析。ワイマール共和国では閣僚を務めるが、ナチス政権成立後亡命先のフランスが占領され獄死(41)。

【ヨハン・ホイジンガ】
20C前オランダの歴史家。サンスクリット語に精通し当初はインド文明を研究。「中世の秋」でフランスとネーデルラントのルネサンスを考察。ホモ・ルーデンス」では人間の本質を「遊戯」に見出した。1943年ナチスにより収監。45年オランダ解放直前に死去。

【マルク・ブロック】
20C前フランスの歴史学者。中世史の専門家。1929年リュシアン・フェーヴルとともに「社会経済史年報(アナール)」誌を創刊しアナール学派を創始した。主著は集合幻想を扱った「王の奇跡」。第二次世界大戦中レジスタンスに参加、44年ドイツ軍に捕縛され銃殺された。

【アンリ・ピレンヌ】
19C末-20C前ベルギーの歴史家。イスラムによる包囲が中世欧州世界を生んだという「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」のテーゼで知られる。欧州資本主義の初期段階は12世紀にあるとして「商業ルネサンス」と名づけた。第一次世界大戦中ドイツ軍に非暴力で抵抗。

【ポール・ペリオ】
20C前フランスの東洋学者、探検家。1900年北京で義和団の乱に遭遇。06-08年中央アジア探検。クチャでトカラ語派クチャ語の文書を発見。08年、前年に英国のオーレル・スタインがが発見した敦煌の莫高窟から価値の高い数千点を買い取ってフランスに持ち帰った。

【トール・ヘイエルダール】
20C-21C初ノルウェーの探検家、人類学者。ポリネシア文明の起源がペルーあると信じ、1947年インカ時代の筏を模したコンティキ号でペルーからイースター島への航海実験を行いトゥアモトゥ諸島まで到達(一部曳航船を使用)。現在彼の説には否定的見解が優勢。

【ブロニスワフ・マリノフスキ】
19C後-20C英国の人類学者。ポーランド貴族出身。1914年以降英領だったニューギニア島東沖のトロブリアンド諸島で現地の人々の参与観察を行い「西太平洋の遠洋航海者」を著した。それまでの進化主義的な人類学を一変し、文化の持つ機能を重視した。

【ジョン・ロジー・ベアード】
20C前英国の発明家。1920年代からテレビ開発を行い、26年初めて動画の送受信を公開実験で成功。29年BBC放送が彼の方式を採用するが、まもなくマルコーニ-EMI社の方式に取って代わられた。44年完全電子式カラーテレビ受像機を公開。

【アレクサンダー・フレミング】
20C英国の細菌学者。1922年細菌のペトリ皿に偶然クシャミをしたことで唾液に含まれる抗菌物質リゾチームを発見。29年にはペトリ皿に偶然生えたアオカビから世界初の抗生物質ペニシリンを発見。これは感染症治療を一変させた。45年ノーベル医学生理学賞。

【ジェームズ・ワトソン】
20C-21C米国の分子生物学者。四つの塩基とデオキシリボースとリン酸基の分子模型を用い、DNA構造を研究。フランシス・クリックらとともに二重螺旋構造を発見した。1962年ノーベル生理学・医学賞。2007年人種差別的発言で名声を失う。

【ジョセフ・ロートブラット】
20C-21C初ポーランド出身、英国の物理学者。マンハッタン計画に参加するが、ナチスドイツが原爆を開発していないことを知ると離脱。戦後反戦反核運動を主導。55年ラッセル=アインシュタイン宣言に署名。 パグウォッシュ会議会長。95年ノーベル平和賞。

【リチャード・P・ファインマン】
20C米国の物理学者。経路積分による原子中の電子運動の解明など量子電磁力学に大きな業績。期待値を計算する「ファインマン-カッツの公式」は、後に金融工学に応用された。1943-46年マンハッタン計画に従事。65年朝永振一郎らともにノーベル物理学賞。

【エンリコ・フェルミ】
20Cイタリアの物理学者。数量を概算する「フェルミ推定」で知られる。中性子を照射することで多くの人工放射性同位元素を作る。1938年ノーベル物理学賞。同年の米国亡命後は核分裂反応の研究に従事しマンハッタン計画に大きな役割を果たす。戦後は水爆開発に反対した。

【ニールス・ボーア】
20Cデンマークの理論物理学者。マックス・プランクやアーネスト・ラザフォードの理論を基に原子構造の解明を進めた。1921年研究所を開きコペンハーゲン学派を創始。22年ノーベル物理学賞。米国亡命後43年ウラン235の核分裂を予想。原爆投下には大戦中から反対。

【アーネスト・ラザフォード】
19C末-20C前英国の物理学者。ニュージーランド出身。「原子物理学の父」。1898年、ウランから2種類の放射線(α線とβ線)が出ていることを発見。1908年ノーベル化学賞。11年原子核を発見し、原子構造が長岡半太郎の考えた構造に近いことを解明。

【マックス・プランク】
19C-20Cドイツの理論物理学者。「量子論の父」。1900年光のエネルギーがある定数の整数倍であることを発見(プランクの法則)。これは量子力学の幕開けとなった。08年アルベルト・アインシュタインの説を「相対性理論」と名付けた。1918年ノーベル物理学賞。

【アンリ・ベクレル】
19C後-20C初フランスの物理学者。前年のヴィルヘルム・レントゲンによるX線発見をヒントに1896年ウランが放出する放射線を発見。1903年キュリー夫妻とともにノーベル物理学賞。08年の急死は放射線障害が原因と思われる。放射能の単位ベクレルは彼にちなむ。

【エミール・ブルンナー】
20Cスイス出身のプロテスタント改革派教会の神学者。カール・バルトと共に自由主義神学を批判し弁証法神学運動を担ったが、バルトはのちに彼の神学がナチスに利用されていると考え批判した(自然神学論争)。戦後国際基督教大学教授。日本の無教会主義に感銘を受ける。

【ローマ教皇ベネディクト16世】
21Cローマ教皇(位2005-13)。ドイツ出身。前代のヨハネ・パウロ2世死去に伴うコンクラーヴェで教皇選出。思想的には超保守派とされる。2009年に発覚したカトリック聖職者による児童性的虐待事件への対応を批判され、13年自ら退位した。

【ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世】
20C末-21C初ローマ教皇(位1978-2005)。「空飛ぶ教皇」。ポーランド出身で彼の存在はポーランド民主化の精神的支柱となった。81年と82年に暗殺未遂事件。過去のキリスト教の過ちを認め謝罪。他宗教との対話も進めた。イラク戦争を批判。

【ローマ教皇ヨハネ23世】
20Cローマ教皇(位1958-63)。ピウス12世死去後76歳で選出。エキュメニズム(教会一致)の立場から他教会や他宗教と対話。キューバ危機直後の1963年パーチェム・イン・テリス(平和の回勅)を発する。第2バチカン公会議開催を指示するが会期中に死去。

【ローマ教皇レオ13世】
19C後-20C初ローマ教皇(位1878-1903)。トマス・アクィナスの思想を示して信仰と科学の共存を訴え、「誤謬表」に示されたカトリック教会の姿勢を修正。回勅「レールム・ノヴァールム」で労働問題に言及、資本主義、社会主義双方を批判し階級協調を説いた。

【ゴードン・ブラウン】
21C英国首相(任2007-10)。労働党。トニー・ブレア政権で財務大臣(任1999-2007)として市場主義路線を推進し高成長を維持。08年のリーマン・ショックにも首相として迅速に対応。10年の総選挙で敗北、13年に及ぶ労働党政権は終焉した。左目は義眼。

【ハーシェミー・ラフサンジャーニー】
イラン・イスラム共和国第4代大統領(任1989–97)。1948年からルーホッラー・ホメイニーに従い反政府運動に参加。79年の革命後は穏健派の指導者となりイラン・イラク戦争を指揮。大統領就任後は対米融和、女性の権利拡大、社会的自由化を進めた。

【アブドゥルラフマン・ワヒド】
インドネシア大統領(1999-2001)。スハルト政権時代イスラーム組織ナフダトゥル・ウラマー議長を務める。同政権崩壊後、国民覚醒党を創設。穏健な姿勢で各勢力から支持されたが政権は短命に終わり、副大統領のメガワティ・スカルノプトゥリに禅譲した。

【ファハド・ビン=アブドゥルアズィーズ】
第5代サウジアラビア国王(位1982-2005)。有力王族「スデイリー・セブン」の長男として異母兄である第3代ファイサル、第4代ハーリド両国王の下で政治的手腕を発揮。即位後はイラン、イラクの脅威に直面したこともあり、親米路線を堅持した。

【サウジアラビア国王ファイサル】
第3代サウジアラビア国王(位1964-75)。初代国王イブン・サウードの三男。奴隷制度廃止、女子教育など近代化改革を推進するが保守派の反発にあう。外交では親米路線をとるが1973年、石油戦略を主導して価格高騰による増収をもたらした。75年暗殺。

【タボ・ムベキ】
南アフリカ共和国大統領(任1999–2008)。アフリカ民族会議。1960年代から反アパルトヘイト活動に参加。ネルソン・マンデラの後継として大統領に就任するとアフリカ連合の設立などに尽力。経済も順調に成長するが2008年党内の政敵ジェイコブ・ズマに敗れ辞任。

【ロバート・ムガベ】
20C末-21C初ジンバブエ大統領(1987-)。カトリック教徒。1960年からイアン・スミス白人政権に抵抗。80年政権に就くと福祉教育政策により「ジンバブエの奇跡」と呼ばれたが、2000年代から白人大農場の強制収用を始めると経済は大インフレに陥った。

【アベル・ムゾレワ】
20C-21C初ジンバブエの黒人解放指導者、首相(任1979-80)。メソジスト教会の司教。1975年イアン・スミス白人政権に抵抗する穏健派を結集して統一アフリカ人民族評議会を結成。79年初の黒人政権の首班となるが80年総選挙でロバート・ムガベに敗れ下野。

【李鵬】
中華人民共和国首相(任1988-98)、全人代常務委員長(任98-2003)。共産党員だった父を国民党に処刑され、周恩来の養子となった。保守派。89年天安門事件の武力鎮圧を主導。改革開放路線にブレーキをかけたが、鄧小平の南巡講話による攻勢に敗れ、主導権を失った。

【ベーナズィール・ブットー】♀
パキスタン首相(1988-90、93–96)。イスラム教国初の女性首相。84年処刑された父ズルフィカール・アリー・ブットー元首相の後継としてパキスタン人民党総裁。88年35歳で首相。退任後はパルヴェーズ・ムシャラフ政権と対峙するが、2007年暗殺。

【楊尚昆】
中華人民共和国の軍人、国家主席(任1988–93)。80-90年代に強い権力をふるった八大元老の一人。26年の中国共産党入党後、日中戦争や国共内戦を指揮。文化大革命期には失脚し12年間監禁された。鄧小平の改革開放政策を支え、天安門事件でも鄧に従い武力鎮圧を指示した。

【イサベル・ペロン】♀
20Cアルゼンチン大統領(任1974–76)。世界初の女性大統領。1961年亡命中のフアン・ペロンと結婚。73年夫が大統領に就任すると副大統領に指名される。74年夫の急死により大統領昇格。オイルショックによる経済危機に対処できず、76年クーデターで失脚。

【エバ・ペロン】♀
20Cアルゼンチンの女優、フアン・ペロン大統領の妻。43年軍部の要人だったフアンと出会い、ラジオ放送のプロパガンダで大衆に人気を博す。46年夫の大統領就任後国政に介入、47年女性参政権を実現。52年33歳で死去。ミュージカル「エビータ」に生涯が描かれた。

【ジェラルド・R・フォード】
第38代米大統領(1974–77)。共和党。リチャード・ニクソン政権下の1973年スピロ・アグニュー副大統領の辞職により副大統領に就任。翌74年ウォーターゲート事件でニクソンが辞任し大統領に昇格。すぐさまニクソンを恩赦。同年米大統領として初めて訪日。

【グスターフ・フサーク】
冷戦後期チェコスロヴァキア共産党第一書記(1969-87)、大統領(1975-89)。「プラハの春」の最中にソ連の信頼を得て69年アレクサンデル・ドゥプチェクに代わって権力を握り独裁体制を確立。内政・外交の「正常化」を進めた。89年ビロード革命で失脚。

【ジョルジュ・ポンピドゥー】
20Cフランスの政治家。シャルル・ド・ゴール大統領の下で首相(任1962-68)を務めた後、第五共和制では2代目の大統領(任69-74)に選出された。「連続と開放」を掲げ英国のEC加盟支持などド・ゴール路線の軌道修正を行った。在任中の74年急死。

【ロン・ノル】
20Cカンボジアの政治家。ベトナム戦争末期の1970年米国の支援を受け親共産主義のノロドム・シハヌーク国王政権を打倒しクメール共和国を樹立。72年から大統領。北ベトナム軍の支援を受けたクメール・ルージュとの内戦となるが劣勢となり75年プノンペン陥落直前に脱出。

【ファム・ヴァン・ドン】
20Cベトナムの政治家。ホー・チ・ミンの古くからの側近。北ベトナム首相(任1955-76)を経て統一後も首相(任76-87)を務め、通算30年以上首相の座にあった。フランスや米国との和平交渉に活躍したが、統一後はレ・ズアン党書記長に実権があった。

【ヴォー・グエン・ザップ】
20C-21Cベトナムの軍人、政治家。「赤いナポレオン」。戦術に優れ、ベトナム軍総指揮官としてインドシナ戦争、ベトナム戦争を指揮。1955年以降副首相兼国防大臣。78年のカンボジア侵攻をめぐり党指導部と対立し、90年代以降はベトナム共産党を批判した。

【エドウィン・O・ライシャワー】
20C米国の東洋学者。ジョン・F・ケネディおよびリンドン・B・ジョンソン政権の駐日大使(任1961-66)。日本生まれで妻も日本人。幅広い層の日本人と対話し人気を集めた。ベトナム戦争による反米意識の高まりを感じ、沖縄返還の必要性を国務省に打電。

【ジョン・エドガー・フーヴァー】
20C米国の司法官僚で、FBI初代長官(任1924-72)。77歳で死去するまで半世紀近く在任し、国内の諜報活動におけるFBIの絶大な権限を確立した。盗聴による政治家の醜聞情報を利用して歴代政権に対する影響力を維持。日系人の強制収容には反対した。

【老舎】
20C中国の作家。北京出身の満州族。キリスト教徒。1966年文化大革命の初期、紅衛兵に暴行され入水自殺。過酷な運命に翻弄される人々をユーモアを交えて描く。代表作は車夫を主人公とする悲劇「駱駝の祥子」、動乱の中で営業を続ける茶館を舞台に北京の群像を描く戯曲「茶館」など。

【彭徳懐】
中華人民共和国の軍人。十大元帥の1人(序列2位)。国民党軍の将校から1928年中国共産党入党。30年井崗山で毛沢東と合流。日中戦争、国共内戦、朝鮮戦争を指揮。軍の近代化と大躍進政策をめぐり毛と対立。59年廬山会議で失脚。67年紅衛兵により暴行・監禁され74年迫害死。

【モブツ・セセ・セコ】
ザイール大統領(任1965–97)。60年コンゴ動乱初期のクーデターで実権を掌握しパトリス・ルムンバ首相を逮捕。65年国名をコンゴからザイールに変更。反共を掲げて西側から厚い支援を受け長期独裁を敷いた。97年ローラン・カビラ率いる反政府勢力に打倒された。

【ベン・ベラ】
アルジェリア民主人民共和国初代大統領。(任1963–65)。第二次世界大戦で自由フランス軍兵士として活躍。1954年よりアルジェリア民族解放戦線の指導者として独立戦争を指揮。独立後は反西欧的非同盟外交を主導。65年フワーリー・ブーメディエンの軍事クーデターで失脚。

【アナスタス・ミコヤン】
ソ連の政治家。アルメニア人。「赤い商人」。帝政ロシア時代から党員だったオールド・ボリシェヴィキとして1960年代まで指導者として活躍。経済通で主に貿易を担当。56年ニキータ・フルシチョフのスターリン批判をいち早く支持し、その後もフルシチョフを支えた。

【ニコライ・ブルガーニン】
ソ連の政治家。チェーカー出身。1930年代から党幹部として台頭。ニキータ・フルシチョフ時代前期に首相(任1955-58)として「B・Kコンビ」で非スターリン化、平和共存外交を展開。57年フルシチョフ解任運動に加わったが失敗、反撃として58年解任された。

【ゲオルギー・マレンコフ】
ソ連の政治家。1930年代後半ヨシフ・スターリンの側近として大粛清に加担。40年代末レニングラード事件を捏造し政敵を弾圧。53年スターリンの死により首相兼共産党書記局長に就き最高指導者となると核兵器反対を表明し西側との平和共存を模索するが55年失脚。

【イラク国王ファイサル2世】
最後のイラク国王(位1939-58)。父王の死により3歳で即位。成人後も政治は叔父のアブドゥル=イラーフとヌーリー・アッ=サイード首相に任せた。58年同じハーシム家で親欧米のヨルダンと合邦するが(アラブ連邦)、自由将校団による7月14日革命で暗殺。

【フセイン1世】
20C第3代ヨルダン国王(位1952-99)。西側諸国と良好な関係を保ちつつアラブ諸国の中での孤立を回避し国内の安定を保った。1970年PLOを排除(黒い九月事件)するが85年和解。88年パレスチナ領有放棄。94年イスラエルと和平協定。湾岸戦争ではイラクを支持。

【エジプト国王ファールーク1世】
20Cエジプト国王(位1936-52年)。英国の影響力排除を進めた。第二次世界大戦勃発後、親独反英内閣の樹立を試みるがマイルズ・ランプソン大使に屈して失敗、結局連合国側についた。52年自由将校団によるエジプト革命で退位。翌年王政は廃止され亡命。

【メナヘム・ベギン】
イスラエル首相(任1977-83)。47年からシオニズム武装組織エツェルを指導。73年リクード結成。初の非労働党政権を樹立。79年エジプトと平和条約を結びシナイ半島返還を実現。78年ノーベル平和賞。81年イラク原子炉爆撃。82年レバノン侵攻失敗で支持を失う。

【ゴルダ・メイア】♀
イスラエル首相(任1969-74)。労働党。ウクライナ出身で、米国を経て1921年パレスチナに移住。外相(任56-66)を経てレヴィ・エシュコルの死去を受けて首相に就任。72年ミュンヘンオリンピック事件の報復作戦を承認。74年第四次中東戦争の責任を取り辞任。

【ダヴィド・ベン=グリオン】
イスラエル初代首相(任1948-54、55-63)。20C初頭から労働シオニストとして活動。47年のパレスチナ分割決議を受けて48年イスラエル独立を宣言。第一次中東戦争を指揮して勝利したが、国内では対アラブ穏健派でありシオニズムの侵略性を認めていた。

【エドガール・フォール】
20Cフランスの政治家、首相(任1952、55-56)。55年ジュネーヴ4巨頭会談に出席。63年シャルル・ド・ゴール大統領の特使として訪中。68年五月革命後文相として学生自治を含む大学改革を推進。国連で生涯教育を提唱した「フォール報告」でも知られる。

【ピエール・マンデス=フランス】
20Cフランス首相(任1954-55)。急進党。植民地主義を批判。1954年ディエンビエンフーでの大敗後もインドシナ戦争を継続するジョゼフ・ラニエル内閣を打倒し組閣。自らジュネーブ休戦協定を取りまとめた。翌年アルジェリア問題で右派に押され辞職。

【ハロルド・マクミラン】
20C英国首相(任1957-63)。保守党。アンソニー・イーデン内閣で蔵相を務めるが57年イーデン首相がスエズ動乱で引責辞任すると後任に選出。対米関係を改善。大英帝国からの転換を図りアフリカの英領植民地の独立を促した。63年プロヒューモ事件を受けて辞任。

【ローゼンバーグ夫妻】
20C米国のスパイ容疑者。夫ジュリアス、妻エセル。ユダヤ人。マッカーシズムのさなか、ロスアラモス原爆工場に勤務していたエセルの弟から入手した機密情報をソ連に提供したとして1950年逮捕、51年死刑判決。助命運動が沸き起こるが、55年電気椅子で処刑。

【エンヴェル・ホッジャ】
アルバニア労働党第一書記(1944–85)。イタリアによる占領下にレジスタンスを展開。44年政権を掌握し85年に死去するまで長期間独裁を敷いた。ヨシフ・スターリンを信奉する独自の社会主義を推進。西側諸国のみならずソ連、中国をも批判し国際的に孤立した。

【トロフィム・ルイセンコ】
ソ連の農学者。小麦の低温処理は獲得形質が遺伝する証拠と考え、メンデルの法則を否定した。これをヨシフ・スターリンが支持した結果、ソ連のみならず中国や北朝鮮でも今日から見れば誤った農法が政策として実施され、農業生産力が低下、大量の餓死者を生んだ。

【ヤコフ・マリク】
ソ連の外交官。1942年より駐日大使。45年6月広田弘毅元首相非と非公式に終戦交渉。8月11日日本政府に宣戦布告文書を手交する際、ポツダム宣言受諾の意思を伝達される。51年国連大使として朝鮮戦争の休戦をラジオ放送で提案。55-56年日ソ国交回復交渉全権代表。

【ヴャチェスラフ・モロトフ】
ソ連外相(任1939-49)。ヨシフ・スターリンの片腕として活躍。39年ヨアヒム・フォン・リッベントロップ外相と独ソ不可侵条約。41年松岡洋右外相と日ソ中立条約。大戦末期のテヘラン、ヤルタ、ポツダム各会談にもスターリンに随行し出席。戦後一線を退く。

【マクシム・リトヴィノフ】
ソ連外相(任1930-39)。ヨシフ・スターリンの一国社会主義論に従い、レフ・トロツキーやゲオルギー・チチェーリンが進めた革命の輸出を放棄。反ファシズムを掲げ資本主義国との関係改善に奔走。34年国際連盟加盟を実現。39年独ソ不可侵条約締結の直前に解任。

【アドリフ・ヨッフェ】
ソ連の外交官。クリミア出身のユダヤ人。1903年ロシア社会民主労働党に入党しレフ・トロツキーの革命路線に共鳴。17-18年ブレスト=リトフスクでドイツと休戦交渉。23年孫文と会談し中国共産党との連携を条件に国民党支援を約束した(孫文・ヨッフェ共同宣言)。

【ヨアヒム・フォン・リッベントロップ】
ナチスドイツの幹部、外相(任1938-45)。32年ナチス入党。好戦的な姿勢がアドルフ・ヒトラーに好まれた。39年ヴャチェスラフ・モロトフ外相と独ソ不可侵条約を締結。親ソ反英姿勢で、独ソ戦開始後は影響力が低下。ニュルンベルク裁判で死刑判決。

【エルンスト・レーム】
ナチスドイツ幹部。第一次大戦で活躍。1919年ナチス入党。最大70万の隊員を擁する準軍事組織「突撃隊」を指揮。33年の政権獲得後正規の警察や軍との軋轢が生まれ、軍部とハインリヒ・ヒムラー親衛隊隊長の主導により多数の幹部とともに粛清された(長いナイフの夜)。

【エーリヒ・ルーデンドルフ】
19C末-20C前ドイツの軍人、右翼政治家。最終階級は歩兵大将。パウル・フォン・ヒンデンブルクの参謀として第一次大戦を指揮。戦後はカップ一揆、ミュンヘン一揆に参加。一時アドルフ・ヒトラーと連携するが後に批判。著書「総力戦」は日本陸軍に影響を与えた。

【スタンリー・ボールドウィン】
20C前、3次に渡る英国首相(1923-24、24-29、35-37)。保守党。28年男女平等選挙権を実現。3度目の政権はラムゼイ・マクドナルドの後を継ぐ挙国一致内閣。36年エドワード8世に退位を迫る。ナチス・ドイツの台頭に対して消極的宥和政策。

【楊虎城】
中華民国の軍人。西安を拠点にした国民党軍の地方司令官であったが、抗日より反共を優先する蒋介石の「安内攘外」路線に疑問を持ち、1936年張学良とともに西安事件を起こし国共内戦を収拾させた。蒋介石の命で37年に捕えられ49年重慶陥落の直前に家族とともに惨殺された。

【馮玉祥】
中華民国の軍閥。「クリスチャン・ジェネラル」。安徽派、直隷派、奉天派と次々に転身し、1926年以降は国民党やソ連とも提携した変わり身の早さで知られる。1930年には蒋介石打倒の兵を挙げたが失敗(中原大戦)。日中戦争中は挙国一致での抗日を主張。48年外遊中に事故死。

【黎元洪】
中国清末民初の政治家。清の軍人であったが、1911年武昌起義に際して革命軍司令官に担がれる。孫文、袁世凱の下で副大総統。17年袁の死後大総統を2期務める(任16-17、22-23)。いずれも北洋軍閥に傀儡として担がれた。軍閥の解体、中国統一を目指したが実現せず。

【林語堂】
中華民国の文人。「ユーモア大師」。米国、ドイツに留学後、 1923年から北京大学教授。 諷刺とユーモアを込めた随筆で様々な分野に私見を述べた。36年米国移住し後「わが国土・わが国民」「北京好日」「嵐の中に木の葉」を英語で出版して欧米の中国理解を促し、日本の侵略を批判。

【茅盾】
20C中国の作家。魯迅と並ぶ左翼リアリズム作家とされる。筆名は中国社会の「矛盾」から。結成当初からの中国共産党員。28-30年日本滞在。33年「子夜」で世界恐慌による民族資本家の没落を、46年「霜葉は二月の花よりも紅なり」では革命青年の変節を描く。戦後政府要職を務める。

【羅振玉】
19C末-20C前中国の考古学者。「甲骨四堂」の一人。劉鶚のあとを継いで甲骨文字を研究し「殷墟書契考釈」を発表。紫禁城に残っていた明清時代の档案(行政文書)を買い取って保存。日本との関わりが深く、京都大学の内藤湖南とも親交。溥儀の教師で、晩年満州国参議を務めた。

【グリゴリー・ラスプーチン】
帝政ロシア末期の祈祷僧。1905年祈祷による病気治療を始め、ニコライ2世一家の絶大な信任を得るが、人々の反感を買う。第一次大戦中の16年ドミトリー・パヴロヴィチ大公とフェリックス・ユスポフにより暗殺。治療にはアスピリンを用いていたとの説も。

【イラク国王ファイサル1世】
初代イラク国王(位1921-33)。ヒジャース国王フサイン・イブン・アリーの三男。第一次世界大戦中オスマン帝国に対するアラブ反乱を指導。20年シリア王位につくがフランスに追放される。英国の支持を得て国民投票により英国委任統治領イラク王国の王位につく。

【トーマス・エドワード・ロレンス】
20C英国の考古学者、軍人。最終階級は中佐。「アラビアのロレンス」。第一次大戦中の1916年ファイサル1世と接触、オスマン帝国に対する反乱を支援した。鉄道爆破など巧みな戦術で戦果を挙げた。62年映画「アラビアのロレンス」に描かれた。

【ガヴリロ・プリンツィプ】
20Cボスニア系セルビア人の民族主義者。1914年6月28日19歳の時サラエヴォで武装勢力;黒手組の一員としてオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公を暗殺した(サラエヴォ事件)。第一次世界大戦末期に獄死。

【フランツ・ヨーゼフ1世】
19C後-20C初オーストリア帝国皇帝(位1848-1916)。3月革命後に即位し、第一次世界大戦中に死去。在位68年。保守的な政治で帝国は凋落の一途をたどるが、民族融和を推進し敬愛された。国粋主義的なフランツ・フェルディナント大公とは対立した。

【ホアン・ホア・タム】
19C後-20C初ベトナムの反仏闘争「起義」の指導者。「イェンテの虎」。1870年から起義に参加。92年に指導者となり北部の山岳地帯を拠点として多くの農民兵を集めて通商路を攻撃。1913年までフランス軍に頑強に抵抗した。06年ベトナム維新会にも参加。

【アンドレス・ボニファシオ】
19Cフィリピンの独立運動家。ホセ・リサールと並ぶ民族的英雄。リサールの逮捕・流刑後の1892年秘密結社「カティプナン」を創設。96年武装蜂起。貧困層出身で革命志向の彼は次第にエミリオ・アギナルドら首長層と対立、主導権を奪われ97年逮捕・処刑された。

【朴泳孝】
19C末-20C朝鮮の政治家。1884年金玉均らと開化党を結党。開化政策を進めるが事大党と対立。84年甲申政変を主導するが失敗し日本に亡命。94年帰国し内務大臣として甲午改革に着手するが失脚。日本統治下で要職。太極旗の考案者。日本名は山崎永春。福澤諭吉と深く親交。

【ラーマクリシュナ】
19Cインドの宗教家。インドの豊かな精神文明を体現し英国支配下のインド人の誇りを取り戻した。ベンガルのバラモンの家系に生まれ厳しい修業を積んだ。諸宗教は究極の一なる神が有形無形様々に変化したものであると考え普遍宗教を志向した。ヴィヴェーカーナンダは彼の弟子。

【ホセ・マルティ】
19Cキューバの詩人、革命家。「キューバ独立の父」。1868年16歳で革命運動に身を投じ、たびたび投獄・追放される。92年ニューヨークでキューバ革命党を設立。95年キューバに上陸するが戦死。米国の介入による独立を拒否し、後世の革命家に大きな影響を与えた。

【ラビーフ・アッ=ズバイル】
19C末中央アフリカにラビーフ帝国を建国した軍人。スーダンで奴隷商人をしていたがエジプト政府の奴隷貿易禁止に対抗して反乱を起こす。マフディーを自称しチャドに侵入して1893年カネム・ボルヌ帝国を征服。97年フランス軍の侵攻を受け1900年戦死。

【エリフ・ルート】
20C米国の政治家。共和党。ジョン・ヘイの後任としてセオドア・ルーズベルト政権の国務長官(任1905-09)。08年日本の高平小五郎駐米大使と交渉し、日本の満州権益を認める高平・ルート協定を締結。常設国際司法裁判所の設立に尽力。12年ノーベル平和賞。

【ベルンハルト・フォン・ビューロー】
帝国主義時代のドイツ帝国外相(任1897-1900)、首相(任00-09)。ヴィルヘルム2世の下で海軍増強、3B政策、膠州湾租借(1898)など「世界政策」を推進。第一次モロッコ事件(05)やデイリー・テレグラフ事件(08)でドイツは孤立化。

【李秀成】
太平天国の指導者。忠王。貧農出身。1849年乱に参加して頭角を現し湘軍、淮軍、常勝軍と激闘を展開。64年天京攻防戦に敗れ淮軍の曽国荃に捕らえられ処刑された。この時の調書が太平天国の実態解明に寄与。文化大革命時には彼を裏切り者として劉少奇になぞらえる批判が展開された。

【ロバート・モリソン】
19C前英国のプロテスタント宣教師。1807年清に渡り広州とマカオで活動。「新約聖書」を中国語に翻訳。欧州の中国研究の基礎となる「中国語辞典」を著す。16年ウィリアム・アマーストの通訳として北京に随行。洪秀全が手にした「勧世良言」を著した梁発は彼の弟子。

【ニコライ・レザノフ】
18C末-19C初ロシアの外交官。アラスカ経営には日本との通商と北米西海岸の植民地化が不可欠と考え計画。1803年アダム・ラクスマンに続く第2次遣日使節として長崎に来航するが通商を拒絶される。彼の死後アラスカ経営は頓挫し67年米国に売却。露日辞典を作成。

【トーマス・ラッフルズ】
19C前英国の植民地建設者。1811年ナポレオン戦争中のジャワ島遠征軍に参加。密林に眠るボルブドゥール遺跡を発見。1818年ジョホール王国からシンガポールを獲得し、自由貿易港として発展させた。博物学にも業績を残し、世界最大の花ラフレシアの名は彼にちなむ。

【ランジート・シング】
19C前シク王国の建国者(位1801-39)。「パンジャーブの虎」。パンジャーブ地方のシク教徒を結集して1801年王国を建国。ヨーロッパ人を雇った富国強兵政策により領土を北西インド一帯に広げた。39年彼が死ぬと王国はシク戦争を経て49年英国に併合された。

【ラシード・リダー】
19C後-20C前シリア出身のイスラーム改革思想家。1897年ムハンマド・アブドゥフと雑誌「マナール」(灯台)を刊行。西欧的価値観を否定するとともにイスラーム社会、特にスーフィーやウラマーの腐敗を批判した。正統カリフ時代への回帰を主張(サラフィー主義)。

【ムスタファ・レシト・パシャ】
19Cオスマン帝国の改革派官僚。1836年から外相。39年15歳のアブデュルメジト1世が即位すると近代化改革を建言してギュルハネ勅令を起草しタンジマートを推進した。クリミア戦争後パリ講和会議全権代表。ミドハト・パシャら有能な官僚・文化人を育成した。

【ムハンマド・イブン=サウード】
18C第一次サウード王国(ワッハーブ王国)の建国者(位1744-65)。アラビア半島の豪族サウード家出身。ムハンマド・イブン=アブドゥルワッハーブの養子となりワッハーブ派と結んで勢力を拡大。ワッハーブ派イマームの地位はサウード家に世襲されていく。

【フリードリヒ・フレーベル】
19Cドイツの教育学者。未就学の幼児の教育に尽力した。ロマン主義の立場から子供の本質を尊重し、1837年自然豊かな幼稚園(キンダーガルテン)を創設。プロイセン全土に広がるが政府に危険視され弾圧された。お遊戯や玩具など、世界の幼児教育に影響を与えた。

【ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ】
18C後-19C前スイスの教育者。ジャン=ジャック・ルソーの「エミール」に感銘を受け、子供の自発性に基礎を置く知・徳・体の調和的発達と弱者への配慮ある教育を提唱。フリードリヒ・フレーベル、ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトに大きな影響を与えた。

【ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー】
18Cフランスの探検家。海軍准将。1785年から太平洋を探検。87年アイヌの地であった北海道、樺太、千島列島を探検し宗谷海峡を通過。その後サモア諸島、オーストリアを探検するが、英国の探検隊に記録を託したのを最後に消息を絶った。

【フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン】
19C-20C初ドイツの地理学者。1867-72年清朝中国の各地を調査し、1911年までに大著「中国」を刊行。この中で「絹の道」の語を初めて使用した。同書はヴィルヘルム2世の中国に対する帝国主義的関心を高めたとも言われる。

【リュミエール兄弟】
19C後-20C前フランスの映画発明者。兄オーギュスト、弟ルイ。1894年トーマス・エジソンのキネトスコープに感銘を受け、動画の研究を開始。スクリーンに映写するシネマトグラフを開発。95年世界初の映画「工場の入り口」を公開。1900年パリ万博でも上映。

【ユストゥス・フォン・リービッヒ】
19Cドイツの化学者。「農芸化学に父」。1826年化合物の異性体の存在を発見。有機化合物の構造の解明を進め、数多くの物質を精製。飢饉に心を痛め、窒素、リン酸、カリウムからなる化学肥料を開発。農業生産は飛躍的に改善した。食品加工業にも先駆的業績。

【ジェームズ・クラーク・マクスウェル】
19C英国の理論物理学者。スコットランド貴族出身。1864年マイケル・ファラデーの電磁場理論を数式化(マクスウェルの方程式)して古典電磁気学を確立。電磁波の存在と性質を正確に予想。史上初のカラー写真を撮影したり気体分子や土星の研究にも業績。

【クロード・ベルナール】
19Cフランスの医師、生理学者。実験医学の先駆。組織液の循環等の調整メカニズムにより生物の内部環境は外部環境から独立していると提唱した(ホメオスタシス)。ルイ・パスツールとともに低温殺菌法を考案。「実験医学序説」は自然主義文学にも影響を与えた。

【ジャン・アンリ・ファーブル】
19C-20C初フランスの博物学者、詩人。教員をしながら昆虫の生態を研究。学術論文ではなく読み物の形で世に出したのが「昆虫記」であり、世界中で翻訳、愛読されている。日本で初めて「昆虫記」を訳したのは大杉栄。自然選択説による進化論には反対した。

【ジャン=バティスト・ラマルク】
18C後-19C前フランスの博物学者。先駆的進化論者。無脊椎動物の研究によって生物が進化していることを確信。個体が獲得した形質が遺伝する「用不用説」を主張。これはチャールズ・ダーウィンの自然選択説によって否定された。貴族出身だが革命を支持した。

【エルネスト・ルナン】
19Cフランスの宗教史家、思想家。ヘブライ語研究とパレスチナの実地調査を経て、1863年非科学的な要素を排した歴史上の人物としてのイエス・キリストを伝える「イエス伝」を著す。82年講演「国民とは何か?」で自由意志による国民形成を提唱。植民地主義の擁護者。

【ヤーコプ・ブルクハルト】
19Cスイスの歴史家。歴史事象や制度史よりも時代の雰囲気や人々の生活を重視。「イタリア・ルネサンスの文化」で、ルネサンスは古典文化の復興であると説いた。ジュール・ミシュレが使用した「ルネサンス」の語は同書によって浸透した。フリードリヒ・ニーチェと親交。

【ジュール・ミシュレ】
19Cフランスの歴史家。1833-67年民衆を重視した「フランス史」を刊行。この中でルネサンスという用語を初めて使用した。「魔女」では魔女狩りを詳述。博物学上の著作も多数。政治的には自由主義者で二月革命を支持、ナポレオン3世への宣誓を拒否した。

【トーマス・マコーリー】
19C英国の歴史家。ホイッグ党下院議員でもあったブルジョワジーの自由主義者。未完に終わった「イングランド史」で英国の歴史を自由主義とそれを抑圧する勢力との戦いの歴史として描いて(ホイッグ史観)大反響を呼び、進歩主義的な歴史観の先駆となった。

【スティーブン・フォスター】
19C米国の歌曲作家。「アメリカ音楽の父」。黒人霊歌や農園歌から強い影響を受け、ミンストレル・ショーで歌われる歌曲を多数作り、国民に愛唱された。「おおスザンナ」はゴールドラッシュに向かう人々に流行した。ケンタッキー、フロリダ両州の州歌でも知られる。

【アレクサンドル・ボロディン】
19Cロシアの作曲家。「日曜作曲家」。国民音楽派ロシア五人組の一人。1869年中世ロシア叙事詩を扱ったオペラ「イーゴリ公」を作曲。この中の「だったん人の踊り」はよく知られる。他に交響詩「中央アジアの草原にて」など。化学者としても多くの業績を残した。

【グスタフ・マーラー】
19C後-20C初オーストリアの作曲家、指揮者。ユダヤ人。交響曲と歌曲の大家。新ロマン派としてドイツ民謡を引用した。声楽パートを伴い1時間を超える壮大な交響曲で知られ、生涯に第9番まで作曲。「亡き子をしのぶ歌」は早くに亡くした2人の女子をしのぶ歌曲。

【フェリックス・メンデルスゾーン】
19Cドイツロマン派の作曲家。ユダヤ人。ウィリアム・シェイクスピア「夏の夜の夢」に付した「結婚行進曲」は現在も結婚式で頻繁に使用される。他ヴァイオリン協奏曲ホ短調など多大な業績を残す。リヒャルト・ワーグナーは「音楽におけるユダヤ性」で彼を中傷。

【ヨハネス・ブラームス】
19Cドイツの作曲家。ベートーヴェンの後継者とも。1868年マルティン・ルターが訳したドイツ語版の聖書に基づく宗教曲「ドイツ・レクイエム」を作曲。89年トーマス・エジソンの蓄音機に史上初の音楽録音をした。「ハンガリー舞曲第5番」は日本でもよく知られる。

【マーク・トウェイン】
19C-20C初米国の作家。ミズーリ州出身。南北戦争前の牧歌的な米国を描いた「トム・ソーヤーの冒険」「ハックルベリー・フィンの冒険」の作者。元蒸気船の水先人で、筆名は水深を知らせる合図に由来。他に「王子と乞食」や旅行記「ハワイ通信」など。帝国主義に反対。

【エドガー・アラン・ポー】
19C米国の作家。「モルグ街の殺人」で推理小説、「アーサー・ゴードン・ピムの物語」でSF小説の原型を作った。「アッシャー家の崩壊」「黒猫」などのゴシックホラーや「大鴉」などの叙情詩でも知られ、後世に多大な影響を残した。江戸川乱歩の筆名は彼にちなむ。

【ハーマン・メルヴィル】
19C米国の作家。青年時代の1840-43年捕鯨船に乗船し脱走、暴動、逮捕を含む冒険を体験。51年この体験を基に白い鯨と捕鯨船の死闘を描く「白鯨」を発表。難解で生前は理解されなかったが20Cに評価された。他に「バートルビー」「ビリー・バッド」など。

【エドモン・ロスタン】
19C後-20C前フランスの劇作家。代表作は17Cに実在した剣豪作家を題材に、中世騎士の不器用な悲恋を描く「シラノ・ド・ベルジュラック」。 世界中で上演され、繰り返し映画化されている。日本では「白野弁十郎」として翻案。1918年スペイン風邪により死去。

【ステファヌ・マラルメ】
19Cフランスの詩人。象徴派の代表。非常に難解ながら音楽的に洗練された詩を残した。代表作はパーンとニンフの官能体験を描く「半獣神の午後」。クロード・ドビュッシーはこれに「牧神の午後への前奏曲」をつけさらにヴァーツラフ・ニジンスキーがバレエ作品とした。

【ライナー・マリア・リルケ】
19C後-20C前ドイツの詩人。代表作はある少女の死から生まれた「オルフォイスへのソネット」、着想から10年を要した「ドゥイノの悲歌」など。人の死も含めた世界のすべてを賛美する叙情詩が特徴。ルー・アンドレアス・ザロメに対する一途な恋でも知られる。

【オスカー・ワイルド】
19Cアイルランド出身の詩人、劇作家。代表作はヒューマニズム溢れる児童文学「幸福な王子」、美青年の破滅を描く「ドリアン・グレイの肖像」、聖書に題材をとる「サロメ」など。詩人アルフレッド・ダグラスと同性愛の関係にあったが1895年投獄され、失意まま没した。

【エミリー・ブロンテ】♀
19C英国の小説家。ブロンテ三姉妹の2番目。1847年「エリス・ベル」の筆名で長編小説「嵐が丘」を刊行。2つの家族で三代に渡り繰り広げられる愛憎劇で、生前には評価されなかったが、20Cになって世界的に評価され、繰り返し映画化もされた。48年30歳で死去。

【シャーロット・ブロンテ】♀
19C英国の小説家。ブロンテ3姉妹の長姉。3姉妹共通の筆名「カラー・ベル」として1847年「ジェーン・エア」を刊行。差別や抑圧と戦う新しい女性像を描き大きな反響を呼び、20Cには繰り返し映画化された。ブロンテ3姉妹の中では最も長く生きたが55年死去。

【ジョン・ブラウン】
19C米国の奴隷制度廃止運動家。敬虔なピューリタンとして奴隷制度が聖書の教えに反すると考え、実力行使による奴隷解放を提唱。59年同志 21人を率いてバージニア州の連邦武器庫を襲撃し占拠するが鎮圧され処刑された。「リパブリック賛歌」は元々彼にちなんだ北軍軍歌。

【ヴィルヘルム・リープクネヒト】
19Cドイツの政治家。カール・リープクネヒトの父。亡命先のロンドンでカール・マルクスと知り合う。1869年アウグスト・ベーベルらとマルクス主義のアイゼナハ派をなす。75年フェルディナント・ラッサールの穏健派と合同しドイツ社会主義労働者党を結成。

【パトリス・ド・マクマオン】
19Cフランス大統領(任1873-79)。王党派。軍人としてアルジェリア征服戦争、クリミア戦争、イタリア統一戦争で活躍し元帥となる。普仏戦争後アドルフ・ティエール大統領に協力しパリ・コミューンを鎮圧。大統領在任中は共和派が優勢な議会と対立した。

【ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ】
19Cドイツの軍人。大モルトケ。小モルトケは甥。最終階級は元帥、爵位は伯爵。1858-88年プロイセン参謀総長として対デンマーク戦争、普墺戦争、普仏戦争を指揮し、ドイツ統一に貢献した。鉄道と電信を積極的に軍事利用した。

【バイエルン王ルートヴィヒ2世】
19Cバイエルン国王(位1864-86)。「狂王」。政務を嫌って芸術を愛し、ノイシュヴァンシュタイン城建築やリヒャルト・ワーグナーのバイロイト祝祭劇場建設支援など浪費を繰り返し、財政を悪化させた。1886年家臣により廃位され、翌日水死体で発見。

【ジョン・フロスト】
19Cチャーティズムの指導者。ウェールズの炭鉱町ニューポート出身の裕福な呉服商で市長も務めた。1839年11月4日のニューポート蜂起を率いたが鎮圧され逮捕された。これにより第一回目の運動は挫折した。死刑を減刑されタスマニア島に流刑となるが56年恩赦で帰国。

【ロバート・ピール】
19C前英国首相(任1834-35、41-46)。彼の党首時代にトーリー党は保守党に脱皮した。産業資本家の利益を代弁し、関税の撤廃・削減によって自由貿易を推進。「世界の工場」の最盛期をなした。46年党内地主層の保護貿易主義を押さえ込んで穀物法を廃止。

【フランシスコ・デ・ミランダ】
18C後-19C初ベネズエラの革命家。スペイン帝国陸軍将校としてアメリカ独立戦争に参加後独立派になりフランス革命にも参加。1810年半島戦争に乗じシモン・ボリバルらとともにベネズエラ第一共和国を樹立するが失敗。ボリバルと対立しスペインに送られた。

【ラファエル・デル・リエゴ】
19C前スペインの英雄的軍人。階級は元帥。自由主義者。1808年半島戦争に従軍。20年陸軍少佐として反乱を起こしフェルナンド7世に対し1812年憲法の復活を認めさせた(スペイン立憲革命)。23年侵入した神聖同盟軍に抵抗するが捕らえられ処刑された。

【マイアー・アムシェル・ロートシルト】
18C-19C初ドイツの商人、銀行家。ユダヤ人。フランクフルトのゲットー出身。ロスチャイルド家財閥の祖。ヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世の信託財産を元手にナポレオン戦争中、大陸封鎖令を破って英国から物資を欧州各地に密輸して大きな財を成した。

【ジョゼフ・フーシェ】
18C末-19C初フランスの政治家。1793年ジャコバン派の恐怖政治下でリヨンの大虐殺を指揮。統領政府と第一帝政では警察大臣を勤め、秘密警察を含む近代的警察の原型を築いた。1815年百日天下後臨時政府首班として戦後処理にあたったが王党派に追及され失脚。

【神聖ローマ皇帝レオポルト2世】
フランス革命期の神聖ローマ皇帝(位1790-92)。マリア・テレジアの子、ヨーゼフ2世の弟、マリー・アントワネットの兄。トスカーナ大公時代に死刑を廃止。91年プロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム2世とピルニッツ宣言(フランス革命戦争の発端)。

【フィリッポ・ブオナローティ】
18C末-19C前フランスの革命家。イタリア出身。ジャコバン派の一員として活躍。フランソワ・ノエル・バブーフに共鳴し、その思想を後世に伝え多くの革命思想に影響を与えた。カルボナリやチャーティズムとも共闘し、37年に死去するまで欧州各地で活動した。

【ル・シャプリエ】
フランス革命期の政治家。進歩派のブルジョワとしてジャコバン・クラブに属するがのちにフイヤン派に転じた。1891年封建的特権廃止を決議した国民議会「8月4日の夜」で議長。同年労働者の団結を禁じたル・シャプリエ法を起草。恐怖政治時代の94年ギロチンで処刑。

【ジャック・ピエール・ブリッソー】
フランス革命期の政治家。革命前、奴隷制に反対する論文によりバスティーユ牢獄に投獄。1792年立法議会の外交委員会を指導しオーストリアへの宣戦布告を推進。国民公会ではジロンド派を代表する人物として活躍。93年ジャコバン派によってギロチンで処刑。

【ミハイル・ロモノーソフ】
18Cロシアの科学者。寒村の漁師の家に生まれ苦学の末学者となる。1755年モスクワ大学を設立。61年観測により金星に大気があることを発見。石炭や石油が生物が変化したものだと証明。質量保存の法則に関する先駆的研究。言語学、地理学、画家、詩人としても業績。

【ポンパドゥール夫人】♀
18Cフランス、ルイ15世の公妾。本名ジャンヌ=アントワネット・ポワソン。1744年その美貌が王の目に留まり、侯爵夫人の称号を賜って夫と別居し公妾となった。政治に関心の薄い王に代わって外交革命期のフランス政治に干渉した。ヴォルテールら啓蒙思想家と親交。

【ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリー】
18Cフランスの啓蒙思想家、医師。オーストリア継承戦争中の1744年軍医として多くの傷病兵を看取り霊魂の存在を否定する唯物論的生命観を確立。ルネ・デカルトの動物機械説を人間にも適用して48年「人間機械論」を著した。晩年はプロイセンに亡命。

【トーマス・マン】
17C英国の経済学者。貿易商人として成功し、東インド会社の役員を務めた。輸入超過による銀の流出に対する批判が高まる中で貿易差額(黒字)による富の増大を主張し重商主義を擁護した。加工貿易の重要性も主張。貨幣の不足に対しては手形などの信用貨幣の導入を主張した。

【ウィリアム・ホガース】
18Cロココ時代の英国の画家。1721年風刺銅版画集「南海泡沫事件」を出版してバブル経済を風刺。「娼婦一代記」「放蕩一代記」の風俗画連作シリーズでモラルの崩壊を風刺した。パグ犬を愛し「パグ画家」と呼ばれた。だまし絵の「誤った遠近法」でも知られる。

【ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ】
17Cフランス、ルイ14世時代の詩人。「北風と太陽」「ガチョウと黄金の卵」などイソップ寓話を含む世界の動物寓話を基にした寓話詩で知られる。「すべての道はローマへ通ず」「火中の栗を拾う」ということわざを残した。社交界での放埓な私生活でも知られた。

【フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー】
17Cフランスの軍人、作家。リシュリューやジュール・マザランと対立し、フロンドの乱にも参加。後半生はサロンに出入りしながら著作に傾注。「箴言集」が知られる。厭世的で偽善を嫌い、伝統的なキリスト教的人間観を否定。性悪説的な人間観を展開した。

【ウィリアム・ペン】
17C後-18C初、北米植民指導者。ロンドン出身のクエーカー。1681年チャールズ2世が厄介払いとして彼に与えた土地にフィラデルフィアを建設、多くの移民を受け入れた。人民主権、三権分立を実施し合衆国憲法に影響を与えた。ペンシルベニアの名は彼の父にちなむ。

【ジョージ・フォックス】
17C英国の宗教改革者。クエーカーの創始者。聖職者や儀式などの信仰の外面性を否定。信者がみずから直接神と交わることを重視した。国教会からも清教徒からも弾圧されたが中下層民に多くの信徒を獲得。教団は質素な服装、徹底した平等主義、絶対的な平和主義で知られる。

【ジョン・リルバーン】
17C英国ピューリタン革命期の水平派(レヴェラーズ)の指導者。革命前からロンドンでアジテイターとして活動。1640年革命が起きると議会で活躍し、農民や手工業者に支持を広げた。47年「人民協約」を提出して以降はオリヴァー・クロムウェルに弾圧された。

【スチェパン・ラージン】
17Cロシア、アレクセイ1世統治下のコサックの首領で、反乱指導者。1660年代から重税を逃れた農奴を集めて盗賊団を率いカスピ海沿岸各地を荒らす。70年平等社会を掲げて挙兵すると農奴や下層民が加わり拡大したが翌年鎮圧。その後民衆に中で伝説化し、民謡も有名。

【神聖ローマ皇帝フランツ1世】
18C神聖ローマ皇帝(位1745-65)。1736年マリア・テレジアと結婚。オーストリア継承戦争を経て1918年まで続くハプスブルク=ロートリンゲン朝を創始。子はヨーゼフ2世、レオポルト2世、マリー・アントワネットなど。実権は常に妻が握っていた。

【大選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム】
17Cブランデンブルク選帝侯、プロイセン公(位1640-88)。ホーエンツォレルン家。三十年戦争からの復興、中央集権を推進。北方戦争に乗じてポーランド、スウェーデンの支配を排除。フランスからユグノー難民を受け入れ、その高度な技術を受容した。

【神聖ローマ皇帝フェルディナント2世】
17C前神聖ローマ皇帝(位1619-37)。イエズス会の教育を受け、新教徒の一掃を画策。1618年ボヘミアで新教徒の反乱が発生しドイツ三十年戦争が始まる。24年以降フランス、デンマーク、スウェーデンが介入。37年戦局を打開できないまま死去。

【ルーヴォワ侯フランソワ=ミシェル・ル・テリエ】
17Cフランス、ルイ14世時代の陸軍大臣(任1668-72)。銃剣を装備した30万の常備軍を整備しルイ14世の侵略戦争を支えた。軍病院オテル・デ・ザンヴァリッドを設立。ジャン=バティスト・コルベールと対立。ナントの勅令廃止を進言。

【フィリップ・メランヒトン】
16Cドイツの人文主義者、プロテスタント神学者。ヴィッテンベルク大学のギリシア語教授だったが同僚マルティン・ルターの宗教改革に共鳴。ルターを理論的に支え、その思想の体系化に尽力した。1530年新旧両派の和解を企図して「アウクスブルク信仰告白」を起草。

【神聖ローマ皇帝フェルディナント1世】
16C神聖ローマ皇帝(位1556-64)。ハプスブルク家。カール5世の弟。祖父マクシミリアン1世の画策でヤギェウォ家のアンナと結婚。ドイツ・ボヘミア・ハンガリー王位を継承しハプスブルク君主国を形成した。55年アウクスブルクの宗教和議に尽力。

【ザクセン選帝侯フリードリヒ3世】
15C末-16C前、宗教改革期のザクセン選帝侯(位1486-1525)。1502年ヴィッテンベルク大学を設立。21年ヴォルムス帝国議会後、同大学教授マルティン・ルターを居城であるヴァルトブルク城に保護した。25年死の間際にルター派へ改宗。

【クリストファー・マーロウ】
16C英国の劇作家、詩人。戯曲はヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテより200年早くファウスト博士伝説を扱った「フォースタス博士」、反ユダヤ主義的な「マルタ島のユダヤ人」など。ウィリアム・シェイクスピアに先がけてエリザベス朝演劇の基礎を築いた。

【ローマ教皇ユリウス2世】
16C初ルネサンス期のローマ教皇(位1503-13)。教皇アレクサンデル6世と対立、チェーザレ・ボルジアを捕縛。イタリア戦争において教皇領を拡大。多くの芸術家を支援した。サン・ピエトロ大聖堂の新築を決定。ドイツで聖職と贖宥状の販売を行い、不満を買った。

【チェーザレ・ボルジア】
15C末-16C初イタリアの軍人・政治家。父は教皇アレクサンデル6世。イタリア戦争に乗じて外交・軍事両面で活躍し中部イタリアの平定を進めたが道半ばの31歳で戦死。ニッコロ・マキャヴェッリは「君主論」で彼を目的のために手段を選ばない理想の統治者とした。

【ヤーコプ・フッガー2世】
15C後-16C前南ドイツ、アウクスブルクの金融資本家。父がヴェネツィアとの貿易で築いた財で欧州の金銀銅の鉱山を次々に買収し莫大な利益を獲得。「フッガー家の時代」を築いた。神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世、カール5世や教皇レオ10世と癒着した。

【ドナト・ブラマンテ】
15C-16C初、イタリアの盛期ルネサンスの建築家。ローマ建築を再構成して古典主義建築を創始した。1492年以降ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会を改築。1503年教皇ユリウス2世にサン・ピエトロ大聖堂の改築を命じられるが計画どまりに終わった。

【マサッチオ】
15Cイタリア人画家。写実的な人物表現や空間把握などでルネサンス初期の画風を革新。透視図法や消失点、明暗法、空気遠近法などの新しい技術を使用。代表作はサンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂の「貢の銭」、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の「聖三位一体」。

【フラ・アンジェリコ】
15Cルネサンス初期イタリアの画家。フィレンツェで活躍。ドミニコ修道士として生きる傍ら清純で静謐な宗教画を残した。壮麗なゴシック絵画に空間・人体の三次元的描写などのルネサンス的要素を加えた。代表作はサン・マルコ修道院の「受胎告知」、「聖者と聖母子」など。

【ベアトリーチェ・ポルティナーリ】♀
13Cフィレンツェの女性。ダンテ・アリギエーリは1274年9歳の時、祭りで出会った彼女の少女美に魂を奪われた。83年再会、ダンテは一方的に恋するが実らず互いに別の配偶者と結婚。90年24歳で死去。ダンテは「新生」「神曲」に彼女を描いた。

【フマーユーン】
16Cムガル帝国の第2代君主(位1530-40、55-56)。父はバーブル、子はアクバル。40年シェール・シャー率いるアフガン系スール人の勢力に敗れ一時帝国は瓦解。55年サファヴィー朝の軍事的支援を受けてインドを奪回。壮麗な彼の廟はインド・イスラーム建築の代表。

【ムラト3世】
16Cオスマン帝国第12代皇帝(位1574-95)。スレイマン1世の孫でセリム2世の子。ハレムに入り浸り、ソコルル・メフメト・パシャやヴェネチア出身の妃サフィエ・スルタンが政治を補佐した。12年におよぶサファヴィー朝との戦争に勝利したが戦費と宮廷費で財政は悪化。

【ムラト1世】
14Cオスマン帝国第3代皇帝(位1360-89)。1363年ビザンツ帝国のアドリアノープル(エディルネ)を攻略し69年遷都。89年セルビアのラザル・フレベリャノヴィチ候率いる諸侯軍を破り(コソボの戦い)ドナウ川以南の支配権を確立。直後に殺害。イェニチェリの創設者。

【ラームカムヘーン】
13Cタイ、スコータイ王朝最盛期の王。建国者シー・インタラーティットの子。タイ史上3人いるマハーラート(大王)の最初の1人。王国の領域を拡大。留学僧を保護しセイロン島から上座部仏教を移入。タイ文字を創製し碑文を残す。元から陶工を招き、宋胡禄焼きの製造を開始。

【李滉】
16C朝鮮の朱子学者。李退渓。「東方の小朱子」。士林派の両班階級。李珥と並んで二大儒と称される。1560年陶山書院を開く。主理説を唱える彼の弟子は嶺南学派と呼ばれ、主気説を唱える李珥の機湖学派と対立した。林羅山、山崎闇斎ら日本の朱子学者にも影響を与えた。

【ヘシェン】
18C清の官僚。和珅。乾隆帝、嘉慶帝の二帝に仕えたが、軍機大臣として官軍を私兵化して専横の限りを尽くし、収賄で巨万の富を築いた。乾隆太上皇帝が死去すると弾劾され、嘉慶帝に自害を命じられた。死後に没収された資産は清の財政収入の10倍を超えたという。

【文徴明】
15C末-16C明代中期の文人。文衡山。詩書画に巧みで三絶と称された。画人としては江南中心の呉派の代表で、明代四大家の一人。少年期に父の友人であった沈周に絵を学ぶ。代表作は「江南春図」など。堅物とも言われる高潔温順な努力家として知られる。88歳の長寿をまっとう。

【羅貫中】
14C元末明初の文人で、「三国志演義」の作者とされる人物。経歴はほとんど不詳。元代に成立した説話本「三国志平話」から荒唐無稽な部分を排し、陳寿の「三国志」などの歴史書に即して大河小説に再構成した。他に「平妖伝」など。「水滸伝」の共同作者とも。いずれも懐疑的な説あり。

【メアリー・ステュアート】
16Cステュアート朝のスコットランド女王(位1542-67)。英国王ジェームズ1世の母。生後すぐに即位。59-60年フランス王妃。不行跡を非難され67年退位。エリザベス1世廃位の陰謀に関係したとして87年処刑。波乱の生涯は多くの作品の題材となった。

【リチャード3世】
15Cヨーク家の英国王(位1452-85)。甥のエドワード5世を打倒して即位。85年ボズワースの戦いでランカスター派のヘンリー・テューダー(ヘンリー8世)に敗れ戦死。テューダー朝が創始され薔薇戦争は終結。ウィリアム・シェイクスピアの史劇で悪役の印象が定着。

【ヘンリー4世】
14C末-15C初ランカスター朝最初の英国王(位1399-1413)。ジョン・オブ・ゴーントの子。1399年従兄のリチャード2世を打倒しロンドン塔に幽閉。議会の承認を得て即位した。父が保護したジョン・ウィクリフを奉ずるロラード派を弾圧。百年戦争の休戦は維持した。

【ルイ11世】
15Cフランスの王(位1461-83)。慎重王。ヴァロワ朝。シャルル7世の子。父の中央集権政策を受け継ぎ、養蚕や鉱業などの産業を育成。百年戦争で荒廃したフランスを復興した。シャルル勇胆公と戦い、ブルゴーニュの大半を王領とする。国内教会への支配も強めた。

【ピーター・ワルドー】
12C-13C初フランスの宗教家。リヨンの商人から巡回説教者となりワルドー派を形成した。清貧を旨とし、聖書を重視。原始教会への回帰を目指した。1184年教皇により異端宣告される。彼の死後ワルドー派はカトリックに迫害されるが後にプロテスタントの先駆とされる。

【トマス・ベケット】
12C英国の聖職者。カンタベリー大司教。教会自治をめぐりヘンリー2世と対立し1164年フランスに亡命。70年和解し帰国するが国王派の騎士により大聖堂で暗殺。彼の殉教によりカンタベリー大聖堂は欧州の主要な巡礼先となり、14Cには「カンタベリー物語」が生まれる。

【ローマ教皇レオ9世】
11Cローマ教皇(位1049-54)。クリュニー修道院の影響を受け教会改革を行い、聖職売買と聖職者妻帯を厳に戒めた。教皇首位権を巡ってコンスタンディヌーポリ総主教ミハイル1世と対立。53年イタリア半島南部のノルマン人と自ら戦うが捕虜となり翌年獄死。

【ローマ教皇ヨハネス12世】
10Cローマ教皇(位955-64)。周辺諸侯と戦った際、東フランク王国のオットー1世に救援を要請。見返りとして962年オットーに対し「ローマ皇帝」の帝冠を与えた(神聖ローマ帝国成立)。まもなくオットーと対立し廃位された。教皇の権威は急落(鉄の時代)。

【ポーランド王ボレスワフ1世】
10C末-11C初ポーランド初代国王(位992-1025)。勇敢王。強力な騎兵隊を編成して広大な領土を征服し、ポーランドを公国から王国に昇格させた。ビザンツ帝国や後ウマイヤ朝から文化を吸収。グニェズノに大司教座を置く。デンマーク王クヌート1世は甥。

【ミェシュコ1世】
10C初代ポーランド公(位963-92)。ボレスワフ1世の父。クヌート大王の祖父。ポーランドを統一し13Cまで続くピャスト朝を創始した。異教討伐を掲げる神聖ローマ帝国の侵入を食い止めるため966年ギリシア正教からカトリックに改宗。国民のカトリック化を促した。

【東フランク王ルートヴィヒ2世】
9Cカロリング朝東フランク王国の初代王(位843-76)。ドイツ人王。ルートヴィヒ1世の三男。弟シャルル2世と結んで兄ロタール1世に対抗(ストラスブールの誓約)。843年のヴェルダン条約で東フランク王国を形成、70年メルセン条約で領土を拡張した。

【ロタール1世】
9Cフランク王(840-43)、中フランク王(43-55)。カール大帝の孫、ルートヴィヒ1世の長男。弟である東フランク王ルートヴィヒ2世と西フランク王シャルル2世に敗れ、845年ヴェルダン条約で帝国を3分。死の直前3人の子に分割相続し中フランク王国はさらに分裂。

【フランク王ルートヴィヒ1世】
9Cカロリング朝フランク王国の王(位814-40年)。敬虔王。カール大帝の子。817年父から継いだ広大な帝国を部族の伝統に従い帝国を分割相続する取り決めを行う。彼の死後長男ロタール1世、三男ルートヴィヒ2世、四男シャルル2世により帝国は分割された。

【ホノリウス】
4C末-5C前、西ローマ帝国最初の皇帝(位395-423)。10歳の時に父テオドシウス1世の遺言により兄アルカディウスと帝国を東西に分割。402年西ゴート族が侵入するとラヴェンナへ遷都。410年のローマ略奪にも対処できず、多くの属州をゲルマン人に奪われた。

【ガズナ朝のマフムード】
10C末-11C初ガズナ朝最盛期の君主(位997-1030)。999年にサーマーン朝滅亡に乗じてホラーサーン地方を支配。北インドにも繰り返し侵入しヒンドゥー寺院を略奪・破壊した。イラン文化の保護者で、フェルドウスィーは「シャー・ナーメ」を彼に献じた。

【ワリード2世】
8Cウマイヤ朝第6代カリフ(位705-15)。アブドゥルマリクの子。中央アジアからインド北部、イベリア半島、東ローマ帝国に進出して最大版図を形成した。内政面では学校や病院を多数建設。ダマスカスの聖ヨハネ聖堂をモスクに改造してウマイヤド・モスクとした。

【フサイン・イブン・アリー】
7Cシーア派第3代イマーム。第4代正統カリフ(初代イマーム)アリー・イブン・アビー・ターリブと預言者の娘ファーティマ・ザフラーの子で、第5代正統カリフ(第2代イマーム)ハサン・イブン・アリーの弟。680年カルバラーの戦いでウマイヤ朝軍に惨殺される。

【蒲寿庚】
南宋末元初の貿易商、軍人。アラブ系イスラム教徒。泉州で貿易商として大船団を率い、それを転用した福建水軍の司令官となる。南宋首脳部は彼を頼り泉州遷都を検討するが結局元に寝返り、南宋の再興は絶望的となった。元朝でクビライの海上進出に協力。泉州の空前の繁栄を導いた。

【モンケ】
モンゴル帝国の第4代皇帝(位1251-59)。チンギス・ハーンの末子トルイの長男でクビライの兄。1248年グユクが死ぬとバトゥの支持を受けてク即位。オゴデイ家やチャガタイ家の反対派を粛清。フレグを中東に派遣し58年アッバース朝を滅ぼす。自ら南宋遠征に出たが四川で病没。

【文天祥】
13C南宋末期の軍人。モンゴル帝国軍との戦いに活躍するが賈似道とは対立。臨安陥落後もゲリラ的に抵抗を続けた。1278年に捕えられて大都へ連行。クビライはその才を惜しんだが宋朝への忠節を守ったため83年処刑された。後世忠臣の鑑として称えられ、日本の尊王思想にも好まれた。

【陸游】
12C-13C初、南宋の官僚、詩人。陸放翁。南宋四大家の1人。強硬な対金強硬論者で、中央での任官と蜀地方での隠棲を繰り返した。詩風には、愛国的な詩と田園生活を詠じた詩の二つの側面がある。「入蜀記」は紀行文の圧巻とされる。現存する詩は約9200首を数える。朱熹とも親交。

【方臘】
12C前北宋末期の反乱指導者。漆園の経営者でマニ教系の秘密結社「喫菜事魔」の指導者であったが、花石綱事件をはじめとする徽宗の政治に対する不満を背景に1120年江南地方で反乱を起こした。北宋は遼攻撃を延期して禁軍を派遣し鎮圧した。「水滸伝」の登場人物としてもしられる。

【陸羽】
8C-9C初唐代の文筆家。孤児として苦学を重ね顔真卿に詩集編纂への協力を求められるようになった。当時の茶に関する知識を網羅した「茶経」で知られる。これは飲茶の普及を助長し、茶商人からは「茶伸」と崇められた。岡倉天心は彼を茶道の元祖とする。

【唐の武宗】
9C唐の第18代皇帝(位840-46)。李徳裕を宰相に起用し宦官や藩鎮の抑制に努めた。道教を尊ぶ一方で三武一宗の廃仏の中でも最大とされる会昌の廃仏を行った。肥大化した教団から荘園を没収し、貨幣用の銅が仏像に使われることを防いだとの説も。唐代三夷教も弾圧され消滅した。

【楊国忠】
8C唐の官僚。楊貴妃の親族で、楊貴妃の姉・虢国夫人の愛人であった。玄宗に評価され751年宰相となる。財政に明るい一方南詔遠征の失敗を隠すなど専横が目立った。節度使の安禄山と対立。755年安禄山が楊国忠排除を掲げて安史の乱を起こす。皇帝につき従い逃亡中に兵士に殺された。

【文成公主】♀
7C唐の皇女。「チベット仏教の母」。640年技術者集団をともなって吐蕃のグンソングンツェン王に降嫁。42年夫が急死。服喪後復位した父王ソンツェン・ガンポと再婚。中国の文物をチベットに伝えたがとりわけ仏教を崇拝しラサにラモチェ寺を建立。チベット仏教成立に寄与した。

【劉裕】
5C南朝の宋の初代皇帝(位420-22)。儒教秩序の凋落と下克上の風潮を象徴する人物。東晋の軍人、宰相として東晋最後の北伐(10-17)などに活躍。13年華北からの避難民を戸籍登録する「義熙の土断」を行う。東晋の皇族を殺戮して20年皇帝に即位し宋を建国した。

【苻堅】
4C五胡十六国時代、氐族の国:前秦の第3代皇帝(位357-85)。世祖。王猛を重用して農耕と儒教を重視し、漢人の支持を得て華北統一に成功。中国統一を目指して378年以降大軍を南下させ東晋に挑んだが83年淝水の戦いで大敗。統治は一気に崩壊し85年羌族の後秦に打倒された。

【曹叡】
3C中国三国時代魏の第2代皇帝(位226-39)。明帝。曹操の孫で、曹丕(文帝)の子。司馬懿、曹真、陳羣らの補佐を受け、蜀・呉との天下三分を維持した。238年司馬懿に命じて遼東の公孫淵を討伐。東方の諸民族との関係を強化し、39年邪馬台国の卑弥呼を「親魏倭王」に任じた。

【蒙恬】
前3C秦の将軍。始皇帝に重用され、始皇帝の長男扶蘇の指揮下にあった。前215年30万の軍を率いての匈奴征伐を指揮し勝利。長城、直道の築造も担当した。前210年始皇帝の死後、胡亥(二世皇帝)を擁立した丞相の李斯と宦官の趙高の策謀によって扶蘇とともに自殺に追い込まれた。

【呂不韋】
前3C中国戦国時代秦の官僚。始皇帝の父・荘襄王が公子の頃から支援し、前250年秦王とすることに成功し宰相となる。始皇帝の母・趙姫は元々彼の愛人であり、始皇帝の実父とする説がある。後に政王(始皇帝)に危ぶまれ粛清。彼が荘襄王に出会った故事から好機を「奇貨」と言う。

【ルクレティウス】
前1C共和政ローマ期の詩人、エピクロス派の哲学者。詩「事物の本性について」を著した。自然や死に対する恐怖が神を生んだとして唯物論的自然哲学と無神論を説いた。15Cポッジョ・ブラッチョリーニがドイツの修道院で同書の写本を発見。ルネサンス思想に大きな影響を与えた。

【ピラト】
1Cローマ帝国のユダヤ属州総督(任26-36)。30年ごろ、サンヘドリン(ユダヤ最高法院)が死刑を決定したナザレのイエスを審問した末、釈放を試みるが、群集の求めに屈して十字架刑を命じた。コプト正教会の伝承では罪を悔いキリスト教に改宗したとして聖人とされる。

【イスカリオテのユダ】
使徒の一人。「新約聖書」によると教団の会計係で、祭司長たちに自ら持ちかけ、キスでイエスを示して引き渡した。銀貨三十枚を得たが、悔いて首を吊って自殺したという。ところが外典「ユダの福音書」によるとイエスが最も信頼する彼に「裏切り」を指示したという。

【使徒ヨハネ】
使徒の一人。兄は使徒ヤコブ。兄とガリラヤ湖で漁師をしていたが、イエスと出会い最初の弟子の一人となった。ペトロとともに初代教会を指導。聖母マリアを連れエフェソスに移住。キリスト教では「新約聖書」中の「ヨハネの黙示録」「ヨハネによる福音書」などの記者とされる。

【イエスの母マリア】
イエス・キリストの母。前4頃ナザレでヨセフとの結婚前にイエスを身籠り出産した。イエス磔刑の後晩年は使徒ヨハネとエフェソスで余生を送ったとされる。キリスト教ではイエスを処女懐胎した聖母とされる。カトリックでは原罪のない人とされるが、マリア崇拝は禁じられている。

【洗礼者ヨハネ】
「新約聖書」に登場する預言者。ヨルダン川河畔の荒野で救世主の到来を主張し、イエスの教義を先駆けるような教えを説いていた。ヨルダン川でイエスらに洗礼(バプテスマ)を授けた。ヘロデ・アンティパスの結婚を非難したため処刑された。彼をエッセネ派の修道者とする説もある。

【ヘロデ・アンティパス】
ローマ支配下のガリラヤとペレアの領主(位:前4-39)。ヘロデ大王の子で他の兄弟と父王の領地を四分割した。ヘロディアとの結婚を洗礼者ヨハネに非難した処刑したが、「新約聖書」ではこれを義娘サロメの要求によるとする。39年カリグラ帝によりガリアに追放。

【ヘロデ大王】
ローマ支配下のユダヤ王(位:前37-前4)。ローマの後ろ盾でハスモン朝を破って王位に就くと、エルサレムのヘロデ神殿、カイサリア・マリティマ、マサダ要塞、ヘロディウム要塞などの大建築を行った。「新約聖書」ではイエス生誕時にベツレヘムの幼児虐殺を命じた人物とされる。

【ヘロフィロス】
前4C-前3Cヘレニズム時代の医学者。カルケドン出身。アレクサンドリアのムセイオンで人体に対する解剖学的研究を行ない、脳神経、眼球、臓器についての先駆的な解明を行った。多数の囚人を人体実験に用いたとも。著作は散逸したが、ローマ時代の医学書に頻繁に引用されている。

【ポリュクレイトス】
前5C-前4C古代ギリシアのブロンズ像彫刻家。アルゴス出身。現存作品はないが、ローマ時代の大理石複製が残る。人体各部の最も美しい比例を数的に算出し「カノン」を著わした。代表作は「ドリュポーロス」(槍を持つ男)、「ディアドゥメノス 」(勝利の紐を頭に結ぶ男)。

【ミレトスのヘカタイオス】
前6C-前5C古代ギリシア、ミレトスの歴史家。ペルシア戦争前後には外交面で活躍。イオニアの反乱に反対。ヨーロッパ、アジア、アフリカが描かれた円盤状の世界地図が付された「世界概観」で知られる。「系譜」では神話と事実の混同を批判しヘロドトスに影響を与えた。

【レオニダス1世】
前5Cペルシア戦争期のスパルタ王(位:前489-80)。前480年わずかな兵を率いてクセルクセス1世率いるアケメネス朝の大軍を隘路で迎撃し、奮戦するが敗北して戦死した(テルモピュライの戦い)。2007年の映画「300 〈スリーハンドレッド〉」に描かれる。

【メンカウラー】
エジプト第4王朝のファラオ(位:前2532-04)。父はカフラー。ギザの第3ピラミッドを建造した。他の2つのピラミッドと比較してはるかに小さく、財政の逼迫がうかがえる。1837年玄室から遺体の一部が発見されたが、大英博物館への輸送中に船が沈没し行方不明となった。

【メネス】
おおむね紀元前3000年頃の古代エジプトのファラオ。伝承によると上下エジプトを統一し、第1王朝を興した。首都としてメンフィスを建設したとも。1898年に発見された「ナルメルのパレット」に記載されたナルメル王またはその子ホル・アハと同一人物であるとする説がある。
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