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2016.09.02 (Fri)

【マザー・テレサ】
20Cカトリック教会の修道女。本名アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ。1929年インドに赴きカルカッタで貧民のための活動を開始。50年修道会「神の愛の宣教者会」を創立し「死を待つ人々の家」を設立。60年代以降活動は世界規模に拡大していく。79年ノーベル平和賞。

【マーガレット・サンガー】
20C米国の社会活動家。貧困の根絶には計画的な出産が不可欠だと考え、避妊による産児制限運動を推進した。1910年代には激しい攻撃の対象となったが、30年代には運動は全米に拡大した。性と生殖に関する女性の自己決定権(リプロダクティブ・ライツ)運動の先駆。

【アルベルト・シュヴァイツァー】
20Cドイツ出身の医師。「密林の聖者」。1913年仏領ガボン植民地のランバレネで医療活動とキリスト教伝道を開始。以後90歳で死去するまで同地で活動を続けた。生命尊重のヒューマニズムを訴え、反戦・反核運動にも尽力。52年ノーベル平和賞。

【ヘレン・ケラー】
19C末-20C米国の女性。社会活動家。盲聾者。7歳の時家庭教師アン・サリヴァンと出会い触読と発声による意思疎通が可能に。1904年大学を卒業。09年アメリカ社会党に入党。広範な人権擁護活動に尽力。68年に死去するまで世界を歴訪し著作と講演で人々を勇気づけた。

【グレース・ケリー】
20C米国の女優、モナコ大公妃。1951年22歳でハリウッドデビュー。気品に満ちた美貌は「クール・ビューティー」と賛美された。アルフレッド・ヒッチコックに評価され「裏窓」等でヒロイン。「喝采」でアカデミー主演女優賞。56年モナコ大公レーニエ3世と結婚。

【マリリン・モンロー】
20C米国の映画女優。官能的な肉体美で1950年代のセックス・シンボルとなる。奔放で不安定な私生活でも知られ、54年プロ野球選手のジョー・ディマジオと、56年には劇作家のアーサー・ミラーと結婚。ジョン・F・ケネディ大統領とも関係。62年自宅で不審な死。

【アラム・ハチャトゥリアン】
20Cソ連の作曲家、指揮者。グルジア出身のアルメニア人。集団農場を舞台にしたバレエ作品「ガイーヌ」の中の「剣の舞」は日本でもBGMに多用される。ミハイル・レールモントフの戯曲「仮面舞踏会」に付した劇音楽でも知られる。1948年ジダーノフ批判の対象に。

【ドミートリイ・ショスタコーヴィチ】
20Cソ連の作曲家。交響曲の大家。1936年オペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を共産党機関紙プラウダが批判。古典に回帰した「交響曲第5番」で名誉回復。西側ではプロパガンダ作曲家と見られていたが、知られざる体制との葛藤が死後明かされた。

【セルゲイ・プロコフィエフ】
20Cソ連の作曲家。バレエ組曲「ロメオとジュリエット」など多数の傑作を残す。ロシア革命後約20年間海外で生活するが、1936年の帰国後は自由を奪われ、48年ジダーノフ批判の対象となり、妻リーナは強制収容される。ヨシフ・スターリンと同日に死去。

【イーゴリ・ストラヴィンスキー】
20Cロシアの作曲家。ロシア・バレエ団の主宰者セルゲイ・ディアギレフに依頼されて1910-13年「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」を作曲し大反響を呼ぶ。革命後は亡命生活を送ったが62年ソ連を訪問。ココ・シャネルと不倫関係でも知られる。

【リヒャルト・シュトラウス】
19C後-20C前ドイツの作曲家。交響詩の傑作を多数残した後期ロマン派の巨匠。ナチス政権下で帝国音楽院総裁。「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭部は最もよく知られる。他に「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、オペラ「サロメ」など。

【パウル・ヒンデミット】
20Cドイツの作曲家。ロマン主義を嫌い、ノイエ・ザッハリヒカイト(新即物主義)と呼ばれた。代表作はドイツ農民戦争を描いたオペラ「画家マティス」と同名の交響曲。ナチス政権下で「退廃音楽」として弾圧を受け、指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが擁護した。

【ダリウス・ミヨー】
20Cフランスの作曲家。フランス6人組の一人。ユダヤ人。ブラジルでラテン音楽を、米国でジャズを吸収。印象主義を嫌い新古典主義的を推進。多種多様な作品を残したが、ピアノ組曲「スカラムーシュ」がよく知られる。小児麻痺による身体障害のため車いすを使用していた。

【アルテュール・オネゲル】
20Cフランスの作曲家。両親はスイス人。新古典主義の音楽集団「フランス6人組」の一員。劇付随音楽、歌曲、交響曲、映画音楽などで傑作を生んだ。スイス民謡を取り入れた交響曲第4番「バーゼルの喜び」はスイス人パウル・ザッハーの指揮で1947年バーゼルで初演。

【モーリス・ラヴェル】
19C末-20C前フランスの作曲家。バスク人。「オーケストレーションの天才」。代表作はディエゴ・ベラスケスの絵から着想した「亡き王女のためのパヴァーヌ」やバレエ音楽「ボレロ」など。モデスト・ムソルグスキーのピアノ組曲「展覧会の絵」のオーケストラ編曲も有名。

【ジャコモ・プッチーニ】
19C後-20C前イタリアの作曲家。大衆的なメロドラマ・オペラで知られる。代表作は貧しい芸術家たちの青春を描く「ラ・ボエーム」、画家と歌手の悲恋「トスカ」、長崎を舞台にした藩士令嬢と米海軍士官の悲恋「蝶々夫人」。「トゥーランドット」は遺作となった。

【ル・コルビュジエ】
20Cフランスの建築家。スイス出身。「住宅は住むための機械である」としてモダニズム建築を推進。鉄筋コンクリートの平滑な壁面、ピロティ、屋上庭園が特徴。超高層ビルと空地による都市計画を提唱。代表作は「サヴォワ邸」「ユニテ・ダビタシオン」「国立西洋美術館」など。

【ヴァルター・グロピウス】
20Cドイツの建築家。鉄とガラスを用いた機能的で統一的なデザインを標榜するモダニズム建築の代表。1919年建築・美術学校「バウハウス」を設立。20年代集合住宅(ジードルング)を数多く手がけ、世界の集合住宅のモデルとなった。ナチス政権成立後亡命。

【アントニ・ガウディ】
19C後-20C前、スペインの建築家。アール・ヌーヴォーの影響を受けたカタルーニャ・モデルニスモの代表者。曲線を多用した生物的建築を得意とし、科学技術の時代にあって「構造は自然から学ぶ」と主張した。生涯の仕事としたサグラダ・ファミリアは現在も工事継続中。

【イサム・ノグチ】
20C米国の芸術家。ロサンゼルス出身。父は詩人の野口米次郎。妻は李香蘭こと山口淑子。1923年頃から日米をまたにかけ彫刻家、舞台芸術家として活躍するが、第二次世界大戦中はアリゾナ州の日系人強制収容所に収容された。シンプルを追求した家具のデザインでも知られる。

【アルフォンス・ミュシャ】
19C後-20C初チェコの画家。アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナー。1890年代女優サラ・ベルナールのポスターで成功。女性と繊細な装飾の組み合わせが特徴。1910-30年20点の連作絵画「スラヴ叙事詩」を制作。39年ナチス占領下に死去。

【マルク・シャガール】
20Cロシア出身、フランスの画家。ユダヤ人。幻想的でファンタジックな絵画を得意とした。1964年ヘブライ大学付属病院内のシナゴーグに「イスラエル12部族のステンドグラス」を制作。亡き妻を偲ぶ「彼女を巡って」「家族の面影」により「愛の画家」とも呼ばれる。

【モーリス・ユトリロ】
20Cフランスの画家。アルコール依存症治療の一環として始めた描画が評価された。歌酒場ラパン・アジルやサクレ・クール寺院などパリのモンマルトルの風景を好んで描いたが、人影がないのが特徴。白にこだわり、絵の具に漆喰や石膏を混ぜて風合いを出した。

【マリー・ローランサン】♀
20Cフランスの画家。「狂騒の20年代」を体現した画家とされる。淡い色調と人形のようなリリカルな少女画が特徴。代表作は「三人の少女」など。ココ・シャネルの肖像画も残る。詩人ギヨーム・アポリネールとの恋愛でも知られる。堀口大學とも親交。

【アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック】
19C後-20C初フランスの画家。パリでダンスホールや酒場に入り浸り、娼婦を好んで題材にした。代表作は「ムーラン・ルージュにて」など。ポスターのデザインでも知られる。少年期に大腿骨を骨折して脚の成長が止まった身体障害者であった。

【ジョルジュ・ルオー】
19C末-20Cフランスの画家。野獣派。ステンドグラス職人の経験があり、黒く太い輪郭線と厚塗りの色彩美による骨太の作風が特徴。代表作はパリ郊外の幼子を連れた貧しい母親をキリストの姿に描いた「郊外のキリスト」など。日本で特に人気があり、白樺派が共感を示した。

【マックス・エルンスト】
20Cのドイツ人画家。1921年からはパリに移住して53年フランスに帰化。ダダイスムを経てシュルレアリスムの代表的な画家となった。神秘主義の影響を受けた不気味で幻想的な画風が特徴。37年ナチスドイツの「退廃芸術展」で誹謗された芸術家の一人。

【ワシリー・カンディンスキー】
19C後-20C前ロシア出身の画家。色彩で全ての表現しようと試み、抽象絵画の創始者となった。前衛芸術を「革命的」と評価したウラジーミル・レーニン時代のソ連芸術界において主要な位置を占めた。37年ナチスドイツの「退廃芸術展」で誹謗された芸術家の一人。

【ジョルジュ・ブラック】
20Cフランスの画家。パブロ・ピカソと並ぶキュビスムの創始者。工場町レスタックの風景を巨大な立方体群によって表現した「レスタックの風景」は、キュビスムという名称の由来となった。第一次世界大戦後はキュビズムと決別し独自の道を歩んだ。楽器を好んで描いた。

【エドヴァルド・ムンク】
19C後-20C前ノルウェーの画家。幼少期に母と姉を結核で失う。死への不安や孤独、嫉妬、狂気などの感情を極度にデフォルメされた人物に描く表現主義的な画風。実際に体験した幻覚を描いた「叫び」が最もよく知られる。他に多感で不安定な少女のヌード「思春期」など。

【ウォルター・リップマン】
20C米国のジャーナリスト。47年著書のタイトルに「冷戦」の語を使用したためそれが定着した。ベトナム戦争に反対し、リンドン・ジョンソン政権と論争(リップマン戦争)。主著は「世論」。人々が認識しているのは様々なバイアスのかかった疑似環境であるとした。

【マーシャル・マクルーハン】
20Cはカナダ出身の文明批評家。斬新なメディア論で知られ「メディアはメッセージである」と主張。メディアの発達が「地球村」を作り出すと予言。62年「グーテンベルクの銀河系」で活字文化が抑圧していた人間性をメディアが解放するとし、活字文化を批判した。

【ノーマン・メイラー】
20C-21C初米国のノンフィクション作家。1944年陸軍に入隊しレイテ島の戦いとルソン島の戦いに従軍。この体験を下に48年代表作「裸者と死者」を刊行。58年映画化。他に「なぜぼくらはヴェトナムへ行くのか?」「夜の軍隊」「マリリン―性と愛の神話」など。

【アガサ・クリスティ】
20C英国の推理小説家。「ミステリーの女王」。「名探偵ポアロ」、「ミス・マープル」などの名物シリーズで世界のファンに愛されている。1930年にバグダードまで旅行した体験から着想を得た「オリエント急行殺人事件」、狂気の完全犯罪「そして誰もいなくなった」など。

【ヨゼフ・チャペック】
20C前、チェコの画家、作家。カレル・チャペックの兄。1916年から弟とチャペック兄弟として活動。主に弟の著作の装丁や挿絵を担当。風刺漫画でアドルフ・ヒトラーを批判。チェコスロバキア解体後の39年に逮捕・収監され、45年ベルゲン・ベルゼン強制収容所で死去。

【カレル・チャペック】
20C前、チェコの作家。兄はヨゼフ・チャペック。戯曲「R.U.R.」で人造人間を指す「ロボット」という用語を初めて使用。「山椒魚戦争」でアドルフ・ヒトラーとナチズムを痛烈に批判。童話や随筆、伝記にも傑作。1938年チェコスロバキア解体の直前に死去。

【オルダス・ハクスリー】
20C英国の著作家。祖父はトーマス・ハクスリー。1932年SFディストピア小説「すばらしい新世界」で近未来の統制社会を描いた。その後神秘主義に傾倒。「知覚の扉」ではメスカリンの服用体験を記し、サイケデリック・ロックなどのドラッグカルチャーに影響を与えた。

【ハーバート・ジョージ・ウェルズ】
19C末-20C前英国の作家。ジュール・ヴェルヌと並ぶ「SFの父」。代表作は「タイム・マシン」「透明人間」「宇宙戦争」。1914年の「解放された世界」には核兵器が登場する。一時フェビアン協会に参加。世界国家や軍備放棄を提唱した理想主義者。

【イアン・フレミング】
20C英国の冒険小説家。第二次世界大戦中は軍の諜報員としてスペインの参戦を阻止する「ゴールデンアイ作戦」を指揮。1953年の「カジノ・ロワイヤル」を皮切りにスパイ小説「ジェームズ・ボンド(エージェント007)」シリーズを執筆。シリーズは62年以降映画化。

【ホルヘ・ルイス・ボルヘス】
20Cアルゼンチンの作家。簡潔な文章で異常な世界を描く短編が特徴。代表作は架空の世界が現実に侵食する「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」、すべての本を所蔵する「バベルの図書館」などの短編を納めた「伝奇集」。フアン・ペロン政権に迫害された。

【ベルトルト・ブレヒト】
20Cドイツの劇作家。共産主義者。感情移入を否定する「叙事的演劇」を提唱した。1922年スパルタクス団蜂起を題材にした「夜うつ太鼓」で成功。米国亡命を経て戦後は東ドイツに居住。代表作は他に「三文オペラ」「肝っ玉お母とその子供たち」「ガリレイの生涯」など。

【サミュエル・ベケット】
20Cフランスの劇作家。アイルランド出身。不条理演劇を代表する作家。青年時代パリで同郷のジェイムズ・ジョイスと親交。孤独な現代人を描出した「ゴドーを待ちながら」は日本映画「桐島、部活やめるってよ」に影響したとも。1969年ノーベル文学賞。

【ガブリエル・ガルシア=マルケス】
20C-21Cコロンビアの作家。67年架空の都市「マコンド」の盛衰を描いた「百年の孤独」で世界に中南米文学ブームを巻き起こす。75年パブロ・ネルーダを死に追いやったチリの独裁者アウグスト・ピノチェトを風刺する「族長の秋」。82年ノーベル文学賞。

【アレクサンドル・ソルジェニーツィン】
ソ連の作家。1945年ヨシフ・スターリンを批判したとして強制労働収容所に送られ8年服役。「収容所群島」「イワン・デニーソヴィチの一日」でソ連の内情を世界に伝えた。70年ノーベル文学賞。ニキータ・フルシチョフに擁護されたが74年国外追放。

【ボリス・パステルナーク】
20Cソ連の作家。代表作はロシア革命に翻弄されるユーリー・ジバゴ医師と恋人ララの運命を描いた大河小説「ドクトル・ジバゴ」。本国では発表できず、1957年イタリアで刊行され世界的に知られた。58年ノーベル文学賞に選出されるがソ連政府が辞退を強制した。

【アーサー・ミラー】
20C-21C初米国の劇作家。代表作は競争社会、親子の断絶、若者の挫折を描く「セールスマンの死」。エリア・カザン演出で1949年の初演以来ロングランを続ける。53年「るつぼ」で魔女狩りに仮託してマッカーシズムを批判。56-61年マリリン・モンローの夫だった。

【テネシー・ウィリアムズ】
20C米国南部出身の劇作家。精神を病んだ姉への愛と、姉にロボトミー手術を許可した両親への不信を基にした自伝的作品「ガラスの動物園」(44)で成功。同性愛者で、複数の作品に同性愛が登場する。他に「熱いトタン屋根の猫」「欲望という名の電車」など。

【J・D・サリンジャー】
20C-21C初米国の作家。40年頃から小説を発表。44年ノルマンディー上陸作戦に参加。50年無垢でデリケートな少年の疎外感を描いた「ライ麦畑でつかまえて」を発表、世界的ベストセラーとなる。65年以降は作品を発表せず、ひっそりと後半生を送った。

【ジョン・ドス・パソス】
20C米国の作家、画家。ポルトガル系。両大戦間期の潮流を作った悲観的で冷笑的な「失われた世代」の一人。代表作は「北緯四十二度線」「一九一九年」「ビッグ・マネー」からなる「U・S・A」三部作。政治的には一時社会主義に共鳴したが、のちに批判に転じた。

【ウィリアム・フォークナー】
20C米国の小説家。第一次世界大戦に従軍。両大戦間期に活躍した「失われた世代」を代表する作家。重層的な独白など難解で実験的な手法で人間心理を描いた。「響きと怒り」「八月の光」など多くの代表作はヨクナパトーファ郡という南部の架空の田舎町を舞台とする。

【F・スコット・フィッツジェラルド】
20C米国の小説家。「ジャズ・エイジの桂冠詩人」。第一次世界大戦に従軍。両大戦間期の繁栄と空虚感を描き「失われた世代」を代表する作家となる。代表作は「楽園のこちら側」「グレート・ギャツビー」。妻ゼルダ・セイヤーは奔放なフラッパーの象徴となる。

【ヘンリー・ミラー】
20C米国の小説家。過激な性描写と自己中心的な世界観で知られる。1934年パリの堕落した人間模様を描く自伝的小説「北回帰線」をフランスで刊行し成功するが、米国では性表現により長らく発禁処分にあった。67年75歳のときに30歳の日本人ジャズ歌手ホキ徳田と結婚。

【マーガレット・ミッチェル】♀
20C米国の小説家。ジョージア州アトランタ出身。南北戦争期を生きる気性の激しい南部の女性スカーレット・オハラの半生を描く長編時代小説「風と共に去りぬ」を執筆。1936年刊行。たちまち世界的ベストセラーとなり39年に映画化された。49年交通事故死。

【ジョン・スタインベック】
20C米国の作家。1921年大学を休学して季節労働者を経験。それを基に貧しい労働者の悲哀を題材にした作品を多く残した。「二十日鼠と人間」「怒りの葡萄」では1930年代の米国資本主義の暗部を描写。「エデンの東」で父子の葛藤を描く。62年ノーベル文学賞。

【ウジェーヌ・イヨネスコ】
20Cフランスの劇作家。ルーマニア出身。不条理劇の代表的作家。ニコラ・バタイユが演出した「禿の女歌手」はロングランとなった。「犀」ではファシズムをサイの大群に象徴させ、それに飲み込まれていく人々を描いた。共産主義とそれを擁護する知識人を厳しく批判した。

【マルグリット・ユルスナール】♀
20Cフランスの作家。代表作は「源氏物語」を含む東洋の伝承を翻案した作品集「東方綺譚」、架空の自伝「ハドリアヌス帝の回想」、錬金術師ゼノンの冒険「黒の過程」など。主人公は同性愛者が圧倒的に多い。三島由紀夫についての評論も知られる。バイセクシャル。

【フランソワーズ・サガン】
20C-21C初フランスの女性作家。1954年、18歳のときに処女作「悲しみよこんにちは」を出版。少女のほろ苦いひと夏を描き、世界的なベストセラーとなった。薬物依存やスピード狂など破天荒で破滅的な私生活でも知られる。他に「ブラームスはお好き」など。

【アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ】
20C前フランスの作家。飛行士としての体験を基にした「夜間飛行」「人間の土地」で成功。1943年アメリカ亡命中に哲学的な示唆に富んだ児童文学の傑作「星の王子さま」を発表。第二次世界大戦に従軍、44年偵察任務中に地中海で消息を絶つ。

【ロジェ・マルタン・デュ・ガール】
20Cフランスの小説家。代表作は1922-40年に発表された大河小説「チボー家の人々」。20C初頭から第一次世界大戦にいたる時代のブルジョワ青年たちの葛藤を堅実な兄アントワーヌと理想主義者の弟ジャックを中心に描く。37年ノーベル文学賞。

【ジャン・ジュネ】
20Cフランスの作家。少年期から犯罪や放浪を繰り返す。1942年獄中から詩集「死刑囚」を出版。ジャン・コクトーに激賞される。49年代表作「泥棒日記」。ジャン=ポール・サルトルの「聖ジュネ」にショックを受け一時断筆。政治的にはブラックパンサー党やPLOに共鳴。

【レイモン・ラディゲ】
20C前フランスの作家。1923年19歳のときジャン・コクトーの支援で処女作「肉体の悪魔」を刊行。少年と人妻の愛を緻密な心理描写で描き大ベストセラーとなるが、同年腸チフスで夭逝。伯爵夫人と青年の恋を描く「ドルジェル伯の舞踏会」が遺作となった。

【ジャン・コクトー】
20Cフランスの詩人。詩作と並行して盟友レイモン・ラディゲとともに音楽、バレエなどのプロデュースを行い、20C初頭の前衛芸術をリードした。小説「恐るべき子供たち」。映画監督としては「詩人の血」「美女と野獣」。1963年歌手のエディット・ピアフを追って死去。

【ジャック・プレヴェール】
20Cフランスの作家。1920年代にはシュルレアリスムに共鳴するがのちに決別。シャンソンの作詞や児童文学のほか、「天井桟敷の人々」など多くの映画脚本を担当。アニメーション映画「やぶにらみの暴君」(改作「王と鳥」)はスタジオジブリにも影響を与えた。

【アンドレ・ブルトン】
20Cフランスの作家。1924年「シュルレアリスム宣言」を発し、シュルレアリスム運動を創始した。ジークムント・フロイトに強い影響を受けた、無意識や夢を重視した芸術運動で、ダダイスムを承継して20Cの大きな潮流となった。代表作は自伝小説「ナジャ」。

【アンリ・バルビュス】
20C前フランスの作家。1914-15年、41歳で第一次世界大戦に従軍。悲惨な塹壕戦の経験を基に16年反戦小説「砲火」を発表。19年から反戦運動「クラルテ運動」を展開。23年フランス共産党に入党。32年ロマン・ロランらとアムステルダム国際反戦大会を主催。

【ジャン・ジロドゥ】
20Cフランスの外交官、作家。公務の傍ら多数の戯曲を執筆した。ギリシア神話や旧約聖書を題材にした幻想的で難解な世界で現代社会を暗喩した。1926年外務省の恩人の失脚事件を小説「ベラ」に描く。44年占領下のパリで死去。「オンディーヌ」は世界的に上演される。

【ギヨーム・アポリネール】
フランス第三共和政時代の詩人。サド侯爵を崇拝し、暴力や性倒錯を描いた。マリー・ローランサンとの恋愛を基にした「ミラボー橋」、少年の性を描く「若きドン・ジュアンの冒険」、ルーマニア王子が性と暴力の大旅行の果てに日露戦争の戦場に至る「一万一千本の鞭」など。

【ポール・ヴァレリー】
フランス第三共和政を代表する詩人・思想家。難解で哲学的な韻文で人間精神を探求した。1896年の小説「テスト氏との一夜」以降沈黙するが、1917年「若きパルク」で復活。対独レジスタンスに参加し終戦直前に死去。シャルル・ド・ゴールの命により国葬が行われた。

【T・S・エリオット】
20C英国の詩人。米国出身。両大戦間期に隆盛したモダニズム文学の代表。世界の神話・古典を吸収し、難解で前衛的な現代詩の世界に復活させた。22年、荒廃した世界の欲望と死を描いた長編詩「荒地」を発表。48年ノーベル文学賞。ミュージカル「キャッツ」の原作者。

【ヴァージニア・ウルフ】
20C英国の女性作家。両大戦間期に隆盛したモダニズム文学の代表。反戦組織ブルームズベリー・グループを主催。代表作は「ダロウェイ夫人」「灯台へ」。批評家としてはフェミニズムの先駆とも。41年、入水自殺。その最期は後に映画「めぐりあう時間たち」に描かれた。

【サマセット・モーム】
20C英国の作家。1915年自伝的小説「人間の絆」を執筆。1919年ポール・ゴーギャンをモデルにした「月と六ペンス」で成功。54年「世界の十大小説」を選出。「アシェンデン」は英国情報局の工作員として活躍した経験に基づく。生涯世界各地を旅行した。同性愛者。

【ウィリアム・バトラー・イェイツ】
19C末-20C前アイルランドの詩人、劇作家。神秘主義に傾倒してケルト神話を収集し、アイルランドの文芸復興を促した。東洋文化に通じ、日本の能を称賛した。反英独立闘争の美人闘士モード・ゴンに対する一途な恋でも知られる。23年ノーベル文学賞。

【トーマス・ハーディ】
19C後-20C前、英国の作家。20C文学の先駆とも。純情な石工の青年がインテリの従姉妹に恋する「日陰者ジュード」は1996年「日蔭のふたり」として映画化。「テス」はロマン・ポランスキーが1979年に映画化。小説が非道徳と批判され、20Cは詩作に専念。

【ヘルマン・ヘッセ】
20C前ドイツの作家。1905年少年期の挫折を基に「車輪の下」を発表。両大戦に反対したが、理想が実現しない社会に対する懐疑や絶望を「デミアン」「荒野のおおかみ」に込めた。「少年の日の思い出」は戦後日本の教科書に掲載され続けている。1946年ノーベル文学賞。

【モーリス・メーテルリンク】
19C後-20C前ベルギーの詩人、劇作家。1908年に発表した童話劇「青い鳥」は幸福に関する寓意に満ちたチルチル、ミチル兄妹の冒険物語でラストシーンはよく知られる。「ペレアスとメリザンド」はクロード・ドビュッシーがオペラ化した。11年ノーベル文学賞。

【ホセ・オルテガ・イ・ガセット】
20Cスペインの哲学者。1931年第二共和政の憲法制定に参画。スペイン内乱(35)後45年まで国外亡命。ニーチェの影響を受け、「生の理性」を標榜。堕落した大衆を批判し野心やエリート主義を肯定した。保守的自由主義者として共産主義とファシズムを批判。

【スーザン・ソンタグ】♀
20C後-21初米国リベラル派の批評家。ベトナム戦争中の1968年北ベトナムを訪問。71年作品を分析し思想の中に位置づける行為そのものを批判する「反解釈」で大反響を呼んだ。2001年911同時テロ直後の異様な愛国的空気の中で米国の覇権主義を批判。

【エドワード・サイード】
20C-21C初パレスチナ出身、米国の学者。キリスト教徒。イスラエル成立後米国に移住。1978年「オリエンタリズム」を著し、西洋人のアジアや中東に対する偏見を批判、ポストコロニアル理論を確立した。パレスチナ問題では「一国家解決」を主張しオスロ合意に反対。

【ノーム・チョムスキー】
20C-21C米国の哲学者、言語学者。「現代言語学の父」。脳に由来する諸言語に共通する文法を解明する生成文法を提唱。分析哲学、論理学の第一人者としてコンピュータ科学、数学、心理学にも影響を与えた。政治的にはアメリカの覇権主義とイスラエルを一貫して批判。

【フェルディナン・ド・ソシュール】
19C後-20C初スイスの言語学者、哲学者。「近代言語学の父」。記号論の創始者で、構造主義思想に影響を与えた。言語の内的な構造を研究。言語は記号(シーニュ)の体系でり、概念を分節し、言語を運用する能力(ランガージュ)が人間の特性であるとした。

【ジャック・デリダ】
20C-21初フランスの哲学者。アルジェリア出身のユダヤ人。ポスト構造主義の代表。西洋哲学に内在する二項対立を批判し、体系性を崩壊(脱構築)させようとした。主著に「グラマトロジーについて」(「根源の彼方に」)、「声と現象」、「エクリチュールと差異」など

【ミシェル・フーコー】
20Cフランスの哲学者。近代的理性の絶対視を常に批判。1961年「狂気の歴史」で狂気を肯定的にとらえ、精神病として排除してしまう精神医学を批判。「監獄の誕生」では規律によって精神を支配する権力の技術を分析した。84年エイズにより死去。同性愛を公言していた。

【ジョルジュ・バタイユ】
20Cフランスの思想家。フリードリヒ・ニーチェから強い影響を受けて無神論者となり、「死」と「エロス」を根源的なテーマとする多数の著作を残し、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダらポスト構造主義に影響を与えた。過激なポルノ小説「眼球譚」でも知られる。

【ヘルベルト・マルクーゼ】
20C米国の哲学者。ドイツ出身のユダヤ人。フランクフルト学派であったが1934年米国へ亡命。社会に疑問を持たない「一次元的人間」に警鐘を鳴らし、60年代の学生運動昂揚期に「新左翼の父」と呼ばれた。69年「解放論の試み」でアジア・アフリカの解放を訴えた。

【モーリス・メルロー=ポンティ】
20Cフランスの哲学者。エトムント・フッサールの影響で現象学に傾注。精神偏重の思想を批判し、生命は精神と身体の両面を持つとして現象学的身体論を展開した。身体的な知覚の根拠として「ルビンの杯」や「ミュラー・リエール直線」などの錯視に注目した。

【エトムント・フッサール】
19C末-20C前オーストリアの哲学者、数学者。ユダヤ人。現象学の創始者で実存主義にも大きな影響を与えた。数式による自然の理念化を批判し、日常的に直感される「生活世界」に基盤を置く学問を提唱。ナチス政権成立後は死去するまで活動を制限され執筆に専念した。

【ロラン・バルト】
20Cフランスの哲学者、批評家。53年「零度のエクリチュール」を発表。17C以降のフランス文学史上の書法(エクリチュール)を分析し、アルベール・カミュら20Cの文学を中性的で社会的性格を失った「零度の」エクリチュールと位置づけた。「表徴の帝国」は独自の日本論。

【シモーヌ・ド・ボーヴォワール】♀
20Cフランスの作家、哲学者。ジャン=ポール・サルトルの妻。1949年「第二の性」で「女に生まれるのではない、女になるのだ」と女性らしさを不自然で抑圧的なものであるとして批判し、ジェンダー論の基礎を作った。他に自伝的小説「レ・マンダラン」。

【シモーヌ・ヴェイユ】
20Cフランスの女性哲学者。ユダヤ人。スペイン内戦に義勇軍として参加。第二次世界大戦中に亡命先のロンドンで無名のまま死去。享年34。戦後、残されたノートから「重力と恩寵」が出版されると大反響を呼んだ。無力な自己を否定し美に屈服することに真の救いを見出した。

【チャールズ・サンダース・パース】
19C後-20C初、米国の学者。1870年頃からウィリアム・ジェームズらと「形而上学クラブ」をつくり、プラグマティズムを創始した。論理学では記号を「アイコン」「インデックス」「シンボル」に分類。生涯苦労が続き、20C後半になって評価された。

【ウィリアム・ジェームズ】
19C後-20C初米国の哲学者、心理学者。心理学を「人間の精神生活の科学」と定義。意識や情動の理論を構築した。プラグマティズムの命名者であり、代表的哲学者。永久不変の真理を否定し、人間の思考の産物で、長年修正を重ねてきた経験的知識(常識)を重視した。

【カール・ヤスパース】
ドイツの哲学者、精神科医。実存主義哲学の代表。死や苦悩など人が逃れることのできない限界状況にこそ実存への目覚めの機会があるとした。イスラエルの預言者、ギリシャ哲学者、諸子百家、釈迦らが登場した前500年前後を「枢軸時代」と呼び、現代との類似性を指摘。

【ヴィルヘルム・ディルタイ】
19C後-20C初、ドイツの哲学者。事物の原因を問う自然科学とは異なる、事物の意味を「解釈」する精神科学を構想した。ヘーゲル的な理性主義的形而上学に反対し、生活上の「体験」に基礎を置く「生の哲学」を提唱。エトムント・フッサールにも影響を与えた。

【マルティン・ハイデッガー】
20Cドイツの哲学者。1927年「存在と時間」を発表。「存在とは何か」を問い直し、人は死を自覚することで本来のあり方に立ち戻ることができると主張した。一時ナチズムに共鳴し、33年ナチス入党。戦後教職追放。ハンナ・アーレントとは長く不倫関係にあった。

【エルンスト・カッシーラー】
20C前ドイツ出身の哲学者。ユダヤ人。1929年にマルティン・ハイデッガーと「ダヴォス討論」を行なう。33年に英国に亡命、45年米国で没。新カント派。人間は象徴体系をつくって世界を構造的に知覚する「シンボリック・アニマル」であるとした。

【ハインリヒ・リッケルト】
19C後-20C前ドイツの哲学者。新カント派のうちヴィルヘルム・ヴィンデルバントと並ぶ西南ドイツ学派の代表。知るに値する事象の価値判断を行う価値哲学を提唱。普遍的法則を抽出する自然科学の手法を社会科学にも適用するマックス・ヴェーバーらに異を唱えた。

【ジャック・ラカン】
20Cフランスの哲学者、精神分析学者。フロイトの精神分析学を構造主義的に発展させ、パリ・フロイト派を主導した。新フロイト派やアンナ・フロイトの自我心理学に反対。人は幼児期の鏡像段階で自己像を認識し、成長して現実界・象徴界・想像界からなる主体性を得るとした。

【カール・グスタフ・ユング】
20Cスイスの精神科医・心理学者。分析心理学の創始者。1907年以降ジークムント・フロイトと親交し11年共同で国際精神分析協会を設立するが14年決別。性格を外向型・内向型に分類。神秘主義に傾倒し「人類の歴史が眠る宝庫」である集合的無意識を提唱した。

【ハンス・モーゲンソウ】
20Cドイツ出身米国の国際政治学者。国際政治を権力闘争とみなす現実主義学派の代表。国益を外交の行動準則とすることを提唱。世界国家の設立などの理想は、外交の復権によって実現するとした。早くからベトナム戦争の非合理性を批判。主著は「国際政治―権力と平和」。

【ルイ・アルチュセール】
20Cフランスの政治哲学者。戦後フランス共産党に入党。マルクス主義をヒューマニズムではなくあくまで「科学」としてとらえる「甦るマルクス」が世界的反響を呼んだ。支配構造を維持する「国家のイデオロギー装置」の存在を指摘。80年、精神を病んで妻を絞殺。

【ハロルド・ラスキ】
20C前英国の政治学者。ポーランド出身のユダヤ人。フェビアン協会を経て1912年労働党に入党。左派の理論的指導者となる。25年「政治学大綱」で国家の責務を個人の自己実現の「機会の保障」とした。34年のソ連訪問後マルクス主義に傾倒。戦後は社会民主主義を提唱。

【カール・マンハイム】
20C前ハンガリーの社会学者。ユダヤ人。思想と社会的状況の関係を問う知識社会学を構想。主著は「イデオロギーとユートピア」。あらゆるイデオロギーの存在拘束性を指摘。拘束から免れた「自由に浮動する知識人」を志向する一方、理想を追うユートピア思想を肯定した。

【ヨーゼフ・シュンペーター】
20C前オーストリア出身、米国の経済学者。需要と供給が均衡した状態を市場経済の沈滞ととらえ、生産・流通における画期的な革新「イノベーション」による不断の「創造的破壊」によって景気循環が発生すると説いた。金融システムによる信用創造の役割にも着目した。

【ルドルフ・ヒルファーディング】
オーストロ・マルクシズムの経済学者、医師。ウィーン出身のユダヤ人。ドイツ社会民主党の理論的指導者。1910年「金融資本論」で帝国主義時代の独占資本を分析。ワイマール共和国では閣僚を務めるが、ナチス政権成立後亡命先のフランスが占領され獄死(41)。

【ルドヴィコ・ザメンホフ】
19C後-20C前ポーランドの言語学者。ユダヤ人。中立的言語が憎悪や偏見を取り除くと信じ、人工言語エスペラントを創案した。20C前半エスペラントを国際共通語にする運動は盛り上がり、国際連盟での採用も検討された。彼の子の多くはホロコーストの犠牲となった。

【アーノルド・J・トインビー】
20C英国の歴史学者。アテネにとってのペロポネソス戦争と、イギリスにとっての第一次世界大戦を重ね「歴史は生きている」と述べた。1934-54年にかけて大著「歴史の研究」を執筆。21の文明の興亡を世界史的な観点から記述した。他「試練に立つ文明」など。

【ジョゼフ・ニーダム】
20C英国の科学史家。大著「中国の科学と文明」を残す。なぜ古くから科学技術が発達した中国で近代科学が生まれなかったかを問う「ニーダム・クエスチョン」を提示した。政治的には共産主義に共鳴し、朝鮮戦争で国連軍が生物兵器を使用したと主張。ユネスコ創設にも尽力。

【カール・ウィットフォーゲル】
20Cドイツ出身、米国の歴史学者。青年期はドイツ共産党員だったが米国に移住後は転向。中国史を研究。文明の「中心」にあたる中国、インド、中東では水利のために専制政治による計画経済が実施され、「亜周辺」にあたる西欧や日本で資本主義が発達したとした。

【ヨハン・ホイジンガ】
20C前オランダの歴史家。サンスクリット語に精通し当初はインド文明を研究。「中世の秋」でフランスとネーデルラントのルネサンスを考察。ホモ・ルーデンス」では人間の本質を「遊戯」に見出した。1943年ナチスにより収監。45年オランダ解放直前に死去。

【マルク・ブロック】
20C前フランスの歴史学者。中世史の専門家。1929年リュシアン・フェーヴルとともに「社会経済史年報(アナール)」誌を創刊しアナール学派を創始した。主著は集合幻想を扱った「王の奇跡」。第二次世界大戦中レジスタンスに参加、44年ドイツ軍に捕縛され銃殺された。

【アンリ・ピレンヌ】
19C末-20C前ベルギーの歴史家。イスラムによる包囲が中世欧州世界を生んだという「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」のテーゼで知られる。欧州資本主義の初期段階は12世紀にあるとして「商業ルネサンス」と名づけた。第一次世界大戦中ドイツ軍に非暴力で抵抗。

【ユハン・アンデショーン】
20C前中国で多大な業績を残したスウェーデンの考古学者。21年北京近郊の周口店で北京原人の化石骨を発見。河南省では新石器時代の仰韶遺跡を発掘。白、赤、黒で彩られた彩陶は東西交流の証だと信じて調査した結果、甘粛省・青海省でも彩陶を発掘した(馬家窯文化)。

【ピョートル・クズミッチ・コズロフ】
19C後-20C初ロシアの探検家。ニコライ・プルジェヴァリスキーの最後の中央アジア探検(1883-85)に随行。1909年西夏の廃都ハラ・ホト遺跡を発見、多数の西夏語、漢文書籍、貨幣、仏画を収集した。24年には匈奴の墳墓遺跡を発見。

【ポール・ペリオ】
20C前フランスの東洋学者、探検家。1900年北京で義和団の乱に遭遇。06-08年中央アジア探検。クチャでトカラ語派クチャ語の文書を発見。08年、前年に英国のオーレル・スタインがが発見した敦煌の莫高窟から価値の高い数千点を買い取ってフランスに持ち帰った。

【オーレル・スタイン】
19C末-20C前ハンガリー出身、英国の探検家。1900年タクラマカン砂漠の中心にニヤ遺跡を派遣。06年地元の道士による発見後放置されていた敦煌の仏画・仏典・古文書を大量に持ち帰る。27-38年イランを調査しインダス文明とメソポタミア文明との関係性を実証。

【トール・ヘイエルダール】
20C-21C初ノルウェーの探検家、人類学者。ポリネシア文明の起源がペルーあると信じ、1947年インカ時代の筏を模したコンティキ号でペルーからイースター島への航海実験を行いトゥアモトゥ諸島まで到達(一部曳航船を使用)。現在彼の説には否定的見解が優勢。

【ブロニスワフ・マリノフスキ】
19C後-20C英国の人類学者。ポーランド貴族出身。1914年以降英領だったニューギニア島東沖のトロブリアンド諸島で現地の人々の参与観察を行い「西太平洋の遠洋航海者」を著した。それまでの進化主義的な人類学を一変し、文化の持つ機能を重視した。

【ユーリイ・ガガーリン】
20Cソ連空軍の軍人、宇宙飛行士。1961年、世界初の有人宇宙飛行として宇宙船ボストーク1号に単身搭乗し、108分間で地球周回軌道を1周して帰還した。生還可能性の低い危険な任務だった。帰還時の階級は少佐。68年戦闘機墜落事故で死去。享年34。

【ジョン・ロジー・ベアード】
20C前英国の発明家。1920年代からテレビ開発を行い、26年初めて動画の送受信を公開実験で成功。29年BBC放送が彼の方式を採用するが、まもなくマルコーニ-EMI社の方式に取って代わられた。44年完全電子式カラーテレビ受像機を公開。

【フェルディナント・フォン・ツェッペリン】
19C-20C初ドイツの軍人、発明家。爵位は伯爵。1863年米国で気球部隊を視察。以降大型飛行船の軍事利用を構想。航空技術者テオドール・コーバーを起用して1900年に史上初の硬式飛行船が完成。すぐに量産され軍事・旅客の両面で活躍した。

【ジェームズ・ワトソン】
20C-21C米国の分子生物学者。四つの塩基とデオキシリボースとリン酸基の分子模型を用い、DNA構造を研究。フランシス・クリックらとともに二重螺旋構造を発見した。1962年ノーベル生理学・医学賞。2007年人種差別的発言で名声を失う。

【フランシス・クリック】
20C-21C初英国の科学者。物理学者だったが第二次世界大戦中は兵器開発に従事。戦後生物学に転向。ジェームズ・ワトソンとの共同研究で四つの塩基とデオキシリボース、リン酸基からなるDNAの二重螺旋構造を発見した。62年にノーベル生理学・医学賞。

【アレクサンドル・オパーリン】
20Cソ連の生化学者。化学進化説の提唱者。原始海洋に有機物の小球(コアセルベート)が誕生し、生命の起源となったと主張(現在も有力な仮説)。弁証法的唯物論を信奉し、宇宙、地球、人類の歴史を発展的にとらえた。酵素に着目し、食品工業の発展にも大きく貢献。

【アレクサンダー・フレミング】
20C英国の細菌学者。1922年細菌のペトリ皿に偶然クシャミをしたことで唾液に含まれる抗菌物質リゾチームを発見。29年にはペトリ皿に偶然生えたアオカビから世界初の抗生物質ペニシリンを発見。これは感染症治療を一変させた。45年ノーベル医学生理学賞。

【オーギュスト・フォン・ワッセルマン】
19C末-20Cドイツの細菌学者。ベルリンのコッホ研究所で研究に従事。梅毒を感染初期に診断するる梅毒血清反応(ワッセルマン反応)を発見し、その治療に画期的な成果をあげた。

【イワン・パブロフ】
19C末-20C初ロシアの生理学者。消化腺の研究を行った他、「パブロフの犬」として知られる古典的条件づけを発見し、行動主義心理学に影響を与えた。1904年ノーベル生理学・医学賞。1926年「大脳半球の働きについての講義」が出版された。

【フレデリック・ジョリオ=キュリー】
フランスの原子物理学者。マリ・キュリーの助手となり娘のイレーヌと結婚。35年ノーベル化学賞。47年フランス初の原子炉を開発。フランス共産党員で、50年代から反戦反核運動に身を投じ、ストックホルム・アピールやパグウォッシュ会議を主導した。

【イレーヌ・ジョリオ=キュリー】♀
フランスの原子物理学者。ピエール/マリ・キュリー夫妻の娘。夫のフレデリック・ジョリオ=キュリーとともにα線を用いて窒素、リン、アルミニウムの人工放射性同位体を合成した。1935年ノーベル化学賞。長年の放射能研究により56年白血病で死去。

【ジョセフ・ロートブラット】
20C-21C初ポーランド出身、英国の物理学者。マンハッタン計画に参加するが、ナチスドイツが原爆を開発していないことを知ると離脱。戦後反戦反核運動を主導。55年ラッセル=アインシュタイン宣言に署名。 パグウォッシュ会議会長。95年ノーベル平和賞。

【エドワード・テラー】
20Cハンガリー出身、米国の理論物理学者。ユダヤ人。「水爆の父」。1934年ユダヤ人救出委員会の助けでドイツを脱出。42年からマンハッタン計画に参加。この時から核融合を用いた水素爆弾の開発を主張。50年ロスアラモス国立研究所に復帰し52年水爆実験に成功。

【リチャード・P・ファインマン】
20C米国の物理学者。経路積分による原子中の電子運動の解明など量子電磁力学に大きな業績。期待値を計算する「ファインマン-カッツの公式」は、後に金融工学に応用された。1943-46年マンハッタン計画に従事。65年朝永振一郎らともにノーベル物理学賞。

【エンリコ・フェルミ】
20Cイタリアの物理学者。数量を概算する「フェルミ推定」で知られる。中性子を照射することで多くの人工放射性同位元素を作る。1938年ノーベル物理学賞。同年の米国亡命後は核分裂反応の研究に従事しマンハッタン計画に大きな役割を果たす。戦後は水爆開発に反対した。

【ロバート・オッペンハイマー】
20C米国の物理学者。ユダヤ人。「原爆の父」。陽電子、中間子、ブラックホールの解明に多大な功績を残したのち、ロスアラモス国立研究所の所長(任1943-45)としてマンハッタン計画を主導した。戦後は水爆の開発に反対。54年、赤狩りによって公職追放。

【ニールス・ボーア】
20Cデンマークの理論物理学者。マックス・プランクやアーネスト・ラザフォードの理論を基に原子構造の解明を進めた。1921年研究所を開きコペンハーゲン学派を創始。22年ノーベル物理学賞。米国亡命後43年ウラン235の核分裂を予想。原爆投下には大戦中から反対。

【アーネスト・ラザフォード】
19C末-20C前英国の物理学者。ニュージーランド出身。「原子物理学の父」。1898年、ウランから2種類の放射線(α線とβ線)が出ていることを発見。1908年ノーベル化学賞。11年原子核を発見し、原子構造が長岡半太郎の考えた構造に近いことを解明。

【マックス・プランク】
19C-20Cドイツの理論物理学者。「量子論の父」。1900年光のエネルギーがある定数の整数倍であることを発見(プランクの法則)。これは量子力学の幕開けとなった。08年アルベルト・アインシュタインの説を「相対性理論」と名付けた。1918年ノーベル物理学賞。

【アンリ・ベクレル】
19C後-20C初フランスの物理学者。前年のヴィルヘルム・レントゲンによるX線発見をヒントに1896年ウランが放出する放射線を発見。1903年キュリー夫妻とともにノーベル物理学賞。08年の急死は放射線障害が原因と思われる。放射能の単位ベクレルは彼にちなむ。

【ジョン・デスモンド・バナール】
20C英国の科学者。結晶のX線解析により炭素・金属などの結晶構造やタンパク質などの有機物の分子構造を解明した他、広範な業績を残した。政治的には英国共産党員であったが、第二次世界大戦に際してはノルマンディー海岸の地図作成など積極的に戦時協力した。

【リチャード・バード】
20C米国の探検家、海軍少将。1926年北極点上空を初めて飛行。27年チャールズ・リンドバーグに1ヶ月遅れて大西洋横断飛行に成功。29年南極点上空を初めて飛行し、南北両極への飛行に成功した。彼が「地球内部の世界」を冒険したというオカルト話は絶えない。

【エミール・ブルンナー】
20Cスイス出身のプロテスタント改革派教会の神学者。カール・バルトと共に自由主義神学を批判し弁証法神学運動を担ったが、バルトはのちに彼の神学がナチスに利用されていると考え批判した(自然神学論争)。戦後国際基督教大学教授。日本の無教会主義に感銘を受ける。

【カール・バルト】
20Cスイスのプロテスタント神学者。ナチス政権下で告白教会を組織してバルメン宣言を発表し、教会闘争を指導、ナチスを神学的に批判した。人間中心的な自由主義神学に反対して神の超越性に回帰した彼の思想は新正統主義、弁証法神学あるいは危機神学とよばれる。

【ローマ教皇ベネディクト16世】
21Cローマ教皇(位2005-13)。ドイツ出身。前代のヨハネ・パウロ2世死去に伴うコンクラーヴェで教皇選出。思想的には超保守派とされる。2009年に発覚したカトリック聖職者による児童性的虐待事件への対応を批判され、13年自ら退位した。

【ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世】
20C末-21C初ローマ教皇(位1978-2005)。「空飛ぶ教皇」。ポーランド出身で彼の存在はポーランド民主化の精神的支柱となった。81年と82年に暗殺未遂事件。過去のキリスト教の過ちを認め謝罪。他宗教との対話も進めた。イラク戦争を批判。

【ローマ教皇ヨハネ23世】
20Cローマ教皇(位1958-63)。ピウス12世死去後76歳で選出。エキュメニズム(教会一致)の立場から他教会や他宗教と対話。キューバ危機直後の1963年パーチェム・イン・テリス(平和の回勅)を発する。第2バチカン公会議開催を指示するが会期中に死去。

【ローマ教皇レオ13世】
19C後-20C初ローマ教皇(位1878-1903)。トマス・アクィナスの思想を示して信仰と科学の共存を訴え、「誤謬表」に示されたカトリック教会の姿勢を修正。回勅「レールム・ノヴァールム」で労働問題に言及、資本主義、社会主義双方を批判し階級協調を説いた。

【ジャン・ゲティ】
20C米国の実業家。オイルビジネスで成功し世界一の富豪となった。ナチス政権と親密な関係にあった。48年にはサウジアラビア、イラン、クェートで権利を獲得し油田を開発。54年ゲティ美術館を設立。73年イタリアマフィアによる孫の誘拐事件。76年がんで死去。

【ハワード・ヒューズ】
20C米国の実業家、富豪。「資本主義の権化」。掘削ドリルの特許で形成した父の資産を18歳で相続し、ともに黎明期にあった映画と航空事業を展開。リチャード・ニクソンの有力な支援者であった。2004年の映画「アビエイター」でレオナルド・ディカプリオが彼を演じた。

【コフィー・アナン】
第7代国際連合事務総長(任1997-2006)。ガーナ出身で国連職員出身初の事務総長。01年に国際連合とともにノーベル平和賞を受賞したが、イラク戦争開戦前後の米ブッシュ政権による国連軽視の単独行動主義を阻止できず、退任に際して米国を批判する演説を行った。

【クルト・ヴァルトハイム】
第4代国際連合事務総長(任1972-81)。オーストリア出身。外交官、外相として活躍後、国連事務総長となった。退任後、ナチス突撃隊の将校を務めていたことが発覚し国際社会から排除されたが、オーストリア国民には支持され同国大統領(任86-92)を務めた。

【ウ・タント】
第3代国際連合事務総長(任1961-71)。ビルマ人。61年ダグ・ハマーショルドの殉職により事務総長代理に就任。翌年事務総長に選出。73年ベトナム和平会談に出席。南北問題・環境問題に取り組み、UNCTADの創設やストックホルム会議の開催に尽力した。

【ダグ・ハマーショルド】
スウェーデンの外交官で、第2代国際連合事務総長(任1953-61)。1953年トリグブ・リーの辞任にともない選出。スエズ戦争に際して第一次国際連合緊急軍を派遣。61年コンゴ動乱の停戦調停に赴く途上で搭乗機が墜落し殉職した。同年ノーベル平和賞。

【馬英九】
21C台湾総統(任2008–16)。台北市長(任1998-2006)在任中の05年から国民党主席。08年民進党の謝長廷を破り総統選出。通商、通航、通郵の「三通」を実現するなど対中関係改善をてこに高い経済成長を実現。12年再選。15年中国の習近平国家主席と中台首脳会談。

【曽蔭権】
21C初香港特別行政区の第2代行政長官(2005–12)。「蝶ネクタイのツァン」。95年植民地政庁の財政長官。97年香港返還直後のアジア通貨危機で香港ドルの防衛に尽力。2005年普通選挙要求デモで辞任した董建華の後任として行政長官に就任。15年在任中の汚職容疑で起訴。

【董建華】
1997年の香港返還で発足した香港特別行政区の初代行政長官(任1997-2005)。上海出身。海運業経営を通じて中国政府、特に江沢民国家主席の権力基盤である上海閥とパイプを形成。基本的に中国政府寄りの方針で行政を運営したが、市民には不評で05年健康上の理由により辞任。

【タクシン・チナワット】
21Cタイ首相(任2001-06)。携帯電話事業で成功し94年政界に転じる。政権に就くと停滞していた経済を再建したが、06年不正蓄財を問われ辞任要求デモが発生。軍事クーデターにより退陣、亡命。タイはタクシン派と反タクシン派が対立する不安定な政情に陥った。

【アブドゥルラフマン・ワヒド】
インドネシア大統領(1999-2001)。スハルト政権時代イスラーム組織ナフダトゥル・ウラマー議長を務める。同政権崩壊後、国民覚醒党を創設。穏健な姿勢で各勢力から支持されたが政権は短命に終わり、副大統領のメガワティ・スカルノプトゥリに禅譲した。

【レフ・カチンスキ】
20C末-21C初ポーランドの政治家、大統領(任2005-10)。1980年「連帯」に参加。80年代末の民主化後、レフ・ヴァウェンサ政権に参加するがやがて袂を分かち、01年政党「法と正義」を設立。05年大統領に就任するが、10年政府専用機墜落事故で死去。

【アレクサンデル・クファシニェフスキ】
20C末-21C初ポーランド大統領(1995-2005)。1977年から90年の解散まで、ポーランド統一労働者党の党員だった。91年に民主左翼連合の立ち上げに参加。95年大統領選挙で現職のレフ・ヴァウェンサを僅差で破って新大統領に就任した。

【ニコラ・サルコジ】
21C、フランス大統領(2007-12)。国民運動連合(現共和党)所属。05年内相としてパリ郊外暴動事件を鎮圧、支持を集める。外交では対米関係を改善しNATO軍事機構に復帰。新自由主義経済政策を導入した。12年大統領選挙で社会党のフランソワ・オランドに敗北。

【ゴードン・ブラウン】
21C英国首相(任2007-10)。労働党。トニー・ブレア政権で財務大臣(任1999-2007)として市場主義路線を推進し高成長を維持。08年のリーマン・ショックにも首相として迅速に対応。10年の総選挙で敗北、13年に及ぶ労働党政権は終焉した。左目は義眼。

【ウェールズ公チャールズ】
20C後-21C英国皇太子。エリザベス2世の長男。1958年に立太子。81年スペンサー伯令嬢ダイアナと結婚。2人の王子が誕生するが96年離婚。2006年カミラ・パーカー・ボウルズと再婚。リベラルな言動で知られ、中国政府に対し一貫して批判的な態度を示す。

【ウェールズ公妃ダイアナ】♀
20C後英国ウェールズ公チャールズ皇太子妃。スペンサー伯爵家出身。1981年チャールズ結婚。高貴な美貌で世界のアイドルとなる。2人の王子をもうけるが96年離婚。97年パリで交通事故死。人道主義活動に尽力。地雷除去活動は対人地雷禁止条約に影響した。

【エリザベス2世】
20C後-21Cの英国女王(位1952-)。父王ジョージ6世の死去により26歳で即位。「国民に親しまれる王室」を標榜。積極的に王室外交を展開した。58年、長男のチャールズをプリンス・オブ・ウェールズに叙任(立太子)。史上最長在位の英国君主。

【バッシャール・アル=アサド】
シリア大統領(任2000-)。30年以上独裁を敷いたハーフィズ・アル=アサドの次男。00年父の死後大統領に就任。11年、アラブの春がシリアに波及し、反政府運動が激化。武力による鎮圧を図った結果、内戦となり、イスラム国に領土の大部分を支配された。

【ムアンマル・アル=カッザーフィー】
20C後-21C初リビアの革命家、独裁者。69年リビア革命で政権に就き、長期間独裁を敷いた(階級は大佐)。イスラーム主義を標榜、石油を国有化し外国人を追放。00年以降欧米に対する態度を軟化。11年アラブの春が波及し政権は崩壊、内戦下に殺害。

【マフムード・アッバース】
パレスチナの指導者。1957年ファタハの結成に参加。93年のオスロ合意まではヤーセル・アラファートとともに反イスラエル闘争を指導した。パレスチナ自治区成立後は武装闘争を批判。アラファートの死後、自治政府大統領を務めイスラエルとの平和共存を模索している。

【エフード・バラック】
20C末-21Cイスラエルの政治家、首相(任1999–2001)。軍人出身。労働党。99年の首相公選で約4年ぶりに労働党の政権復帰を実現し中東和平を推進したが、アリエル・シャロンの挑発行為によりインティファーダが再燃。前倒しした首相公選でシャロンに敗れた。

【ベンヤミン・ネタニヤフ】
イスラエル首相(1996-99、2009-)。軍人出身。リクード所属。1996年にシモン・ペレスを破って首相に選出。アリエル・シャロンとの闘争を経てリクード党首に返り咲き、2009年右派連立政権を樹立。14年無差別攻撃による大規模なガザ侵攻を行った。

【ハーシェミー・ラフサンジャーニー】
イラン・イスラム共和国第4代大統領(任1989–97)。1948年からルーホッラー・ホメイニーに従い反政府運動に参加。79年の革命後は穏健派の指導者となりイラン・イラク戦争を指揮。大統領就任後は対米融和、女性の権利拡大、社会的自由化を進めた。

【アボルハサン・バニーサドル】
イラン・イスラム共和国初代大統領(任1980-81)。60年代から反政府活動に身を投じ、ルーホッラー・ホメイニーに重用される。79年のイラン革命後蔵相を経て大統領に選出されたが、リベラルな姿勢のため次第に急進派に追いつめられ81年失脚し亡命。

【ファハド・ビン=アブドゥルアズィーズ】
第5代サウジアラビア国王(位1982-2005)。有力王族「スデイリー・セブン」の長男として異母兄である第3代ファイサル、第4代ハーリド両国王の下で政治的手腕を発揮。即位後はイラン、イラクの脅威に直面したこともあり、親米路線を堅持した。

【サウジアラビア国王ファイサル】
第3代サウジアラビア国王(位1964-75)。初代国王イブン・サウードの三男。奴隷制度廃止、女子教育など近代化改革を推進するが保守派の反発にあう。外交では親米路線をとるが1973年、石油戦略を主導して価格高騰による増収をもたらした。75年暗殺。

【エレン・ジョンソン・サーリーフ】♀
21Cリベリア共和国大統領(任2005-)。「鉄の女」。民選によるアフリカ初の女性大統領。1979年入閣するが軍事クーデターによりケニアに逃亡、一時投獄される。内戦(89-2003)終結後大統領に選出。国家再建に尽力。11年ノーベル平和賞。

【タボ・ムベキ】
南アフリカ共和国大統領(任1999–2008)。アフリカ民族会議。1960年代から反アパルトヘイト活動に参加。ネルソン・マンデラの後継として大統領に就任するとアフリカ連合の設立などに尽力。経済も順調に成長するが2008年党内の政敵ジェイコブ・ズマに敗れ辞任。

【ロバート・ムガベ】
20C末-21C初ジンバブエ大統領(1987-)。カトリック教徒。1960年からイアン・スミス白人政権に抵抗。80年政権に就くと福祉教育政策により「ジンバブエの奇跡」と呼ばれたが、2000年代から白人大農場の強制収用を始めると経済は大インフレに陥った。

【アベル・ムゾレワ】
20C-21C初ジンバブエの黒人解放指導者、首相(任1979-80)。メソジスト教会の司教。1975年イアン・スミス白人政権に抵抗する穏健派を結集して統一アフリカ人民族評議会を結成。79年初の黒人政権の首班となるが80年総選挙でロバート・ムガベに敗れ下野。

【呉邦国】
20C末-21初中華人民共和国の政治家。江沢民国家主席(任1993-2003)が創設した上海閥の有力者。国務院副総理(任95-03)を経て全国人民代表大会常務委員会委員長(任03-13)。青年期は工業技師で、国務院では工業を担当し、国有企業改革に尽力した。

【李鵬】
中華人民共和国首相(任1988-98)、全人代常務委員長(任98-2003)。共産党員だった父を国民党に処刑され、周恩来の養子となった。保守派。89年天安門事件の武力鎮圧を主導。改革開放路線にブレーキをかけたが、鄧小平の南巡講話による攻勢に敗れ、主導権を失った。

【楊尚昆】
中華人民共和国の軍人、国家主席(任1988–93)。80-90年代に強い権力をふるった八大元老の一人。26年の中国共産党入党後、日中戦争や国共内戦を指揮。文化大革命期には失脚し12年間監禁された。鄧小平の改革開放政策を支え、天安門事件でも鄧に従い武力鎮圧を指示した。

【ベッティーノ・クラクシ】
1980年代のイタリア首相(位1983-87)。イタリア社会党。76年党書記長に就任。現実路線に舵を切り、83年社会党書記長として初めて中道左派連合政権の首相に選出される。退任後汚職が発覚しチュニジアに亡命。支持を失ったイタリア社会党は94年消滅した。

【バブラク・カールマル】
20Cアフガニスタンの政治家。共産主義を信奉し、65年アフガニスタン人民民主党を創設。78年の軍事クーデターで政権に就くが、派閥抗争で左遷された。79年ソ連軍の侵入後ソ連に擁立されて革命評議会議長に就任。ムジャーヒディーンとの内戦は泥沼化し、86年引退。

【シリマヴォ・バンダラナイケ】♀
20Cスリランカ首相(任1960-65、70-77、94-2000)。世界初の女性首相。59年、夫であるソロモン・バンダラナイケ首相暗殺後政界入り。60年首相就任。社会主義的施策と親ソ外交を行った一方でシンハラ人優遇政策を推進した。

【ベーナズィール・ブットー】♀
パキスタン首相(1988-90、93–96)。イスラム教国初の女性首相。84年処刑された父ズルフィカール・アリー・ブットー元首相の後継としてパキスタン人民党総裁。88年35歳で首相。退任後はパルヴェーズ・ムシャラフ政権と対峙するが、2007年暗殺。

【モラルジー・デーサーイー】
インド首相(任1977-79)。ジャワハルラール・ネルー政権で蔵相(任58-63)。後に国民会議派を離脱。インディラ・ガンディーの強権政治打倒を旗印にジャナタ党を結成し77年の総選挙で勝利。初の非国民会議派政権を樹立するがまもなく内部分裂で崩壊した。

【ラウル・カストロ】
キューバの革命家、国家評議会議長(任2008-)。兄のフィデル・カストロとともに1959年のキューバ革命を指導。長期間独裁を敷いたフィデルが2008年に引退すると後継者となった。13年からバラク・オバマ米大統領と信頼を醸成し、15年米国との国交を回復。

【ダニエル・オルテガ】
20C後ニカラグアの革命家、大統領(任1985-90、07-)。サンディニスタ民族解放戦線の指導者。79年ニカラグア革命後、革命政府を経て大統領選出。ロナルド・レーガン米政権が支援するコントラと内戦。識字教育と農地改革で貧農に支持された。07年政権に復帰。

【マヌエル・ノリエガ】
1980年代にパナマ共和国で独裁を敷いた軍人。階級は将軍。1983年政権を掌握。コロンビアの麻薬組織と結び、米国へコカインを密輸した。89年大統領選挙の無効を宣言すると、ジョージ・H・W・ブッシュ米政権はパナマに侵攻。米軍に投降し米国で訴追され、服役した。

【ビクトル・パス・エステンソロ】
20Cボリビア、3次にわたる大統領(1952–56、60–64、85–89)。スズ鉱山労働者を基盤とする民族革命運動党を率い、1952年軍事政権を打倒。経済・社会の民主化(ボリビア革命)を断行した。85年の経済危機に際して74歳で政権に復帰。

【イサベル・ペロン】♀
20Cアルゼンチン大統領(任1974–76)。世界初の女性大統領。1961年亡命中のフアン・ペロンと結婚。73年夫が大統領に就任すると副大統領に指名される。74年夫の急死により大統領昇格。オイルショックによる経済危機に対処できず、76年クーデターで失脚。

【エバ・ペロン】♀
20Cアルゼンチンの女優、フアン・ペロン大統領の妻。43年軍部の要人だったフアンと出会い、ラジオ放送のプロパガンダで大衆に人気を博す。46年夫の大統領就任後国政に介入、47年女性参政権を実現。52年33歳で死去。ミュージカル「エビータ」に生涯が描かれた。

【ジェラルド・R・フォード】
第38代米大統領(1974–77)。共和党。リチャード・ニクソン政権下の1973年スピロ・アグニュー副大統領の辞職により副大統領に就任。翌74年ウォーターゲート事件でニクソンが辞任し大統領に昇格。すぐさまニクソンを恩赦。同年米大統領として初めて訪日。

【グスターフ・フサーク】
冷戦後期チェコスロヴァキア共産党第一書記(1969-87)、大統領(1975-89)。「プラハの春」の最中にソ連の信頼を得て69年アレクサンデル・ドゥプチェクに代わって権力を握り独裁体制を確立。内政・外交の「正常化」を進めた。89年ビロード革命で失脚。

【カーダール・ヤーノシュ】
1950-80年代ハンガリー首相、共産党書記長(任56-88)。56年のハンガリー動乱に際してモスクワに拉致され、ソ連の圧力に屈してナジ・イムレ政権に対抗する臨時政府を樹立。帰国して政権につき長期間独裁を敷いたが、穏健な政策で国民生活は安定した。

【エドヴァルト・ギエレク】
20Cポーランドの政治家。70年グダニスク暴動によるヴワディスワフ・ゴムウカの失脚後、ポーランド統一労働者党第一書記(任1970-80)として長期間独裁を敷いた。経済の開放を進め、70年代前半は成功するがやがて失速。80年「連帯」のゼネストにより失脚。

【リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー】
冷戦末期-終結期のドイツ連邦共和国大統領(任1984-94)。第二次世界大戦では東部戦線で従軍。父は戦犯裁判で有罪となる。戦後、キリスト教民主同盟の政治家として活躍。85年ドイツの歴史的な責任について述べた戦後40年記念演説で知られる。

【ジョルジュ・ポンピドゥー】
20Cフランスの政治家。シャルル・ド・ゴール大統領の下で首相(任1962-68)を務めた後、第五共和制では2代目の大統領(任69-74)に選出された。「連続と開放」を掲げ英国のEC加盟支持などド・ゴール路線の軌道修正を行った。在任中の74年急死。

【ヴァンサン・オリオール】
フランス第四共和政の初代大統領(任1947-54)。フランス社会党所属。36年ブルム人民戦線内閣で財務大臣。43年ロンドンへ亡命し、シャルル・ド・ゴール率いる自由フランスに参加。47年、ド・ゴール派とフランス共産党の間の「第三勢力」の支持で大統領就任。

【エドワード・ヒース】
20C英国首相(任1970-74)。保守党。労働者階級出身。野党時代の1964年に保守党党首になると、70年の総選挙で勝利し首相就任。73年欧州共同体加盟。石油危機後、炭鉱労働者のストライキに直面して74年の総選挙に敗北して辞任。終生独身であった。

【タノム・キティカチョン】
冷戦期タイの軍人、首相(任1957-58、63-73)。サリット・タナラット政権で台頭。63年後継者として2度目の首相になると長期の軍事独裁政権を敷いた。ベトナム戦争を背景に米国の援助を受け工業化を推進した。73年反政府運動が激化し国外に逃亡。

【スパーヌウォン】
ラオスの王族、政治家。「赤い殿下」。第二次世界大戦後反仏運動を指揮。53年の独立後は親北ベトナムの左派パテート・ラーオ代表としてラオス内戦を戦い、3次にわたる三派連合政府で要職を務めた。75年内戦に勝利し初代ラオス人民民主共和国主席および最高人民議会議長。

【ロン・ノル】
20Cカンボジアの政治家。ベトナム戦争末期の1970年米国の支援を受け親共産主義のノロドム・シハヌーク国王政権を打倒しクメール共和国を樹立。72年から大統領。北ベトナム軍の支援を受けたクメール・ルージュとの内戦となるが劣勢となり75年プノンペン陥落直前に脱出。

【グエン・ヴァン・リン】
冷戦末期ベトナムの共産党書記長(1986-91)。「ベトナムのゴルバチョフ」。ベトナム戦争中は南ベトナム解放民族戦線のプロパガンダを担当。80年代の経済危機のさなかに政権に就き、市場経済導入・対外開放政策「ドイモイ」を推進。米国、中国との関係を改善した。

【グエン・ズイ・チン】
ベトナムの独立指導者、外相(65-80)。フランス支配下の25年から政治活動。インドシナ共産党の創設に参加。63年から外相としてベトナム戦争の戦時外交を担った。73年パリ協定に署名。統一後も76年ASEANとの敵対関係解消、77年国連加盟実現など活躍。

【グエン・フー・ト】
20C後ベトナムの政治家。フランス留学中はフランス社会党員。1954年ジュネーヴ協定擁護運動を展開したが南ベトナム政府が弾圧。長期間投獄されていたが61年救出され、南ベトナム解放民族戦線の政治指導者となる。統一後、国家主席代行、国会議長を歴任。

【ファム・ヴァン・ドン】
20Cベトナムの政治家。ホー・チ・ミンの古くからの側近。北ベトナム首相(任1955-76)を経て統一後も首相(任76-87)を務め、通算30年以上首相の座にあった。フランスや米国との和平交渉に活躍したが、統一後はレ・ズアン党書記長に実権があった。

【ヴォー・グエン・ザップ】
20C-21Cベトナムの軍人、政治家。「赤いナポレオン」。戦術に優れ、ベトナム軍総指揮官としてインドシナ戦争、ベトナム戦争を指揮。1955年以降副首相兼国防大臣。78年のカンボジア侵攻をめぐり党指導部と対立し、90年代以降はベトナム共産党を批判した。

【グエン・カオ・キ】
ベトナム戦争時の南ベトナム首相(任1965-67)、副大統領(任67-71)。65年空軍将校として海軍将校グエン・バン・チューとともに軍事クーデターを起こしグエン・カーン大統領を打倒し政権を掌握。チューを補佐して戦争を遂行した。麻薬取引への関与疑惑がある。

【ズオン・バン・ミン】
南ベトナムの指導者。1963年CIAと共謀してゴ・ディン・ジエム大統領を打倒し軍事政権を樹立。64年グエン・カーン将軍のクーデタで追放。帰国するがグエン・バン・チュー政権を支持せず。75年サイゴン陥落直前に大統領に就任して停戦交渉にあたるが結局北軍に降伏。

【ローザ・パークス】♀
20C-21C初、米国の公民権運動活動家。「公民権運動の母」。ジム・クロウ法の残る深南部のアラバマ州モンゴメリーで1955年42歳の時、仕事帰りに乗車したバスで白人に席を譲るのを拒んで逮捕され、モンゴメリー・バス・ボイコット事件の契機となった。

【エドウィン・O・ライシャワー】
20C米国の東洋学者。ジョン・F・ケネディおよびリンドン・B・ジョンソン政権の駐日大使(任1961-66)。日本生まれで妻も日本人。幅広い層の日本人と対話し人気を集めた。ベトナム戦争による反米意識の高まりを感じ、沖縄返還の必要性を国務省に打電。

【ジョン・エドガー・フーヴァー】
20C米国の司法官僚で、FBI初代長官(任1924-72)。77歳で死去するまで半世紀近く在任し、国内の諜報活動におけるFBIの絶大な権限を確立した。盗聴による政治家の醜聞情報を利用して歴代政権に対する影響力を維持。日系人の強制収容には反対した。

【エドワード・ケネディ】
20C後-21C初米国の政治家、民主党上院議員(1963-2009)。ジョン・F・ケネディ大統領の末弟。69年交通事故にからむ致命的スキャンダル(チャパキディック事件)で、大統領への道が閉ざされる。リベラルの重鎮として長年活躍。米国の難民受け入れを推進。

【ロバート・ケネディ】
冷戦期米国の政治家、司法長官(任1961-64)。ジョン・F・ケネディ大統領の弟。公民権運動への対抗暴力や組織犯罪に強硬姿勢で臨む。ピッグス湾事件、キューバ危機で兄を補佐。退任後上院議員。68年ベトナムからの即時撤退を主張して大統領選に出馬するが、暗殺。

【金鍾泌】
韓国の政治家。1961年陸軍将校として朴正煕とともに5・16軍事クーデターを主導。朴政権でKCIA部長。日韓国交正常化交渉に尽力。71-75年首相。80年「ソウルの春」では「三金」の一角をなすが、80年粛軍クーデターにより弾圧。87年政界復帰後、政界の重鎮として活躍。

【崔圭夏】
大韓民国大統領(任79-80)。朴正煕政権で外相、首相(任75-79)。79年朴正煕暗殺により大統領を代行して金鍾泌に次期大統領を依頼したが固辞され、自ら大統領に就任。全斗煥ら新軍部の粛軍クーデターの進行になすすべなく、光州事件後に辞任した。在任約8ヶ月間。

【張勉】
大韓民国副大統領(任56-60)、首相(任60-61)。カトリック勢力を基盤とする。55年反李承晩勢力の民主党結党に参加。56年の選挙で李承晩政権の副大統領となるが、同年退役軍人に狙撃される。60年四月革命後首相。61年5・16軍事クーデターで朴正煕らに打倒される。

【蒋経国】
台湾国民政府総統(任1978-88)。蒋介石の長男。1925年から12年間ソ連に留学し一時は共産主義に共鳴。49年父とともに台湾に逃れ、軍と特務組織を掌握して父の独裁体制を補佐。60年代末から実権を握る。79年美麗島事件弾圧。87年戒厳令を解除して民主化の道を開く。

【巴金】
20C-21C初、中国の作家。青年期に無政府主義に傾倒。「激流三部曲-家・春・秋」(1936-40)で大家族制度の崩壊を描く。「革命三部作-消えゆく太陽・新生・滅亡」「愛情三部曲-霧・雨・電」も知られる。文化大革命で攻撃された経験を経て晩年の「随想録」で文革を批判した。

【老舎】
20C中国の作家。北京出身の満州族。キリスト教徒。1966年文化大革命の初期、紅衛兵に暴行され入水自殺。過酷な運命に翻弄される人々をユーモアを交えて描く。代表作は車夫を主人公とする悲劇「駱駝の祥子」、動乱の中で営業を続ける茶館を舞台に北京の群像を描く戯曲「茶館」など。

【郭沫若】
20C中国の作家、歴史家、革命家。日本留学中の1921年に文学団体「創造社」を設立。25年共産党員として革命に参加。28-37年日本に亡命。日中戦争中、重慶で戯曲「屈原」を発表し国民党を暗に批判。戦後は中華人民共和国で要職。文化大革命では66年にいちはやく自己批判。

【陳毅】
中華人民共和国の政治家。十大元帥の一人。1919-21年フランスに留学。23年中国共産党入党。日中戦争中は軍人として活躍。58年から外交部長として外交を担当。日中国交正常化にも尽力。66年以降文革派に攻撃される。朱徳や賀竜らを敢然と擁護するが毛沢東の理解を得られず失脚。

【彭徳懐】
中華人民共和国の軍人。十大元帥の1人(序列2位)。国民党軍の将校から1928年中国共産党入党。30年井崗山で毛沢東と合流。日中戦争、国共内戦、朝鮮戦争を指揮。軍の近代化と大躍進政策をめぐり毛と対立。59年廬山会議で失脚。67年紅衛兵により暴行・監禁され74年迫害死。

【朱徳】
20C中国の軍人、革命家。毛沢東の盟友。人民解放軍の「建軍の父」。清朝新軍、国民党軍で将校を務めるが退官し中国共産党に共鳴。ドイツ、ソ連留学中にゲリラ戦を学ぶ。日中戦争で八路軍総司令。人民共和国成立後は軍、党の両方で最高位。アグネス・スメドレー「偉大なる道」は彼の伝記。

【イアン・スミス】
20Cローデシアの白人政治家。61年ローデシア戦線党を結成。64年から南ローデシア植民地政府首相を務め黒人の抵抗運動を弾圧。65年英国から一方的に独立。人種差別政策を80年まで有続けた。ジンバブエ共和国誕生後も86年まで国会議員を務め白人の権利擁護にあたった。

【モブツ・セセ・セコ】
ザイール大統領(任1965–97)。60年コンゴ動乱初期のクーデターで実権を掌握しパトリス・ルムンバ首相を逮捕。65年国名をコンゴからザイールに変更。反共を掲げて西側から厚い支援を受け長期独裁を敷いた。97年ローラン・カビラ率いる反政府勢力に打倒された。

【ジュリウス・ニエレレ】
タンガニーカ共和国、タンザニア連合共和国の初代大統領(任1962-85)。カトリック教徒。アフリカに残る白人支配との戦いを支援。78年ウガンダのイディ・アミンとの戦争に勝利。アフリカ社会主義に基づき、ウジャマー村構想という農業の集団化を導入したが失敗。

【ジョモ・ケニヤッタ】
20Cケニアの独立指導者。ケニア共和国初代大統領(任1964-78)。22年から反英独立闘争に参加。英国で長期間活動(31-46)。帰国後ケニア・アフリカ民族同盟書記長。52年から9年間投獄。63年の独立後終身独裁。親欧米政策でケニアを安定・発展させた。

【レオポール・セダール・サンゴール】
セネガル共和国初代大統領(任1960-80)。セネガルとフランスの英雄。フランスではパリ大学教授、対独レジスタンスに参加、戦後は国会議員や閣僚も勤める。セネガル独立後は親仏外交とアフリカ社会主義政策を推進。詩人としてはネグリチュードを提唱。

【ベン・ベラ】
アルジェリア民主人民共和国初代大統領。(任1963–65)。第二次世界大戦で自由フランス軍兵士として活躍。1954年よりアルジェリア民族解放戦線の指導者として独立戦争を指揮。独立後は反西欧的非同盟外交を主導。65年フワーリー・ブーメディエンの軍事クーデターで失脚。

【アンドレイ・グロムイコ】
28年間の長期間にわたって冷戦期外交をになったソ連外相(任1957-85)。「ミスター・ニエット」。39年から外交に携わり、大戦中は米ソ関係強化に尽力。51年のサンフランシスコ会議には出席するが調印を拒否。85年にエドゥアルド・シェワルナゼと外相交代。

【ニコライ・チーホノフ】
1980年代前半のソ連首相(1980-85)。戦後レオニード・ブレジネフ派の主要メンバーとして出世。アレクセイ・コスイギンの後継として首相に就任。アンドロポフ、チェルネンコ両書記長の時代も地位を維持。ミハイル・ゴルバチョフ書記長就任にともない辞任。

【ミハイル・スースロフ】
ソ連の政治家。「灰色の枢機卿」。1930年代ヨシフ・スターリンの大粛清に参画。少数民族の強制移住を指揮。大戦後イデオロギーを担当。ニキータ・フルシチョフ、レオニード・ブレジネフの黒幕とされる。制限主権論を提唱し「ブレジネフ・ドクトリン」を理論的に支えた。

【アナスタス・ミコヤン】
ソ連の政治家。アルメニア人。「赤い商人」。帝政ロシア時代から党員だったオールド・ボリシェヴィキとして1960年代まで指導者として活躍。経済通で主に貿易を担当。56年ニキータ・フルシチョフのスターリン批判をいち早く支持し、その後もフルシチョフを支えた。

【ニコライ・ブルガーニン】
ソ連の政治家。チェーカー出身。1930年代から党幹部として台頭。ニキータ・フルシチョフ時代前期に首相(任1955-58)として「B・Kコンビ」で非スターリン化、平和共存外交を展開。57年フルシチョフ解任運動に加わったが失敗、反撃として58年解任された。

【ゲオルギー・マレンコフ】
ソ連の政治家。1930年代後半ヨシフ・スターリンの側近として大粛清に加担。40年代末レニングラード事件を捏造し政敵を弾圧。53年スターリンの死により首相兼共産党書記局長に就き最高指導者となると核兵器反対を表明し西側との平和共存を模索するが55年失脚。

【ラール・バハードゥル・シャーストリー】
インド共和国首相(任1964-66)。国民会議派。17才で対英非協力運動に参加、6回投獄される。独立後ジャワハルラール・ネルー内閣で閣僚。ネルー没後、首相に就任。65年第二次印パ戦争が勃発するが、66年タシュケントで和平合意。直後に急死。

【アブドルカリーム・カーシム】
イラクの軍人、首相(任1958-63)。58年自由将校団を率いて7月14日革命で王政を打倒しイラク共和国を樹立。イラク共産党と連携して独裁を敷き、アラブ連合との統合を目指すバアス党を弾圧したが、ラマダーン革命で失脚し処刑。60年OPEC設立を提唱。

【イラク国王ファイサル2世】
最後のイラク国王(位1939-58)。父王の死により3歳で即位。成人後も政治は叔父のアブドゥル=イラーフとヌーリー・アッ=サイード首相に任せた。58年同じハーシム家で親欧米のヨルダンと合邦するが(アラブ連邦)、自由将校団による7月14日革命で暗殺。

【フセイン1世】
20C第3代ヨルダン国王(位1952-99)。西側諸国と良好な関係を保ちつつアラブ諸国の中での孤立を回避し国内の安定を保った。1970年PLOを排除(黒い九月事件)するが85年和解。88年パレスチナ領有放棄。94年イスラエルと和平協定。湾岸戦争ではイラクを支持。

【ハサン・アル=バンナー】
20C前エジプトのイマーム。1928年ムスリム同胞団を創設。組織は草の根運動を通して拡大。やがてエジプト政府に危険視され、48年解散を命じられ、49年暗殺される。中東戦争に義勇兵を送ったが、テロや暗殺を「イスラムの教えに背く行為」として厳に戒めた。

【エジプト国王ファールーク1世】
20Cエジプト国王(位1936-52年)。英国の影響力排除を進めた。第二次世界大戦勃発後、親独反英内閣の樹立を試みるがマイルズ・ランプソン大使に屈して失敗、結局連合国側についた。52年自由将校団によるエジプト革命で退位。翌年王政は廃止され亡命。

【メナヘム・ベギン】
イスラエル首相(任1977-83)。47年からシオニズム武装組織エツェルを指導。73年リクード結成。初の非労働党政権を樹立。79年エジプトと平和条約を結びシナイ半島返還を実現。78年ノーベル平和賞。81年イラク原子炉爆撃。82年レバノン侵攻失敗で支持を失う。

【ゴルダ・メイア】♀
イスラエル首相(任1969-74)。労働党。ウクライナ出身で、米国を経て1921年パレスチナに移住。外相(任56-66)を経てレヴィ・エシュコルの死去を受けて首相に就任。72年ミュンヘンオリンピック事件の報復作戦を承認。74年第四次中東戦争の責任を取り辞任。

【ダヴィド・ベン=グリオン】
イスラエル初代首相(任1948-54、55-63)。20C初頭から労働シオニストとして活動。47年のパレスチナ分割決議を受けて48年イスラエル独立を宣言。第一次中東戦争を指揮して勝利したが、国内では対アラブ穏健派でありシオニズムの侵略性を認めていた。

【パルミーロ・トリアッティ】
20Cイタリアの政治家。1921年アントニオ・グラムシらとイタリア社会党を離脱してイタリア共産党を結成。グラムシ投獄後38年間書記長(任1927-64)を務めた。戦後、暴力革命を放棄する「サレルノの転換」を行い、ユーロコミュニズムの潮流を作った。

【クルト・ゲオルク・キージンガー】
1960年代後半西ドイツ首相(任1966-69)。キリスト教民主同盟所属。ドイツ社会民主党との大連立を実現した。社会民主党のブラントを副首相兼外相に起用して東方外交を展開し、チェコスロバキア、ルーマニア、ユーゴスラビアと外交関係を樹立した。

【エドガール・フォール】
20Cフランスの政治家、首相(任1952、55-56)。55年ジュネーヴ4巨頭会談に出席。63年シャルル・ド・ゴール大統領の特使として訪中。68年五月革命後文相として学生自治を含む大学改革を推進。国連で生涯教育を提唱した「フォール報告」でも知られる。

【ピエール・マンデス=フランス】
20Cフランス首相(任1954-55)。急進党。植民地主義を批判。1954年ディエンビエンフーでの大敗後もインドシナ戦争を継続するジョゼフ・ラニエル内閣を打倒し組閣。自らジュネーブ休戦協定を取りまとめた。翌年アルジェリア問題で右派に押され辞職。

【ジェームズ・キャラハン】
70年代後半英国の首相(1976-79)。労働党。「サニー・ジム」。ハロルド・ウィルソン内閣では蔵相としてポンド防衛に失敗。首相在任中も「英国病」は進行し、78-79年「不満の冬」に直面。79年総選挙でマーガレット・サッチャー率いる保守党に大敗し下野。

【ハロルド・ウィルソン】
1960-70年代、2次に渡る英国首相(任64-70、74-76)。労働党左派。64年13年ぶりの労働党政権を実現。重要産業の国有化や極端な累進課税など社会主義的政策を推進し、英国病とよばれる経済の停滞を招いた。76年アルツハイマー病により引退。

【ハロルド・マクミラン】
20C英国首相(任1957-63)。保守党。アンソニー・イーデン内閣で蔵相を務めるが57年イーデン首相がスエズ動乱で引責辞任すると後任に選出。対米関係を改善。大英帝国からの転換を図りアフリカの英領植民地の独立を促した。63年プロヒューモ事件を受けて辞任。

【ローゼンバーグ夫妻】
20C米国のスパイ容疑者。夫ジュリアス、妻エセル。ユダヤ人。マッカーシズムのさなか、ロスアラモス原爆工場に勤務していたエセルの弟から入手した機密情報をソ連に提供したとして1950年逮捕、51年死刑判決。助命運動が沸き起こるが、55年電気椅子で処刑。

【ジョン・フォスター・ダレス】
ドワイト・D・アイゼンハワー米政権の国務長官(任1953-59)。51年国務長官顧問としてサンフランシスコ平和条約と旧日米安保条約の同時締結を主導。53年イランのモハンマド・モサッデク首相失脚に関与。56年重光葵外相を恫喝し北方領土問題解決を妨害。

【ジョージ・ケナン】
20C米国の外交官、外交史家。駐ロシア大使館に勤務したソ連通。1946年ソ連の行動分析報告が「トルーマン・ドクトリン」に影響。報告は「X論文」として公表され、対ソ強硬論誘導に利用される。ジョージ・マーシャル国務長官退任後政権に批判的になり53年国務省退任。

【ウー・ヌ】
20Cビルマの独立指導者。初代首相(任1948-56、57-58、60-62)。1930年からアウンサンと行動を共にし、タキン党を経て一時は対日協力、44年からは反ファシスト人民自由連盟(パサパラ)。47年アウンサン暗殺により後継者として独立後のビルマ政府を担った。

【エンヴェル・ホッジャ】
アルバニア労働党第一書記(1944–85)。イタリアによる占領下にレジスタンスを展開。44年政権を掌握し85年に死去するまで長期間独裁を敷いた。ヨシフ・スターリンを信奉する独自の社会主義を推進。西側諸国のみならずソ連、中国をも批判し国際的に孤立した。

【ルートヴィヒ・エアハルト】
復興期の西ドイツ経済相(任1949-63)、首相(任63-66)。経済学者出身。キリスト教民主同盟所属。大戦後西側占領地区の通貨改革を実施。オルド自由主義を信奉し、14年間におよぶアデナウアー内閣の経済相として「奇跡の経済復興」を実現した。

【ヴァルター・ウルブリヒト】
東ドイツ建国と初期の発展を主導した独裁者。1920年ドイツ共産党に入党。ナチス政権期はソ連に亡命し、スターリンを信奉。戦後ドイツ社会主義統一党の指導者となり、49年のドイツ民主共和国成立後71年までの長期間独裁を敷いた。61年ベルリンの壁を建設。

【金九】
20C前朝鮮の独立指導者。1919年上海で大韓民国臨時政府の設立に参加。李承晩失脚後、指導者となる。桜田門事件などの武装闘争を指揮。40年中国国民党政府の支援で韓国光復軍設立。戦後、南だけの単独選挙実施に反対。大韓民国政府に与せず李承晩と対立。49年陸軍将校により暗殺。

【陳嘉庚】
20C前英領マラヤで活躍した華僑実業家。福建省厦門出身。天然ゴムプランテーションとゴム製造業で成功し「ゴム王」と呼ばれた。1921年厦門大学を設立。日中戦争中はシンガポールにおける抗日運動を指揮。戦後は中国に帰国。

【コーデル・ハル】
20C米国、フランクリン・ルーズベルト政権の国務長官(任1933-44)。ラテンアメリカ地域には「善隣外交」を推進。40年から野村吉三郎駐米大使と日米交渉を繰り返したが41年最終局面で「ハル・ノート」を手交した。国際連合の成立に尽力。45年ノーベル平和賞。

【アレクセイ・スタハノフ】
ソ連の炭鉱夫。ヨシフ・スターリンの指揮下で1933年から始まった「第二次五カ年計画」の際に、ドネツ炭鉱で新しい掘削技術を考案し、生産を飛躍的に増大させたとして、ノルマ超過運動(スタハノフ運動)のシンボルに祭り上げられた。自身はモスクワの高級住宅に移住。

【トロフィム・ルイセンコ】
ソ連の農学者。小麦の低温処理は獲得形質が遺伝する証拠と考え、メンデルの法則を否定した。これをヨシフ・スターリンが支持した結果、ソ連のみならず中国や北朝鮮でも今日から見れば誤った農法が政策として実施され、農業生産力が低下、大量の餓死者を生んだ。

【リヒャルト・ゾルゲ】
ソ連のスパイ。ドイツ出身。33年ドイツ大衆紙の特派員の肩書きで来日し諜報活動を開始。近衛文麿政権のブレーンだったジャーナリスト尾崎秀実の協力を得た上、駐日ドイツ大使館からも情報を得た。41年日本が対ソ侵攻しない旨打電し独ソ戦に貢献。41年逮捕、44年処刑。

【ヤコフ・マリク】
ソ連の外交官。1942年より駐日大使。45年6月広田弘毅元首相非と非公式に終戦交渉。8月11日日本政府に宣戦布告文書を手交する際、ポツダム宣言受諾の意思を伝達される。51年国連大使として朝鮮戦争の休戦をラジオ放送で提案。55-56年日ソ国交回復交渉全権代表。

【ヴャチェスラフ・モロトフ】
ソ連外相(任1939-49)。ヨシフ・スターリンの片腕として活躍。39年ヨアヒム・フォン・リッベントロップ外相と独ソ不可侵条約。41年松岡洋右外相と日ソ中立条約。大戦末期のテヘラン、ヤルタ、ポツダム各会談にもスターリンに随行し出席。戦後一線を退く。

【マクシム・リトヴィノフ】
ソ連外相(任1930-39)。ヨシフ・スターリンの一国社会主義論に従い、レフ・トロツキーやゲオルギー・チチェーリンが進めた革命の輸出を放棄。反ファシズムを掲げ資本主義国との関係改善に奔走。34年国際連盟加盟を実現。39年独ソ不可侵条約締結の直前に解任。

【アドリフ・ヨッフェ】
ソ連の外交官。クリミア出身のユダヤ人。1903年ロシア社会民主労働党に入党しレフ・トロツキーの革命路線に共鳴。17-18年ブレスト=リトフスクでドイツと休戦交渉。23年孫文と会談し中国共産党との連携を条件に国民党支援を約束した(孫文・ヨッフェ共同宣言)。

【サイモン・ヴィーゼンタール】
ナチスドイツの犯罪に対する追及で知られるユダヤ人。家族の多くをナチスによる虐殺で失い、自らも4年間強制収容所に収容された。戦後、アドルフ・アイヒマンを含め、世界に逃亡していた1100人以上の戦犯の追及に関わった。

【アドルフ・アイヒマン】
ナチス・ドイツ親衛隊(SS)将校。数百万のユダヤ人を絶滅収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担った。戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送ったが、イスラエル諜報特務庁(モサド)によってイスラエルに連行されて裁判にかけられ、絞首刑に処された。

【ハインリヒ・ヒムラー】
ナチスドイツ高官。親衛隊(SS)隊長(任1929-45)、全ドイツ警察長官(任36-45)として強制収容所を主管し、ユダヤ人等の大量虐殺(ホロコースト)を主導した。大戦末期にヒトラーと対立し英米との和平を工作したが失敗。45年投降して捕虜となり服毒自殺。

【ヨアヒム・フォン・リッベントロップ】
ナチスドイツの幹部、外相(任1938-45)。32年ナチス入党。好戦的な姿勢がアドルフ・ヒトラーに好まれた。39年ヴャチェスラフ・モロトフ外相と独ソ不可侵条約を締結。親ソ反英姿勢で、独ソ戦開始後は影響力が低下。ニュルンベルク裁判で死刑判決。

【ヨーゼフ・ゲッベルス】
ナチスドイツの幹部。「プロパガンダの天才」。22年ナチス入党。映画や行進、演出された党大会で党勢の拡大に貢献。33年アドルフ・ヒトラー内閣が成立すると宣伝相(任1933-45)。焚書などの言論・マスコミ統制で国民を扇動。ユダヤ人迫害にも主導的役割。

【ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリング】
ナチスドイツの幹部。第一次世界大戦では空軍で英雄的活躍。22年ナチス入党、突撃隊隊長。32年国会議長。34年アドルフ・ヒトラーが後継指名。空軍を指揮して大戦初期の進撃をもたらすが43年頃から実権を失う。46年ニュルンベルク裁判で死刑判決。

【ヒャルマル・シャハト】
20Cドイツ帝国銀行総裁(任1923-30、33-37)、経済相(任34-37)。23年ハイパーインフレに対してレンテンマルクを発行し収束させる。ナチス政権下ではメフォ手形で軍事費を支える。44年総統暗殺未遂事件に連座して投獄。戦後は途上国で財政顧問。

【エルンスト・レーム】
ナチスドイツ幹部。第一次大戦で活躍。1919年ナチス入党。最大70万の隊員を擁する準軍事組織「突撃隊」を指揮。33年の政権獲得後正規の警察や軍との軋轢が生まれ、軍部とハインリヒ・ヒムラー親衛隊隊長の主導により多数の幹部とともに粛清された(長いナイフの夜)。

【エーリヒ・ルーデンドルフ】
19C末-20C前ドイツの軍人、右翼政治家。最終階級は歩兵大将。パウル・フォン・ヒンデンブルクの参謀として第一次大戦を指揮。戦後はカップ一揆、ミュンヘン一揆に参加。一時アドルフ・ヒトラーと連携するが後に批判。著書「総力戦」は日本陸軍に影響を与えた。

【ヴォルフガング・カップ】
20C前ドイツの政治家。第一次世界大戦末期、停戦に反対してドイツ祖国党を結成。「背後の一突き」論を主張してヴェルサイユ条約締結を批判。1920年エアハルト海兵旅団を率いるヴァルター・フォン・リュトヴィッツ将軍とクーデターを起こすが失敗(カップ一揆)。

【ガブリエーレ・ダンヌンツィオ】
19C後-20C前イタリアの作家。第一次世界大戦でパイロットとして英雄的活躍。1919年ユーゴスラビアとの係争地フィウーメ市に武装集団を率いて進軍し占拠。思想・手法の両面においてイタリア・ファシズムの先駆をなした。三島由紀夫にも影響を与えた。

【アントニオ・グラムシ】
20C前イタリアのマルクス主義思想家。サルデーニャ島出身。1921年イタリア社会党を離脱してイタリア共産党を結成。ベニート・ムッソリーニ政権に危ぶまれて11年間投獄されるが、獄中で執筆をつづけた。文化的覇権(ヘゲモニー)の概念は多方面に影響した。

【ベネデット・クローチェ】
19C後-20C前イタリアの哲学者、歴史学者。ジョヴァンニ・ジョリッティ内閣の文相(1920-21)。学者としては生涯在野。ヘーゲル哲学とニーチェの「生の哲学」を結びつけた。反共、反ファシズムの自由主義者で、ベニート・ムッソリーニ政権を批判。

【ジョヴァンニ・ジョリッティ】
19C後-20C前イタリアの自由主義的政治家。5次にわたる首相(任1892-93、1903-05、06-09、11-14、20-21)。革命阻止と議会政治維持のため左右の小党派を糾合して数々の難局を打開したが、ベニート・ムッソリーニの台頭を許した。

【エドワード8世】
1936年に325日間だけ在位した英国王。退位後はウィンザー公。即位前から不倫交際していた既婚の米国人女性ウォリス・シンプソンとの結婚を望んだため、スタンリー・ボールドウィン首相に迫られて退位。ナチスドイツと親密な関係にあり、大戦中も対独講和を主張した。

【スタンリー・ボールドウィン】
20C前、3次に渡る英国首相(1923-24、24-29、35-37)。保守党。28年男女平等選挙権を実現。3度目の政権はラムゼイ・マクドナルドの後を継ぐ挙国一致内閣。36年エドワード8世に退位を迫る。ナチス・ドイツの台頭に対して消極的宥和政策。

【ペドロ・アギーレ・セルダ】
世界がファシズムに覆われた1930年代末、チリに誕生した人民戦線政権の大統領(任1938-41)。急進党員であったが、コミンテルンの方針により社会党・チリ共産党・労働組合などが結束して支援した。チリ経済の近代化・民主化に貢献。

【アル・カポネ】
20C前アメリカのギャング。禁酒法時代(1911-33)のシカゴに巨大な犯罪組織(シンジケート)を形成。ウィリアム・ヘイル・トンプソン市長との癒着で勢力を拡大。29年抗争事件「聖バレンタインデーの虐殺」で大衆の支持を失い、31年脱税で有罪判決を受け収監された。

【エドガー・スノー】
20C米国のジャーナリスト。1928年から中国で取材。33年ころから日本の侵略に憤り中国共産党に共鳴。36年延安で毛沢東に取材。37年「中国の赤い星」で共産党を好意的に世界に伝えた。41年「アジアの戦争」で日本の侵略を批判、対日強硬世論に影響した。

【瞿秋白】
20C中国の革命家。中国共産党初期の指導者。1920-22年モスクワに赴任。ソ連とのパイプを形成。27年陳独秀失脚後、第三インターナショナルの支持で総書記に就任。南昌起義、秋収起義などの失敗で28年失脚。上海で療養中魯迅と交流。35年、国民政府軍により逮捕・銃殺。

【何応欽】
20C中華民国の革命家、軍人。日本陸軍士官学校卒業。蒋介石に重用され、24年黄埔軍官学校、翌年国民革命軍の創設を主導。27年北伐で英雄的活躍。35年梅津・何応欽協定で華北から撤退。日中戦争では総司令として指揮し、45年南京で日本の降伏文書に調印。台湾国民政府でも要職。

【殷汝耕】
20C中国の革命家。たびたび日本に留学し、早稲田大学を卒業。日本とのパイプを買われ、孫文、蒋介石に重用される。35年土肥原賢二の華北分離工作に利用され、冀東防共自治政府を樹立するが、37年通州事件で失脚。戦後中華民国政府により漢奸として逮捕され47年処刑される。

【宋子文】
中華民国の政治家。客家の海南島財閥出身で「宋氏の三姉妹」の弟。1912-17年米国留学。財政、経済開発方面で南京国民政府を支えた。37年の日中戦争勃発後は外交を担い米国の支援をとりつけ、45年モスクワで中ソ友好同盟条約締結にあたった。国共内戦中に失脚し米国に亡命。

【宋美齢】♀
蒋介石の妻。客家の海南島財閥の3女で「宋氏の三姉妹」の一人。1908-17年米国留学。27年蒋介石と結婚。フランクリン・ルーズベルト米政権と太いパイプを持ち、米国民にも訴えて対日強硬・対中支援政策を導いた。戦後も台湾国民政府の代弁者として国際的に活躍。

【宋慶齢】♀
20C中国の政治家。孫文の妻。客家の海南島財閥の次女で「宋氏の三姉妹」の一人。1915年東京で孫文と結婚。25年孫文逝去後中国国民党の要職に就くが27年上海クーデターを非難し蒋介石や宋一族と決別。中華人民共和国では国家副主席などの要職に就くが実権は乏しかった。

【楊虎城】
中華民国の軍人。西安を拠点にした国民党軍の地方司令官であったが、抗日より反共を優先する蒋介石の「安内攘外」路線に疑問を持ち、1936年張学良とともに西安事件を起こし国共内戦を収拾させた。蒋介石の命で37年に捕えられ49年重慶陥落の直前に家族とともに惨殺された。

【馮玉祥】
中華民国の軍閥。「クリスチャン・ジェネラル」。安徽派、直隷派、奉天派と次々に転身し、1926年以降は国民党やソ連とも提携した変わり身の早さで知られる。1930年には蒋介石打倒の兵を挙げたが失敗(中原大戦)。日中戦争中は挙国一致での抗日を主張。48年外遊中に事故死。

【曹錕】
19C末-20C初中国の軍閥、中華民国大総統(1923-24)。北洋軍閥直隷派として18年南方政府軍討伐に活躍。20年段祺瑞と対立し安直戦争。22年には張作霖と対立し第一次奉直戦争。23年黎元洪を辞任させ大総統に就任。24年北京政変で同派の馮玉祥によって打倒された。

【黎元洪】
中国清末民初の政治家。清の軍人であったが、1911年武昌起義に際して革命軍司令官に担がれる。孫文、袁世凱の下で副大総統。17年袁の死後大総統を2期務める(任16-17、22-23)。いずれも北洋軍閥に傀儡として担がれた。軍閥の解体、中国統一を目指したが実現せず。

【エンヴェル・パシャ】
オスマン帝国末期の軍人、革命家。「統一と進歩委員会」のメンバーとして1908年の青年トルコ人革命を指導。バルカン戦争で英雄となり13年以降陸軍大臣。14年第一次世界大戦にドイツ側で参戦する決定を主導。敗戦後ソ連に亡命。アルメニア人虐殺への関与が指摘される。

【クン・ベーラ】
20C前ハンガリーの政治家。1919年ハンガリー共産党を率いてカーロイ・ミハーイの政権を打倒してハンガリー・ソビエト共和国の成立を宣言。急進的な改革に国民は反発。ルーマニア軍が侵入し政権は5カ月で崩壊した。ソ連に亡命するが、39年スターリンの大粛清により処刑。

【イグナツィ・パデレフスキ】
19C末-20C前ポーランドのピアニスト・首相(任1919)。19C末に欧米各地の公演で賞賛を浴びた。第一次世界大戦中パリの「ポーランド民族委員会」に加入して独立運動を展開。1919年首相兼外相としてパリ講和会議に出席し、ヴェルサイユ条約に調印した。

【ナデジダ・クルプスカヤ】
19C末-20C前ソ連の革命家。ウラジーミル・レーニンの妻。1894年マルクス主義の研究会でレーニンと出会い、98年流刑先で結婚。1900年、夫とともにヨーロッパへ亡命。革命後、教育人民委員としてピオネール(少年団)を組織。正教会古儀式派迫害に関与。

【アレクサンドル・コルチャーク】
20Cロシア帝国の軍人、反革命戦争の白軍総司令官。日露戦争と第一次世界大戦で活躍。革命後、1918年西シベリアの中心都市オムスクに樹立された「臨時全ロシア政府」に参加。ウラル以東のほぼ全域に軍事独裁体制を敷いた。赤軍に敗れ捕縛、20年処刑。

【ラーヴル・コルニーロフ】
20Cロシア軍人。日露戦争と第一次世界大戦で活躍。1917年二月革命後臨時政府軍の最高総司令官となる。同年反革命クーデターを企図するが失敗。これによりボルシェヴィキが臨時政府に対して軍事的優位に立つ。十月革命後は白軍に身を投じるが18年戦死。

【グリゴリー・ラスプーチン】
帝政ロシア末期の祈祷僧。1905年祈祷による病気治療を始め、ニコライ2世一家の絶大な信任を得るが、人々の反感を買う。第一次大戦中の16年ドミトリー・パヴロヴィチ大公とフェリックス・ユスポフにより暗殺。治療にはアスピリンを用いていたとの説も。

【サアド・ザグルール】
20C前エジプトの独立指導者。英国の保護下で閣僚を務めたが、1918年地主や民族主義者を結集してワフド党を結成。19年逮捕されマルタ島に抑留されると、怒った民衆は抵抗を続け、22年エジプトは形式上独立。23年立憲君主政憲法を起草。初代首相(任24・26)。

【イラク国王ファイサル1世】
初代イラク国王(位1921-33)。ヒジャース国王フサイン・イブン・アリーの三男。第一次世界大戦中オスマン帝国に対するアラブ反乱を指導。20年シリア王位につくがフランスに追放される。英国の支持を得て国民投票により英国委任統治領イラク王国の王位につく。

【トーマス・エドワード・ロレンス】
20C英国の考古学者、軍人。最終階級は中佐。「アラビアのロレンス」。第一次大戦中の1916年ファイサル1世と接触、オスマン帝国に対する反乱を支援した。鉄道爆破など巧みな戦術で戦果を挙げた。62年映画「アラビアのロレンス」に描かれた。

【ガヴリロ・プリンツィプ】
20Cボスニア系セルビア人の民族主義者。1914年6月28日19歳の時サラエヴォで武装勢力;黒手組の一員としてオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公を暗殺した(サラエヴォ事件)。第一次世界大戦末期に獄死。

【フランツ・ヨーゼフ1世】
19C後-20C初オーストリア帝国皇帝(位1848-1916)。3月革命後に即位し、第一次世界大戦中に死去。在位68年。保守的な政治で帝国は凋落の一途をたどるが、民族融和を推進し敬愛された。国粋主義的なフランツ・フェルディナント大公とは対立した。

【ジョージ・トゥポウ1世】
19Cトンガの王(位1845-93)。1831年にメソジスト派の牧師により洗礼を受ける。52年全島を武力平定。改宗によりトンガ人のほとんどがメソジスト派のキリスト教徒となる。ポリネシアに植民地帝国を築くことを企図し、フィジーに侵攻。75年憲法制定。

【サヤ・サン】
20C前ビルマの反英独立闘争指導者。占星師。一時ビルマ団体総評議会に所属したが脱退。30年秘密結社ガロン党を結成し農民を率いて蜂起したが鎮圧され、31年処刑。蜂起の拡大は分割統治政策に利用されたインド人への憎悪も一因とされ、37年ビルマは英領インドから分離。

【ホアン・ホア・タム】
19C後-20C初ベトナムの反仏闘争「起義」の指導者。「イェンテの虎」。1870年から起義に参加。92年に指導者となり北部の山岳地帯を拠点として多くの農民兵を集めて通商路を攻撃。1913年までフランス軍に頑強に抵抗した。06年ベトナム維新会にも参加。

【アンドレス・ボニファシオ】
19Cフィリピンの独立運動家。ホセ・リサールと並ぶ民族的英雄。リサールの逮捕・流刑後の1892年秘密結社「カティプナン」を創設。96年武装蜂起。貧困層出身で革命志向の彼は次第にエミリオ・アギナルドら首長層と対立、主導権を奪われ97年逮捕・処刑された。

【ダムディン・スフバートル】
20C前モンゴルの革命家。1918年中国が外モンゴルの自治を撤廃すると独立運動に参加。20年ロマン・ウンゲルン率いる白軍が侵入するとホルローギーン・チョイバルサンらとモンゴル人民党を結成、人民義勇軍を編成して赤軍の援助を受け中国軍と白軍を撃滅した。

【朴泳孝】
19C末-20C朝鮮の政治家。1884年金玉均らと開化党を結党。開化政策を進めるが事大党と対立。84年甲申政変を主導するが失敗し日本に亡命。94年帰国し内務大臣として甲午改革に着手するが失脚。日本統治下で要職。太極旗の考案者。日本名は山崎永春。福澤諭吉と深く親交。

【興宣大院君】
19C朝鮮の王族。李昰応。高宗の父。1863年高宗が11歳で王位に就くと摂政として実験を握る。小作人制度などの旧弊打破に取り組み、外国艦船を撃退して鎖国を守ろうとした。73年失脚。閔妃一族と実権を争い、95年日本と結んで実権奪回を試みるが、乙未事変後は隠居。

【崔時亨】
19C後、朝鮮「東学」の第2代教主。教祖崔時亨の同族で門弟。貧農出身で教祖を助けて布教に努めたが1863年教祖が逮捕されると後事を託され、農民、賤民、没落官僚に秘密組織を拡大した。武装蜂起には反対したが、94年全琫準の蜂起が甲午農民戦争に発展。98年逮捕、処刑された。

【張謇】
清末民初の政治家・実業家・教育家。綿産地であった出身地の江蘇省南通に紡績工場を建設。多方面に事業を展開。1912年辛亥革命に際して宣統帝の退位詔書を起草。13年北京政府の工商総長と農林総長を兼任。教育事業にも尽力。彼の功績により南通は「中国近代第一の城」と呼ばれる。

【盛宣懐】
清末の官僚、実業家。洋務運動の代表的人物。江蘇省出身の漢族。1870年李鴻章の幕僚となる。インフラ整備や商船の建造、紡績事業、製鉄事業を推進。1905年中国紅十字会創設。11年郵伝部大臣。列国資本を背景に鉄道の全幹線国有化を企てたが保路運動が起こり辛亥革命に発展した。

【林語堂】
中華民国の文人。「ユーモア大師」。米国、ドイツに留学後、 1923年から北京大学教授。 諷刺とユーモアを込めた随筆で様々な分野に私見を述べた。36年米国移住し後「わが国土・わが国民」「北京好日」「嵐の中に木の葉」を英語で出版して欧米の中国理解を促し、日本の侵略を批判。

【茅盾】
20C中国の作家。魯迅と並ぶ左翼リアリズム作家とされる。筆名は中国社会の「矛盾」から。結成当初からの中国共産党員。28-30年日本滞在。33年「子夜」で世界恐慌による民族資本家の没落を、46年「霜葉は二月の花よりも紅なり」では革命青年の変節を描く。戦後政府要職を務める。

【周作人】
20C中国の作家。魯迅の弟。兄と共に日本留学(1906-11)。17年蔡元培に招かれて北京大学教授。胡適の言文一致提唱に共鳴し、文学革命に広範な業績を残した。日中戦争中対日協力。戦後国民政府に「漢奸」として投獄されるが共産党軍により解放。文化大革命で攻撃される。

【蔡元培】
19C末-20C初中国の教育家。清朝に仕えるが戊戌変法が失敗に終わると官職を辞す。女性の権利伸長と女子教育の必要を説き、中国史上初の女学校を設立。1917年から北京大学学長。思想の自由と男女共学を実現し、李大釗、陳独秀、魯迅らを招聘して新文化運動の中心をなした。

【厳復】
19C末-20C初中国の思想家。1877年洋務運動が推進した留学生の一人として渡英し西欧の文化・思想を吸収。98年トマス・ヘンリー・ハクスリーの「進化と倫理」を「天演論」として訳し、発展史観を中国に広める。「優勝劣敗」「適者生存」の言葉と共に知識人の危機感を喚起した。

【王国維】
20C前、清朝末期-中華民国の学者。亀甲獣骨文字研究の「甲骨四堂」の一人。漢族だが清朝の遺臣を自任した。殷墟から出土した甲骨文を解読して王の名が「史記」の記述と一致することを実証し、疑古派によって架空とされていた殷の実在を証明した。27年、頤和園の昆明池で入水自殺。

【羅振玉】
19C末-20C前中国の考古学者。「甲骨四堂」の一人。劉鶚のあとを継いで甲骨文字を研究し「殷墟書契考釈」を発表。紫禁城に残っていた明清時代の档案(行政文書)を買い取って保存。日本との関わりが深く、京都大学の内藤湖南とも親交。溥儀の教師で、晩年満州国参議を務めた。

【黄興】
20C初中国の革命家。1903年華興会結成。05年孫文の興中会、章炳麟の光復会と中国同盟会を結成。南洋華僑から資金を集める。11年広州で蜂起するが「黄花崗七十二烈士」の犠牲を出す。辛亥革命後も袁世凱打倒を目指した。映画「1911」ではジャッキー・チェンが彼を演じた。

【秋瑾】
清朝末期の女性革命家。武闘派。1869年結婚するが、女性解放と女子教育の必要性を感じ、1904年単身日本留学。05年中国同盟会に参加。帰国後07年光復会の訓練施設;大通学堂を開校。同年蜂起計画が発覚し逮捕、処刑。享年31歳。その報は大きな波紋を呼び辛亥革命につながる。

【愛新覚羅奕劻】
清朝末期の皇族。慶親王。西太后に重用され、1884年恭親王奕訢失脚にともない総理衙門大臣となる。義和団の乱後の和平交渉を担当し、1901年北京議定書を締結。04年露清密約を暴露して破棄。05年日本と満州善後条約。11年内閣制移行にともない初代内閣総理大臣。

【愛新覚羅載灃】
19C清の皇族。第2代醇親王。光緒帝の弟で、宣統帝(溥儀)と溥傑の父。1908年宣統帝が2歳で即位すると監国摂政王に就任、袁世凱をを排除し全権を掌握。改革を加速させるが、11年辛亥革命勃発に対処できず袁世凱に全権委譲し引退。33年溥儀の満州国執政就任に反対した。

【愛新覚羅奕譞】
19C清の皇族。初代醇親王。光緒帝の父。西太后を中心とする保守派と光緒帝を中心とする革新派の中間派として重用される。86年海軍衙門大臣となり北洋艦隊の創設にあたるが、西太后の求めに応じて軍事費を頤和園の建設費に流用した。これは日清戦争敗北の遠因となった。

【黄遵憲】
19C末-20C初清朝末期の詩人、政治家。1877年日清修好条規で国交樹立した日本へ赴任。琉球処分や朝鮮問題で譲歩を余儀なくされ、国力充実の必要を痛感。康有為・梁啓超の戊戌変法(98-99)を補佐。99年戊戌政変後は後進を指導。詩に口語を導入し文学革命の先駆をなす。

【ヴィヴェーカーナンダ】
19C後-20C初インドの宗教家。ラーマクリシュナの弟子で、ヨーガとヴェーダーンタ哲学の霊的指導者。宗教の多様性を真理に対するアプローチの違いとして肯定した。93年シカゴの世界宗教者会議に出席して好評を博し、彼の言葉を通じて欧米にインド哲学が広まった。

【ラーマクリシュナ】
19Cインドの宗教家。インドの豊かな精神文明を体現し英国支配下のインド人の誇りを取り戻した。ベンガルのバラモンの家系に生まれ厳しい修業を積んだ。諸宗教は究極の一なる神が有形無形様々に変化したものであると考え普遍宗教を志向した。ヴィヴェーカーナンダは彼の弟子。

【アウグスト・セサル・サンディーノ】
20C前ニカラグアの革命家。「自由な人々の将軍」。1926年親米保守政権に対する反乱に参加。介入した米海兵隊との戦いを指導し、33年撤退に追い込む。34年アナスタシオ・ソモサ・ガルシア将軍により暗殺。サンディニスタ民族解放戦線は彼の名に因む。

【ホセ・マルティ】
19Cキューバの詩人、革命家。「キューバ独立の父」。1868年16歳で革命運動に身を投じ、たびたび投獄・追放される。92年ニューヨークでキューバ革命党を設立。95年キューバに上陸するが戦死。米国の介入による独立を拒否し、後世の革命家に大きな影響を与えた。

【アブド・エル・クリム】
1920年代モロッコの反乱指導者。リーフ族の族長としてスペインの支配に反抗し、21年にはリーフ共和国の独立を宣言した。共和国はソ連から国家承認され、その援助によりスペイン軍を追い詰めていくが、仏領モロッコへの波及を恐れたフランス軍の参戦により敗れた。

【ホレイショ・ハーバート・キッチナー】
帝国主義時代英国でアフリカ縦断を実現した軍人。1898年マフディー国家を破ってスーダンを再征服。ファショダ事件でフランスと衝突。第二次ボーア戦争(99-1902)では苦戦し強制収容所を設置。第一次世界大戦の長期化を先見。15年戦死。

【ジョン・チレンブウェ】
19C末-20C初英領ニヤサランドとして支配されていたマラウイの反英抵抗運動指導者。バプテスト教会牧師。1897-1900年米国に留学して黒人解放運動に触れる。第一次世界大戦のさなかの15年武装蜂起するが半月ほどで鎮圧され射殺された。現在でも民族的英雄。

【ラビーフ・アッ=ズバイル】
19C末中央アフリカにラビーフ帝国を建国した軍人。スーダンで奴隷商人をしていたがエジプト政府の奴隷貿易禁止に対抗して反乱を起こす。マフディーを自称しチャドに侵入して1893年カネム・ボルヌ帝国を征服。97年フランス軍の侵攻を受け1900年戦死。

【サモリ・トゥーレ】
19Cギニア出身、サモリ帝国の創始者。「スーダンのボナパルト」。ニジェール、マリに商業とイスラム教を基礎に置く広大な帝国を築く。フランス軍と衝突し、軍を近代化して対抗。苦戦の末象牙海岸に移動しここでフランス軍に勝利。1898年、フランス軍に追われ帝国は崩壊。

【ピョートル・クロポトキン】
19C後-20C前ロシアの学者、革命家。マルクス主義にも社会民主主義にも反対し、国家を廃した相互扶助社会を確立する無政府共産主義を唱えた。青年時代は軍務でシベリアを調査。何度も投獄されながら欧州各地を逃亡し活動。ボリシェビキによる十月革命を批判。

【ヴェーラ・ザスーリチ】
19C後-20C初ロシアの女性革命家。小貴族出身。ナロードニキに傾倒し78年フョードル・トレポフ将軍を面前で狙撃。革命運動の英雄となる。ゲオルギー・プレハーノフに共鳴しマルクス主義に転向。1903年社会民主労働党の分裂によりメンシェヴィキの指導者となる。

【アレクサンドル3世】
19C後帝国主義時代初期のロシア皇帝(位1881-94)。兄帝アレクサンドル2世の暗殺により即位。兄帝の進めた政治改革に逆行する反動政治を展開する一方、91年の露仏同盟を契機にフランス資本を導入してシベリア鉄道を起工し、経済の近代化と産業革命を推進した。

【サミュエル・ゴンパーズ】
19C後-20C前米国の労働運動指導者。ユダヤ人。1886年のアメリカ労働総同盟結成に尽力、初代会長(任1886-1924)。熟練労働者のみを構成員とし、労使協調を旨とする保守的組合。19年パリ講和会議に出席し、国際労働機関(ILO)設立に関与。

【エリフ・ルート】
20C米国の政治家。共和党。ジョン・ヘイの後任としてセオドア・ルーズベルト政権の国務長官(任1905-09)。08年日本の高平小五郎駐米大使と交渉し、日本の満州権益を認める高平・ルート協定を締結。常設国際司法裁判所の設立に尽力。12年ノーベル平和賞。

【エドワード・ヘンリー・ハリマン】
19C後-20C初米国の実業家。「鉄道王」。ウォール街と連携して資金を調達し、全米の鉄道会社を次々に買収した。1904年彼の企業体に独占禁止法違反の判決が下る。日露戦争中日本の戦時公債を引き受け、南満州鉄道の共同経営をもくろんだが拒否された。

【カール・カウツキー】
19C後-20C前、ドイツの政治家。「マルクス主義の法王」。1885-90年ロンドンに滞在しエンゲルスに師事。91年ドイツ社会民主党のエルフルト綱領を起草。マルクス主義中間派として党を主導するが、第一次世界大戦に際して党の「城内平和」路線に反発して離党。

【ヴィルヘルム・リープクネヒト】
19Cドイツの政治家。カール・リープクネヒトの父。亡命先のロンドンでカール・マルクスと知り合う。1869年アウグスト・ベーベルらとマルクス主義のアイゼナハ派をなす。75年フェルディナント・ラッサールの穏健派と合同しドイツ社会主義労働者党を結成。

【アルフレート・フォン・シュリーフェン】
19C末-20C初ドイツ帝国参謀総長(1891-1905)。1905年ベルギーとオランダを通過してフランスを猛襲し、次いで軍を東に向けロシアを叩く二正面作戦計画を考案。シュリーフェン・プランは彼の死後第一次世界大戦で実行されたが失敗。

【ベルンハルト・フォン・ビューロー】
帝国主義時代のドイツ帝国外相(任1897-1900)、首相(任00-09)。ヴィルヘルム2世の下で海軍増強、3B政策、膠州湾租借(1898)など「世界政策」を推進。第一次モロッコ事件(05)やデイリー・テレグラフ事件(08)でドイツは孤立化。

【ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン=セシル】
19C末-20C初英国首相(任1885-1905の間3次)。貴族院保守党。1881年ベンジャミン・ディズレーリの死後保守党党首。ウィリアム・グラッドストン率いる自由党と政権を争う。外交では帝国主義政策を遂行。1902年日英同盟。

【エメリン・パンクハースト】♀
19C後-20C前、英国の女性参政権獲得活動家。1903年婦人社会政治連合を結成。爆弾テロを含む過激な手段に訴えた。獄中では10回のハンガー・ストライキを行った。第一次世界大戦に際して戦時協力を呼びかけ、これに報いる形で18年女性参政権は実現した。

【李秀成】
太平天国の指導者。忠王。貧農出身。1849年乱に参加して頭角を現し湘軍、淮軍、常勝軍と激闘を展開。64年天京攻防戦に敗れ淮軍の曽国荃に捕らえられ処刑された。この時の調書が太平天国の実態解明に寄与。文化大革命時には彼を裏切り者として劉少奇になぞらえる批判が展開された。

【石達開】
太平天国の指導者の一人。広西省出身。チワン族との説も。拝上帝会に加入して洪秀全に帰依。1851年金田蜂起以降各地で戦功をたてる。占領地で天朝田畝制度に反する「安慶改制」を実施。56年天京事変以降洪秀全と対立。四川からの北上を企図したが清軍に敗れ投降、処刑。

【ウィリアム・ネイピア】
19C前英国海軍軍人、外交官。1834年東インド会社の中国貿易の独占権廃止にともないパーマストン外相の命で清駐在貿易監督官として派遣され、広州に強行上陸して自由貿易を求める交渉を行おうとしたが失敗。これは40年のアヘン戦争に至る侵略行為の端緒であった。

【ロバート・モリソン】
19C前英国のプロテスタント宣教師。1807年清に渡り広州とマカオで活動。「新約聖書」を中国語に翻訳。欧州の中国研究の基礎となる「中国語辞典」を著す。16年ウィリアム・アマーストの通訳として北京に随行。洪秀全が手にした「勧世良言」を著した梁発は彼の弟子。

【ニコライ・レザノフ】
18C末-19C初ロシアの外交官。アラスカ経営には日本との通商と北米西海岸の植民地化が不可欠と考え計画。1803年アダム・ラクスマンに続く第2次遣日使節として長崎に来航するが通商を拒絶される。彼の死後アラスカ経営は頓挫し67年米国に売却。露日辞典を作成。

【トーマス・ラッフルズ】
19C前英国の植民地建設者。1811年ナポレオン戦争中のジャワ島遠征軍に参加。密林に眠るボルブドゥール遺跡を発見。1818年ジョホール王国からシンガポールを獲得し、自由貿易港として発展させた。博物学にも業績を残し、世界最大の花ラフレシアの名は彼にちなむ。

【第14代ダービー伯エドワード・スミス=スタンリー】
19C後3次にわたる英国首相(任1852、58-59、66-68)。貴族院保守党。1833年植民地における奴隷貿易廃止に尽力。3期の政権はいずれも保守党が議会多数を占めておらず、短命に終わった。58年インドを直接統治へ移行。

【ランジート・シング】
19C前シク王国の建国者(位1801-39)。「パンジャーブの虎」。パンジャーブ地方のシク教徒を結集して1801年王国を建国。ヨーロッパ人を雇った富国強兵政策により領土を北西インド一帯に広げた。39年彼が死ぬと王国はシク戦争を経て49年英国に併合された。

【ラシード・リダー】
19C後-20C前シリア出身のイスラーム改革思想家。1897年ムハンマド・アブドゥフと雑誌「マナール」(灯台)を刊行。西欧的価値観を否定するとともにイスラーム社会、特にスーフィーやウラマーの腐敗を批判した。正統カリフ時代への回帰を主張(サラフィー主義)。

【アブデュルアズィズ】
19C後オスマン帝国のスルタン(位1861-76)。兄帝アブデュルメジト1世の改革(タンジマート)を受け継ぎ、西欧諸国を歴訪、民法典を整備、海軍を増強した。しかし財政は悪化の一途をたどり、さらなる改革を望むミドハト・パシャらによって廃位された。

【ムスタファ・レシト・パシャ】
19Cオスマン帝国の改革派官僚。1836年から外相。39年15歳のアブデュルメジト1世が即位すると近代化改革を建言してギュルハネ勅令を起草しタンジマートを推進した。クリミア戦争後パリ講和会議全権代表。ミドハト・パシャら有能な官僚・文化人を育成した。

【ムハンマド・イブン=サウード】
18C第一次サウード王国(ワッハーブ王国)の建国者(位1744-65)。アラビア半島の豪族サウード家出身。ムハンマド・イブン=アブドゥルワッハーブの養子となりワッハーブ派と結んで勢力を拡大。ワッハーブ派イマームの地位はサウード家に世襲されていく。

【ジョーゼフ・ピューリツァー】
19C後-20C初、米国のジャーナリスト。ハンガリー出身のユダヤ人。1872年から新聞を出版、捏造記事を含むセンセーショナリズムで購読者を増やした。反スペイン感情を刺激する記事は、米西戦争に影響した。1917年遺産によりピューリッツァー賞を設立。

【フリードリヒ・フレーベル】
19Cドイツの教育学者。未就学の幼児の教育に尽力した。ロマン主義の立場から子供の本質を尊重し、1837年自然豊かな幼稚園(キンダーガルテン)を創設。プロイセン全土に広がるが政府に危険視され弾圧された。お遊戯や玩具など、世界の幼児教育に影響を与えた。

【ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ】
18C後-19C前スイスの教育者。ジャン=ジャック・ルソーの「エミール」に感銘を受け、子供の自発性に基礎を置く知・徳・体の調和的発達と弱者への配慮ある教育を提唱。フリードリヒ・フレーベル、ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトに大きな影響を与えた。

【ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー】
18Cフランスの探検家。海軍准将。1785年から太平洋を探検。87年アイヌの地であった北海道、樺太、千島列島を探検し宗谷海峡を通過。その後サモア諸島、オーストリアを探検するが、英国の探検隊に記録を託したのを最後に消息を絶った。

【エドワード・ギボン・ウェイクフィールド】
19世紀英国の植民地政治家。土地を移民に分け与えるのではなく、資本家に高額で売却することで集約的な植民地経営ができるというウェイクフィールド理論を主張した。オーストラリアで1830年代に実施されたが、土地は投機の対象となり失敗した。

【アーノルド・トインビー】
19C英国の経済学者。アーノルド・J・トインビーの叔父。オックスフォード大学で行った講義が編集され1884年「イギリス産業革命史」として刊行され、「産業革命」という言葉を知らしめた。産業革命が引き起こした貧困を問題視し、自ら福祉事業の先駆者となった。

【フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン】
19C-20C初ドイツの地理学者。1867-72年清朝中国の各地を調査し、1911年までに大著「中国」を刊行。この中で「絹の道」の語を初めて使用した。同書はヴィルヘルム2世の中国に対する帝国主義的関心を高めたとも言われる。

【ギュスターヴ・エッフェル】
19C後-20C前、フランスの土木・建築技師。鋼鉄の本格的普及前に、錬鉄の特製を活かして欧州各地に駅舎、鉄橋を建築した。1889年パリ万国博覧会のモニュメントとして、当時世界一の巨大な鉄骨塔を建設(エッフェル塔)。科学技術の時代の到来の象徴となった。

【リュミエール兄弟】
19C後-20C前フランスの映画発明者。兄オーギュスト、弟ルイ。1894年トーマス・エジソンのキネトスコープに感銘を受け、動画の研究を開始。スクリーンに映写するシネマトグラフを開発。95年世界初の映画「工場の入り口」を公開。1900年パリ万博でも上映。

【ジーメンス兄弟】
19Cドイツの発明家、実業家、シーメンス社の創業者。長兄ヴェルナーは電信機を改良。地中・海底ケーブルを発明。1870年にロンドンから陸路でカルカッタまで到る電信ケーブルを建設した。ヴィルヘルムは鉄鋼用平炉を発明、フリードリヒはガラスの製造法に革新をもたらした。

【ジャン・アンリ・ファーブル】
19C-20C初フランスの博物学者、詩人。教員をしながら昆虫の生態を研究。学術論文ではなく読み物の形で世に出したのが「昆虫記」であり、世界中で翻訳、愛読されている。日本で初めて「昆虫記」を訳したのは大杉栄。自然選択説による進化論には反対した。

【ユストゥス・フォン・リービッヒ】
19Cドイツの化学者。「農芸化学に父」。1826年化合物の異性体の存在を発見。有機化合物の構造の解明を進め、数多くの物質を精製。飢饉に心を痛め、窒素、リン酸、カリウムからなる化学肥料を開発。農業生産は飛躍的に改善した。食品加工業にも先駆的業績。

【ジェームズ・クラーク・マクスウェル】
19C英国の理論物理学者。スコットランド貴族出身。1864年マイケル・ファラデーの電磁場理論を数式化(マクスウェルの方程式)して古典電磁気学を確立。電磁波の存在と性質を正確に予想。史上初のカラー写真を撮影したり気体分子や土星の研究にも業績。

【ジェームズ・プレスコット・ジュール】
19C英国の物理学者。醸造業を営んで生涯在野で研究。1840年電流と熱量の関係を解明(ジュールの法則)。エネルギー保存則の発見に貢献。熱の仕事当量を測定。気体の冷却方法を考案し、冷蔵技術の基礎を築いた。エネルギーの単位ジュールは彼にちなむ。

【アンドレ=マリ・アンペール】
19Cフランスの物理学者。電磁気学の創始者の一人。父は国民公会政府によってギロチンで処刑された。1820年、「アンペールの法則」を発見し、電気力学の基礎法則を確立した。後に国際単位系が定められた際、電流の単位は彼にちなんでアンペアと名づけられた。

【ゲオルク・オーム】
19Cドイツの物理学者。導体にかかる電圧と流れる電流には正比例の関係があるというオームの法則を発見し、1827年に公表した。長らく業績が認められず、高校教師をしながら研究を続けた。後に国際単位系が定められた際、抵抗の単位は彼にちなんでオームと名づけられた。

【アレッサンドロ・ボルタ】
18C後-19C前イタリアの物理学者。1776年頃、電圧を発見。1800年ルイージ・ガルヴァーニの動物電気説を否定し、食塩水と銀・亜鉛の電極からなる史上初の電池を発明した。後に国際単位系が定められた際、電圧の単位は彼にちなんでボルトと名づけられた。

【クロード・ベルナール】
19Cフランスの医師、生理学者。実験医学の先駆。組織液の循環等の調整メカニズムにより生物の内部環境は外部環境から独立していると提唱した(ホメオスタシス)。ルイ・パスツールとともに低温殺菌法を考案。「実験医学序説」は自然主義文学にも影響を与えた。

【トマス・ヘンリー・ハクスリー】
19C英国の生物学者。「ダーウィンの番犬」。オルダス・ハクスリーの祖父。1859年にチャールズ・ダーウィンが「種の起源」を発表して以降、論争が苦手なダーウィンに代わって進化論を擁護した。その際人間と類人猿の脳の類似を示し、大きな反響を呼んだ。

【ジャン=バティスト・ラマルク】
18C後-19C前フランスの博物学者。先駆的進化論者。無脊椎動物の研究によって生物が進化していることを確信。個体が獲得した形質が遺伝する「用不用説」を主張。これはチャールズ・ダーウィンの自然選択説によって否定された。貴族出身だが革命を支持した。

【ジョルジュ・キュヴィエ】
18C末-19C前フランスの博物学者。ナポレオン・ボナパルトの信頼厚く、1819年パリ大学総長。比較解剖学を元に化石を研究し、古生物学の基礎を築く。種の不変性を信じ、ジャン=バティスト・ラマルクの進化論に反対。古生物の絶滅を「天変地異説」で説明。

【ウジェーヌ・デュボワ】
19C後-20C前、オランダの解剖学者、人類学者。人類は東南アジアで進化したというエルンスト・ヘッケルの説を信じ、軍医としてオランダ領東インドに渡り、1891年にジャワ島トリニールでジャワ原人の化石を発見。ピテカントロプス・エレクトスと名付けた。

【クリスチャン・トムセン】
19Cデンマークの考古学者。コペンハーゲン王立博物館の館長として収蔵品を石・銅・鉄の三つに分類して展示。石器時代・青銅器時代・鉄器時代の三時代区分法を提唱し遺物による先史時代研究の基礎を固めた。

【エルネスト・ルナン】
19Cフランスの宗教史家、思想家。ヘブライ語研究とパレスチナの実地調査を経て、1863年非科学的な要素を排した歴史上の人物としてのイエス・キリストを伝える「イエス伝」を著す。82年講演「国民とは何か?」で自由意志による国民形成を提唱。植民地主義の擁護者。

【ヨハン・グスタフ・ドロイゼン】
19Cドイツの歴史家。アレクサンドロス大王以後の300年間に注目し、「ヘレニズム時代」と名付けた。1848年ドイツ三月革命がに起こるとフランクフルト国民議会の議員となり、プロイセンを中心とするドイツ統一を主張してプロイセン学派を牽引した。

【ヤーコプ・ブルクハルト】
19Cスイスの歴史家。歴史事象や制度史よりも時代の雰囲気や人々の生活を重視。「イタリア・ルネサンスの文化」で、ルネサンスは古典文化の復興であると説いた。ジュール・ミシュレが使用した「ルネサンス」の語は同書によって浸透した。フリードリヒ・ニーチェと親交。

【ジュール・ミシュレ】
19Cフランスの歴史家。1833-67年民衆を重視した「フランス史」を刊行。この中でルネサンスという用語を初めて使用した。「魔女」では魔女狩りを詳述。博物学上の著作も多数。政治的には自由主義者で二月革命を支持、ナポレオン3世への宣誓を拒否した。

【トーマス・マコーリー】
19C英国の歴史家。ホイッグ党下院議員でもあったブルジョワジーの自由主義者。未完に終わった「イングランド史」で英国の歴史を自由主義とそれを抑圧する勢力との戦いの歴史として描いて(ホイッグ史観)大反響を呼び、進歩主義的な歴史観の先駆となった。

【トーマス・カーライル】
19C英国の歴史家・思想家。ヴィクトリア朝時代を代表する言論人。産業革命以来の功利主義、物質主義を批判し、理性よりも魂や意志の力を重視した。「英雄崇拝論」で「歴史は英雄によって作られる」と主張。実証的歴史学とは異なる叙事詩的な「フランス革命史」を残した。

【スティーブン・フォスター】
19C米国の歌曲作家。「アメリカ音楽の父」。黒人霊歌や農園歌から強い影響を受け、ミンストレル・ショーで歌われる歌曲を多数作り、国民に愛唱された。「おおスザンナ」はゴールドラッシュに向かう人々に流行した。ケンタッキー、フロリダ両州の州歌でも知られる。

【ジュゼッペ・ヴェルディ】
19Cイタリアロマン派音楽の作曲家。「国民の父」。民族解放を主題としたオペラ「オベルト」「ナブッコ」「マクベス」がイタリア統一の昂揚の中で熱狂的に支持された。1871年スエズ運河開通時にカイロで「アイーダ」を上演。他に「リゴレット」「椿姫」など。

【エドヴァルド・グリーグ】
19C後-20C初ノルウェーの作曲家。「北欧のショパン」。ノルウェーの民族音楽を取り入れた国民楽派。同国の文化的英雄ヘンリック・イプセンの「ペール・ギュント」に付した劇音楽と、フィヨルドの注ぐ滝の流れを表現した「ピアノ協奏曲イ短調」冒頭は最も知られる。

【アレクサンドル・ボロディン】
19Cロシアの作曲家。「日曜作曲家」。国民音楽派ロシア五人組の一人。1869年中世ロシア叙事詩を扱ったオペラ「イーゴリ公」を作曲。この中の「だったん人の踊り」はよく知られる。他に交響詩「中央アジアの草原にて」など。化学者としても多くの業績を残した。

【ミハイル・グリンカ】
19Cロシアの作曲家。「近代ロシア音楽の父」。農奴オーケストラが演奏する民謡に影響を受ける。民族伝説劇「皇帝に捧げた命」、アレクサンドル・プーシキン原作の幻想冒険劇「ルスランとリュドミラ」などオペラの傑作を残す。「幻想的ワルツ」はワルツの原点。

【アントニン・ドヴォルザーク】
19C後-20C初、チェコの作曲家。ヨハネス・ブラームスに見出され、1873年に8曲からなる「スラヴ舞曲集」で成功。渡米した際ネイティブ・アメリカンの音楽や黒人霊歌を吸収。交響曲第9番「新世界より」は日本では「遠き山に日は落ちて」の歌で知られる。

【グスタフ・マーラー】
19C後-20C初オーストリアの作曲家、指揮者。ユダヤ人。交響曲と歌曲の大家。新ロマン派としてドイツ民謡を引用した。声楽パートを伴い1時間を超える壮大な交響曲で知られ、生涯に第9番まで作曲。「亡き子をしのぶ歌」は早くに亡くした2人の女子をしのぶ歌曲。

【フェリックス・メンデルスゾーン】
19Cドイツロマン派の作曲家。ユダヤ人。ウィリアム・シェイクスピア「夏の夜の夢」に付した「結婚行進曲」は現在も結婚式で頻繁に使用される。他ヴァイオリン協奏曲ホ短調など多大な業績を残す。リヒャルト・ワーグナーは「音楽におけるユダヤ性」で彼を中傷。

【ヨハネス・ブラームス】
19Cドイツの作曲家。ベートーヴェンの後継者とも。1868年マルティン・ルターが訳したドイツ語版の聖書に基づく宗教曲「ドイツ・レクイエム」を作曲。89年トーマス・エジソンの蓄音機に史上初の音楽録音をした。「ハンガリー舞曲第5番」は日本でもよく知られる。

【ヨハン・シュトラウス2世】
19C後オーストリアの音楽家。ヨハン・シュトラウス1世の子。「ワルツ王」。1866年普墺戦争大敗に沈む国民を鼓舞するため「美しき青きドナウ」を作曲。他に「ウィーンの森の物語」「爆発ポルカ」「皇帝円舞曲」など。オペレッタにも多数の傑作。

【ヨハン・シュトラウス1世】
19C前オーストリアの音楽家。ヨハン・シュトラウス2世の父。150曲近いワルツを作曲した「ワルツの父」。1833年からウィーン軍楽団楽長。48年ウィーン三月革命を支持。「ラデツキー行進曲」はオーストリア帝国の英雄ヨーゼフ・ラデツキー将軍を讃える曲。

【カミーユ・サン=サーンス】
19C後-20C前フランスの作曲家。ピアノ、オルガン奏者としても活躍。詩、天文学、数学、絵画にも精通した天才。近代音楽を批判し、古典的様式を好んだ。オペラ「サムソンとデリラ」、組曲「動物の謝肉祭」の他、ピアノやヴァイオリンの協奏曲にも多数の傑作。

【ジョルジュ・ビゼー】
19Cフランスの作曲家。フランスロマン派歌劇の大家。代表作は男を破滅させる奔放なジプシーの女を描くオペラ「カルメン」。生前は評価されなかったが、死後友人のエルネスト・ギローによる上演で好評を博した。「カルメン」の前奏曲は日本でもCMソングとして多用される。

【エドガー・ドガ】
19C末-20C初、フランスの画家。印象派。「現代生活の古典画家」を自称。普仏戦争で網膜の病気を患い、屋内を描いた作品が多い。特にバレエを好み「三人の踊り子」「バレエ教室」「エトワール」「舞台のバレエ稽古」などの傑作を残す。他に「室内」「競馬場の馬車」など。

【ジャン=バティスト・カミーユ・コロー】
19Cフランスの画家。パリ郊外の小村にアトリエを置いた「バルビゾンの七星」の一人。都市や農村のありふれた風景を詩情ゆたかに描き出す手法はのちの印象派にも影響を与えた。「モルトフォンテーヌの思い出」「真珠の女」「青い服の婦人」など。

【ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー】
19C前英国のロマン主義の画家。歴史を題材にした作品の他、欧州各地を旅行して風景を写生し、風景画の傑作を多数残した。大気、光、雲の劇的な表現が特色で、印象派にも影響を与えた。「雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道」はその集大成。

【テオドール・ジェリコー】
19C前フランスの画家。徹底した写実を追求し、ロマン派絵画の先駆となる。1816年にアフリカ西岸沖で乗客を乗せたフランス海軍フリゲート艦が難破した事件に衝撃を受け生存者に取材、19年地獄絵図のような「メデューズ号の筏」を完成した。24年32歳で早世。

【マクシム・ゴーリキー】
19C末-20C初ロシアの作家。戯曲「どん底」で貧困層の生きざまをありのままに描く。詩「海燕の歌」は革命の予言といわれる。「母」では革命運動そのものを小説化し、社会主義リアリズム文学を創始。ボリシェヴィキを支援。革命後、ソビエト作家同盟を設立。

【ゲアハルト・ハウプトマン】
19C末-20C前ドイツの作家。1889年炭鉱労働者の悲惨な境遇を描いた戯曲「日の出前」で成功し、自然主義文学の代表者となった。「織匠」では労働争議を題材にする。鋳鐘師が妖精に心を奪われる「沈鐘」は泉鏡花にも影響を与えた。1912年ノーベル文学賞。

【オー・ヘンリー】
19C末-20C初米国の作家。短編小説の名手。ヒューマニズムに満ちた素朴な人情話が世界の大衆に好まれ、児童読本にも多く採用されている。互いの献身的な愛を描く「賢者の贈り物」、老人が若者に生きる希望を伝える「最後の一葉」、「都会の敗北」「よみがえった改心」など。

【マーク・トウェイン】
19C-20C初米国の作家。ミズーリ州出身。南北戦争前の牧歌的な米国を描いた「トム・ソーヤーの冒険」「ハックルベリー・フィンの冒険」の作者。元蒸気船の水先人で、筆名は水深を知らせる合図に由来。他に「王子と乞食」や旅行記「ハワイ通信」など。帝国主義に反対。

【エドガー・アラン・ポー】
19C米国の作家。「モルグ街の殺人」で推理小説、「アーサー・ゴードン・ピムの物語」でSF小説の原型を作った。「アッシャー家の崩壊」「黒猫」などのゴシックホラーや「大鴉」などの叙情詩でも知られ、後世に多大な影響を残した。江戸川乱歩の筆名は彼にちなむ。

【ハーマン・メルヴィル】
19C米国の作家。青年時代の1840-43年捕鯨船に乗船し脱走、暴動、逮捕を含む冒険を体験。51年この体験を基に白い鯨と捕鯨船の死闘を描く「白鯨」を発表。難解で生前は理解されなかったが20Cに評価された。他に「バートルビー」「ビリー・バッド」など。

【ワシントン・アーヴィング】
19C前米国の作家。代表作は森鴎外が「新世界の浦島」として翻訳した「リップ・ヴァン・ウィンクル」や首のないドイツ人騎士が登場する怪談「スリーピー・ホロウの伝説」が収録された短編集「スケッチ・ブック」。ムハンマドやムスリムに関する著作も有名。

【レーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホ】
19Cウクライナ出身、オーストリアの作家。「ウクライナのツルゲーネフ」。「毛皮を着たヴィーナス」など異性からの凌辱によって性的陶酔を得る主題の作品を多く残し私生活でも実践した。精神科医クラフト=エビングはこれをマゾヒズムと名付けた。

【ヘンリク・シェンキェヴィチ】
19C後-20C初ポーランドの作家。綿密な考証に基づく叙事詩的歴史小説を得意とした。17Cポーランドの英雄の活躍を描いた「三部作」を経て、1895年ローマ帝国ネロ帝時代を描いた「クォ・ヴァディス」で世界的名声を得る。1905年ノーベル文学賞。

【ゴンクール兄弟】
19Cフランスの作家、美術評論家。兄エドモン・ド・ゴンクール、弟ジュール・ド・ゴンクール。兄弟の共同作品で約30冊の小説、歴史書などを公刊した。19Cフランス文学界の巨星が多数登場する「日記」が最も知られる。兄は浮世絵を紹介し、ジャポニスムの興隆に貢献した。

【エドモン・ロスタン】
19C後-20C前フランスの劇作家。代表作は17Cに実在した剣豪作家を題材に、中世騎士の不器用な悲恋を描く「シラノ・ド・ベルジュラック」。 世界中で上演され、繰り返し映画化されている。日本では「白野弁十郎」として翻案。1918年スペイン風邪により死去。

【アレクサンドル・デュマ・フィス】
19Cフランスの劇作家。父はアレクサンドル・デュマ・ペール。高級娼婦マリー・デュプレシに恋した体験を基に1848年「椿姫」を発表。翌年自ら戯曲化。上演禁止を経て52年初演し大成功を収める。53年にはジュゼッペ・ヴェルディがオペラ化。

【アレクサンドル・デュマ・ペール】
19Cフランスの小説家。父はハイチ出身の将軍トマ=アレクサンドル・デュマ。子はアレクサンドル・デュマ・フィス。「モンテ・クリスト伯(巌窟王)」「三銃士」「王妃マルゴ」など大衆的な歴史小説を多数残した。パリ郊外にモンテ・クリスト城が残る。

【ポール・ヴェルレーヌ】
19Cフランスの詩人。多彩に韻を踏んだ絶唱とされる詩を残した。クロード・ドビュッシーが好んで曲をつけた歌曲でも知られる。1873年には当時18歳のアルチュール・ランボーとの同性愛がもつれ、傷害事件を起こした。事件は後に映画「太陽と月に背いて」に描かれた。

【ステファヌ・マラルメ】
19Cフランスの詩人。象徴派の代表。非常に難解ながら音楽的に洗練された詩を残した。代表作はパーンとニンフの官能体験を描く「半獣神の午後」。クロード・ドビュッシーはこれに「牧神の午後への前奏曲」をつけさらにヴァーツラフ・ニジンスキーがバレエ作品とした。

【ジョルジュ・サンド】
19Cフランスの女性作家。「男装の麗人」。従属的な女性の解放を主張、自ら実践したフェミニズムの先駆。フレデリック・ショパンをはじめ多数の文化人と恋愛関係でも知られる。代表作は不幸な結婚生活を逃れて真実の愛を求める女性を描く「アンディアナ」。

【ライナー・マリア・リルケ】
19C後-20C前ドイツの詩人。代表作はある少女の死から生まれた「オルフォイスへのソネット」、着想から10年を要した「ドゥイノの悲歌」など。人の死も含めた世界のすべてを賛美する叙情詩が特徴。ルー・アンドレアス・ザロメに対する一途な恋でも知られる。

【オスカー・ワイルド】
19Cアイルランド出身の詩人、劇作家。代表作はヒューマニズム溢れる児童文学「幸福な王子」、美青年の破滅を描く「ドリアン・グレイの肖像」、聖書に題材をとる「サロメ」など。詩人アルフレッド・ダグラスと同性愛の関係にあったが1895年投獄され、失意まま没した。

【ジョン・キーツ】
19C前英国の詩人。ロマン主義の代表。頌歌(オード)の名手。すべてを理性で説明する科学に反発し、不可解なものを受容する「ネガティブ・ケイパビリティ」を提唱。妖女と人の恋を描く「レイミア」など、ギリシア神話を好んで題材にした。1821年結核で死去。享年25。

【パーシー・ビッシュ・シェリー】
19C英国の詩人。ロマン派。1816年恋人メアリー・シェリーをともなって駆け落ちし、スイス;レマン湖にあるジョージ・ゴードン・バイロンの別荘での「ディオダディ荘の怪奇談義」が知られる。22年ヨット事故で死去。劇詩「鎖を解かれたプロメテウス」など。

【アルフレッド・テニスン】
19Cヴィクトリア朝英国の詩人。ロマン派。美しい措辞と韻律が特徴。1850年ウィリアム・ワーズワースの後継として桂冠詩人となる。代表作はアーサー王伝説を基にした「国王牧歌」、哀れな水夫の物語詩「イノック・アーデン」、辞世の歌「砂州を越えて」など。

【エミリー・ブロンテ】♀
19C英国の小説家。ブロンテ三姉妹の2番目。1847年「エリス・ベル」の筆名で長編小説「嵐が丘」を刊行。2つの家族で三代に渡り繰り広げられる愛憎劇で、生前には評価されなかったが、20Cになって世界的に評価され、繰り返し映画化もされた。48年30歳で死去。

【シャーロット・ブロンテ】♀
19C英国の小説家。ブロンテ3姉妹の長姉。3姉妹共通の筆名「カラー・ベル」として1847年「ジェーン・エア」を刊行。差別や抑圧と戦う新しい女性像を描き大きな反響を呼び、20Cには繰り返し映画化された。ブロンテ3姉妹の中では最も長く生きたが55年死去。

【ルイス・キャロル】
19C英国の童話作家、数学者。大学の同僚の娘アリス・リデルに語った物語を基に、1865年「不思議の国のアリス」を刊行(挿絵;ジョン・テニエル)。ナンセンス、言葉遊び、パロディに満ち、幾多の派生作品を生んだ。少女美を愛好し、少女ヌードの写真やスケッチも残る。

【ハンス・クリスチャン・アンデルセン】
19Cデンマークの童話作家。貧しいながらも両親に深く愛されて育ち、ヒューマニズムにあふれた寓意に富む多数の童話を残し、世界中で愛されている。代表作は「人魚姫」「親指姫」「裸の王様」「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」「赤い靴」など。

【アレクサンドル・ゲルツェン】
19Cロシアの哲学者。当初アンリ・ド・サン=シモンの思想に共鳴するが、1848年革命の挫折を目撃して西欧型の革命を否定。農村共同体を基礎とする社会主義を唱え、ナロードニキの先駆となった。19Cの巨星が多数登場する「過去と思索」は自伝文学の傑作。

【ニコライ・チェルヌイシェフスキー】
19Cロシアの思想家。ナロードニキ運動の創設者の一人。先駆的女性解放論者。1861年の農奴解放を不徹底として批判。62年逮捕、約20年間をシベリアの流刑地で送った。63年に獄中で発表した小説「何をなすべきか」はウラジーミル・レーニンに影響。

【アンドリュー・ジョンソン】
南北戦争直後の米国大統領(任1865-69)。民主党員だったが南部諸州の脱退に反対。エイブラハム・リンカーンの指名で副大統領となり、リンカーン暗殺によって大統領に昇格。南部諸州に寛大な戦後処理を試み、黒人への公民権付与を拒否したが共和党に弾劾された。

【ウィリアム・ロイド・ガリソン】
19C米国、白人の奴隷制廃止論者。福音派のプロテスタント。1831年「解放者」(リベレーター )を創刊。奴隷制の即時全面廃止を主張し、非暴力と消極的抵抗による実現を目指した。特に女性に支持され、30年代に奴隷制廃止運動は急速に拡大した。

【ジョン・ブラウン】
19C米国の奴隷制度廃止運動家。敬虔なピューリタンとして奴隷制度が聖書の教えに反すると考え、実力行使による奴隷解放を提唱。59年同志 21人を率いてバージニア州の連邦武器庫を襲撃し占拠するが鎮圧され処刑された。「リパブリック賛歌」は元々彼にちなんだ北軍軍歌。

【ドレッド・スコット】
19C米国の奴隷。1846年奴隷州のミズーリ州から自由州のイリノイ州に奴隷州によって連れていかれたことで自由身分を獲得したとして訴訟を起こした。57年連邦最高裁判所は彼の訴えを認めない判決を出し、北部諸州の奴隷制反対論者を激怒させた。彼自身は金銭で解放。

【フレデリック・ダグラス】
19C米国の元奴隷、奴隷制度廃止運動家、政治家。「アナコスティア・ライオン」。メリーランド州で奴隷として労働したが1838年ニューヨークに脱出。各地の反奴隷制大会で演説した。45年自叙伝「アメリカの奴隷」を発表しベストセラーとなる。南北戦争後政府要職。

【ナット・ターナー】
19C前米国の奴隷反乱の指導者。バージニア州の奴隷で敬虔なキリスト教徒。1831年「神の啓示」として蜂起し白人市民の殺戮を行った。反乱はすぐに鎮圧。逮捕・処刑され、報復として多数の黒人が虐殺された。67年ウィリアム・スタイロンが彼を小説に描き、論争を呼んだ。

【パトリス・ド・マクマオン】
19Cフランス大統領(任1873-79)。王党派。軍人としてアルジェリア征服戦争、クリミア戦争、イタリア統一戦争で活躍し元帥となる。普仏戦争後アドルフ・ティエール大統領に協力しパリ・コミューンを鎮圧。大統領在任中は共和派が優勢な議会と対立した。

【ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ】
19Cドイツの軍人。大モルトケ。小モルトケは甥。最終階級は元帥、爵位は伯爵。1858-88年プロイセン参謀総長として対デンマーク戦争、普墺戦争、普仏戦争を指揮し、ドイツ統一に貢献した。鉄道と電信を積極的に軍事利用した。

【バイエルン王ルートヴィヒ2世】
19Cバイエルン国王(位1864-86)。「狂王」。政務を嫌って芸術を愛し、ノイシュヴァンシュタイン城建築やリヒャルト・ワーグナーのバイロイト祝祭劇場建設支援など浪費を繰り返し、財政を悪化させた。1886年家臣により廃位され、翌日水死体で発見。

【ウィリアム・スミス・オブライエン】
19C中アイルランドの独立運動家。英国下院議員。当初はダニエル・オコンネルのリピール協会に参加したがジャガイモ飢饉(1845-49)に直面して武装闘争を決意。欧州が革命に覆われた48年、青年アイルランド党を率いて蜂起したが失敗し逮捕された。

【ヘンリー・グラタン】
18C後-19C初アイルランドの独立指導者。1778年アルスター義勇軍創設。アメリカ独立戦争で苦境に立つ英国にアイルランド議会の独立を要求し82年実現。立法自主権を獲得した議会は「グラタン議会」と呼ばれたが1801年連合法により解散。カトリック解放に尽力。

【ジョン・フロスト】
19Cチャーティズムの指導者。ウェールズの炭鉱町ニューポート出身の裕福な呉服商で市長も務めた。1839年11月4日のニューポート蜂起を率いたが鎮圧され逮捕された。これにより第一回目の運動は挫折した。死刑を減刑されタスマニア島に流刑となるが56年恩赦で帰国。

【ファーガス・オコーナー】
19C英国チャーティズムの指導者。アイルランド出身。下院議員。新救貧法反対闘争からチャーティズムに合流。北・中部繊維工業地帯を基盤とする「暴力派」のリーダー。機関紙と演説で大衆を扇動し、フランス革命のような暴動による目的達成を目指した。農地解放も主張。

【ロバート・ピール】
19C前英国首相(任1834-35、41-46)。彼の党首時代にトーリー党は保守党に脱皮した。産業資本家の利益を代弁し、関税の撤廃・削減によって自由貿易を推進。「世界の工場」の最盛期をなした。46年党内地主層の保護貿易主義を押さえ込んで穀物法を廃止。

【フランシスコ・デ・ミランダ】
18C後-19C初ベネズエラの革命家。スペイン帝国陸軍将校としてアメリカ独立戦争に参加後独立派になりフランス革命にも参加。1810年半島戦争に乗じシモン・ボリバルらとともにベネズエラ第一共和国を樹立するが失敗。ボリバルと対立しスペインに送られた。

【ラファエル・デル・リエゴ】
19C前スペインの英雄的軍人。階級は元帥。自由主義者。1808年半島戦争に従軍。20年陸軍少佐として反乱を起こしフェルナンド7世に対し1812年憲法の復活を認めさせた(スペイン立憲革命)。23年侵入した神聖同盟軍に抵抗するが捕らえられ処刑された。

【ピウス7世】
19C初のローマ教皇(位1800-23)。フランス革命後の反教会的な雰囲気の中で教皇選出。ナポレオン・ボナパルトとコンコルダートを結び、フランス政府との和解を実現。1804年ナポレオンに戴冠。その後ナポレオンと対立した結果ウィーン体制下で教皇庁の地位は復活した。

【カスルリー子爵ロバート・ステュアート】
18C末-19C初英国の政治家。アイルランド出身。トーリー党所属。1800年のアイルランド併合に尽力。ナポレオン戦争に際しては外交で活躍。半島戦争の管轄権をめぐってジョージ・カニングと対立し、09年決闘事件に発展。ウィーン会議英国代表。

【ミハイル・クトゥーゾフ】
18C後-19C初帝政ロシア時代の軍人。隻眼。ナポレオン戦争で総司令官となるが、1805年アウステルリッツの戦いで敗北し失脚。12年ナポレオンのロシア遠征(祖国戦争)で国民世論に推されて総司令官に。モスクワの放棄・放火を決断し、フランス軍を撃退した。

【マイアー・アムシェル・ロートシルト】
18C-19C初ドイツの商人、銀行家。ユダヤ人。フランクフルトのゲットー出身。ロスチャイルド家財閥の祖。ヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世の信託財産を元手にナポレオン戦争中、大陸封鎖令を破って英国から物資を欧州各地に密輸して大きな財を成した。

【ジョゼフ・フーシェ】
18C末-19C初フランスの政治家。1793年ジャコバン派の恐怖政治下でリヨンの大虐殺を指揮。統領政府と第一帝政では警察大臣を勤め、秘密警察を含む近代的警察の原型を築いた。1815年百日天下後臨時政府首班として戦後処理にあたったが王党派に追及され失脚。

【神聖ローマ皇帝レオポルト2世】
フランス革命期の神聖ローマ皇帝(位1790-92)。マリア・テレジアの子、ヨーゼフ2世の弟、マリー・アントワネットの兄。トスカーナ大公時代に死刑を廃止。91年プロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム2世とピルニッツ宣言(フランス革命戦争の発端)。

【フィリッポ・ブオナローティ】
18C末-19C前フランスの革命家。イタリア出身。ジャコバン派の一員として活躍。フランソワ・ノエル・バブーフに共鳴し、その思想を後世に伝え多くの革命思想に影響を与えた。カルボナリやチャーティズムとも共闘し、37年に死去するまで欧州各地で活動した。

【ル・シャプリエ】
フランス革命期の政治家。進歩派のブルジョワとしてジャコバン・クラブに属するがのちにフイヤン派に転じた。1891年封建的特権廃止を決議した国民議会「8月4日の夜」で議長。同年労働者の団結を禁じたル・シャプリエ法を起草。恐怖政治時代の94年ギロチンで処刑。

【ジャック・ピエール・ブリッソー】
フランス革命期の政治家。革命前、奴隷制に反対する論文によりバスティーユ牢獄に投獄。1792年立法議会の外交委員会を指導しオーストリアへの宣戦布告を推進。国民公会ではジロンド派を代表する人物として活躍。93年ジャコバン派によってギロチンで処刑。

【ルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュスト】
フランス大革命期の革命家。「死の天使長」。痛烈な演説で台頭し、若くしてジャコバン派の理論的リーダーとなる。1793年から公安委員会を主導。マクシミリアン・ロベスピエールの片腕として恐怖政治を担った。94年テルミドールの反動で逮捕、処刑。

【アントワーヌ・バルナーヴ】
18C末フランス革命期の政治家。1789年から第三身分代表として三部会議員。革命勃発後三頭派の一角として左派を主導。ジャコバン・クラブの創立に参加したが、91年ヴァレンヌ事件以降君主制支持者に転じてフイヤン派を結成した。93年革命裁判所により処刑。

【ジョゼフ・ギヨタン】
18C末-19C初フランスの医師。フランス革命時、国民議会で苦痛の少ない処刑方法として断頭台を提案。91年採用された。実際に機械を考案したのは外科医のアントワーヌ・ルイ。これは彼にちなんでギロチンと呼ばれ、1981年に死刑制度が廃止されるまで使用された。

【ニコラ・ド・コンドルセ】
18Cフランスの学者、政治家。社会現象を科学の方法で分析する人文科学の先駆者。フランス革命後立法議会、国民公会でジロンド派議員として活躍。普通教育・自由教育を提唱。ジャコバン派の恐怖政治に反対し1794年逮捕、獄中で自殺。主著に「人間精神進歩の歴史」。

【ジャン=シルヴァン・バイイ】
18C後半、フランスの天文学者、政治家。木星の衛星やハレー彗星に関する研究で知られる。1789年の三部会に選出され、テニスコートの誓いの議長を務めた。革命勃発後パリ市長。91年シャン・ド・マルスの虐殺で失脚。93年告発されギロチンで処刑された。

【ミハイル・ロモノーソフ】
18Cロシアの科学者。寒村の漁師の家に生まれ苦学の末学者となる。1755年モスクワ大学を設立。61年観測により金星に大気があることを発見。石炭や石油が生物が変化したものだと証明。質量保存の法則に関する先駆的研究。言語学、地理学、画家、詩人としても業績。

【エドワード・ギボン】
18C英国の歴史家。1764年の立志から94年に没するまでの生涯を大著「ローマ帝国衰亡史」の執筆にささげた。最盛期の五賢帝時代から1453年のビザンツ帝国滅亡までを扱う。古代帝国の衰亡を叙述した本書は英国が植民地帝国に成長していく状況下で大反響を呼んだ。

【ポンパドゥール夫人】♀
18Cフランス、ルイ15世の公妾。本名ジャンヌ=アントワネット・ポワソン。1744年その美貌が王の目に留まり、侯爵夫人の称号を賜って夫と別居し公妾となった。政治に関心の薄い王に代わって外交革命期のフランス政治に干渉した。ヴォルテールら啓蒙思想家と親交。

【ジョルジュ=ルイ・ルクレール・ド・ビュフォン】
18Cフランスの博物学者、啓蒙思想家。49年から88年に没するまで文学的・芸術的な百科事典「博物誌」を刊行、18Cの自然学の集大成として広く読まれた。王立庭園をパリ植物園に成長させた。数学界では「ビュフォンの針」問題で知られる。

【ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリー】
18Cフランスの啓蒙思想家、医師。オーストリア継承戦争中の1744年軍医として多くの傷病兵を看取り霊魂の存在を否定する唯物論的生命観を確立。ルネ・デカルトの動物機械説を人間にも適用して48年「人間機械論」を著した。晩年はプロイセンに亡命。

【アベ・ド・サン=ピエール】
17C後-18C前フランスの聖職者、啓蒙思想家。スペイン継承戦争のユトレヒト講和会議(1712-13)に出席。「永久平和論」で恒久的国際機構の設立を提唱し、イマヌエル・カントの「永遠平和のために」を経て国際連盟・国際連合の成立に影響を与えた。

【エドモンド・ハレー】
17C後-18C前英国の科学者。ハレー彗星の名は彼にちなむ。アイザック・ニュートンと親交があり、「自然哲学の数学的諸原理」(プリンキピア)の出版を支援した。太陽熱と大気運動の関係や、生命保険と年金における統計など、天文学以外にも広範な業績を残した。

【トーマス・マン】
17C英国の経済学者。貿易商人として成功し、東インド会社の役員を務めた。輸入超過による銀の流出に対する批判が高まる中で貿易差額(黒字)による富の増大を主張し重商主義を擁護した。加工貿易の重要性も主張。貨幣の不足に対しては手形などの信用貨幣の導入を主張した。

【トーマス・グレシャム】
16C英国の貿易商人、財政家。商人として成功後、1551年エドワード6世に王室の海外負債管理を任され、アントウェルペンの取引所で金融操作により負債を清算。「悪貨は良貨を駆逐する」とう経済原理(グレシャムの法則)を発見。66年ロンドンに為替取引所を設立。

【アントニオ・ストラディバリ】
17C末-18C前イタリアの弦楽器製作者。ヴァイオリンやヴィオラやチェロ、マンドリン、ギターなど約1300挺の楽器を製作したとされ、約600挺が現存している。彼のヴァイオリンはストラディバリウスと呼ばれ、現在に至るまでの標準型となっている。

【アントニオ・ヴィヴァルディ】
18C前イタリアの作曲家。ヴェネチアのピエタ慈善院の付属音楽院で教師をしながら作曲活動を行った。同時代には名声を得たがやがて忘れられ、20Cになってバッハとともに再評価された。オペラも多数残したが、ヴァイオリン協奏曲「春」はもっともよく知られる。

【ウィリアム・ホガース】
18Cロココ時代の英国の画家。1721年風刺銅版画集「南海泡沫事件」を出版してバブル経済を風刺。「娼婦一代記」「放蕩一代記」の風俗画連作シリーズでモラルの崩壊を風刺した。パグ犬を愛し「パグ画家」と呼ばれた。だまし絵の「誤った遠近法」でも知られる。

【シラノ・ド・ベルジュラック】
17Cフランスの劇作家。決闘に明け暮れた剣豪。自由主義に共鳴し、ジュール・マザランら権力者を風刺した。「月世界旅行記」はSFの先駆とされる。19C末にエドモン・ロスタンが彼を容姿は醜いが精神的には理想の騎士として戯曲に描き、世に知られた。

【ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ】
17Cフランス、ルイ14世時代の詩人。「北風と太陽」「ガチョウと黄金の卵」などイソップ寓話を含む世界の動物寓話を基にした寓話詩で知られる。「すべての道はローマへ通ず」「火中の栗を拾う」ということわざを残した。社交界での放埓な私生活でも知られた。

【フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー】
17Cフランスの軍人、作家。リシュリューやジュール・マザランと対立し、フロンドの乱にも参加。後半生はサロンに出入りしながら著作に傾注。「箴言集」が知られる。厭世的で偽善を嫌い、伝統的なキリスト教的人間観を否定。性悪説的な人間観を展開した。

【初代チャタム伯爵ウィリアム・ピット】
18C英国の政治家、首相(任1766-68)。大ピット。小ピットの父。「偉大な平民」。第2次ニューカッスル公爵内閣(1757-61)で事実上の首相を務め、七年戦争を主導。インドや北米でフランスに大勝し、植民地帝国建設の基礎を築いた。

【ウィリアム・ペン】
17C後-18C初、北米植民指導者。ロンドン出身のクエーカー。1681年チャールズ2世が厄介払いとして彼に与えた土地にフィラデルフィアを建設、多くの移民を受け入れた。人民主権、三権分立を実施し合衆国憲法に影響を与えた。ペンシルベニアの名は彼の父にちなむ。

【ヘンリー・ハドソン】
17C初英国の探検家。ハドソン川、ハドソン湾は彼の名にちなむ。1607年・08年に北極海を探検。09年オランダ東インド会社に雇われて北米大陸を探検。ハドソン川を調査し、ニューアムステルダム(後のニューヨーク)建設の先鞭をつけた。10年ハドソン湾を発見。

【ジョージ・フォックス】
17C英国の宗教改革者。クエーカーの創始者。聖職者や儀式などの信仰の外面性を否定。信者がみずから直接神と交わることを重視した。国教会からも清教徒からも弾圧されたが中下層民に多くの信徒を獲得。教団は質素な服装、徹底した平等主義、絶対的な平和主義で知られる。

【リチャード・クロムウェル】
17Cイングランド共和国の第2代護国卿(任1658-59)。オリバー・クロムウェルの三男。共和制が動揺するなか、58年死去した父の後を継ぐが、対立する議会と軍隊の板挟みにあい、就任から8ヶ月で辞任した。60年王政復古によりフランスに亡命。

【ジョン・リルバーン】
17C英国ピューリタン革命期の水平派(レヴェラーズ)の指導者。革命前からロンドンでアジテイターとして活動。1640年革命が起きると議会で活躍し、農民や手工業者に支持を広げた。47年「人民協約」を提出して以降はオリヴァー・クロムウェルに弾圧された。

【スチェパン・ラージン】
17Cロシア、アレクセイ1世統治下のコサックの首領で、反乱指導者。1660年代から重税を逃れた農奴を集めて盗賊団を率いカスピ海沿岸各地を荒らす。70年平等社会を掲げて挙兵すると農奴や下層民が加わり拡大したが翌年鎮圧。その後民衆に中で伝説化し、民謡も有名。

【カール10世グスタフ】
17C中スウェーデン王(位1654-60)。「バルト帝国」の絶頂を極めた武威の君主。軍人として三十年戦争に出征後、女王クリスティーナから譲位された。ポーランド、リトアニア、デンマークに侵入し、北欧を北方戦争(55-61)の嵐に巻き込んだ。陣中で死去。

【クリスティーナ】
17Cスウェーデンの女王(位1626-89)。「バロックの女王」。グスタフ2世アドルフの娘。1648年ヴェストファーレン条約の妥結に尽力し、三十年戦争を終結に導いた。学問を奨励しフーゴー・グローティウスやルネ・デカルトと親交。旧貴族と対立しカール10世に譲位。

【神聖ローマ皇帝フランツ1世】
18C神聖ローマ皇帝(位1745-65)。1736年マリア・テレジアと結婚。オーストリア継承戦争を経て1918年まで続くハプスブルク=ロートリンゲン朝を創始。子はヨーゼフ2世、レオポルト2世、マリー・アントワネットなど。実権は常に妻が握っていた。

【大選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム】
17Cブランデンブルク選帝侯、プロイセン公(位1640-88)。ホーエンツォレルン家。三十年戦争からの復興、中央集権を推進。北方戦争に乗じてポーランド、スウェーデンの支配を排除。フランスからユグノー難民を受け入れ、その高度な技術を受容した。

【神聖ローマ皇帝フェルディナント2世】
17C前神聖ローマ皇帝(位1619-37)。イエズス会の教育を受け、新教徒の一掃を画策。1618年ボヘミアで新教徒の反乱が発生しドイツ三十年戦争が始まる。24年以降フランス、デンマーク、スウェーデンが介入。37年戦局を打開できないまま死去。

【アルブレヒト・フォン・ブランデンブルク】
16Cホーエンツォレルン家出身のドイツ貴族で、ドイツ騎士団団長(位1510-25)、初代プロイセン公(位1525-68)。1523年にルター派に改宗、1525年にポーランド王ジグムント1世に臣従してプロイセンを世襲の公国とした。

【ルーヴォワ侯フランソワ=ミシェル・ル・テリエ】
17Cフランス、ルイ14世時代の陸軍大臣(任1668-72)。銃剣を装備した30万の常備軍を整備しルイ14世の侵略戦争を支えた。軍病院オテル・デ・ザンヴァリッドを設立。ジャン=バティスト・コルベールと対立。ナントの勅令廃止を進言。

【クリスチャン4世】
15C後-16C前デンマーク=ノルウェーの王(位1588-1648)。海軍を増強、1616年デンマーク東インド会社を設立し、海上帝国の基礎を築いた。スウェーデン王グスタフ2世に対抗して25年以降三十年戦争に参戦するが失敗。北欧の覇権をスウェーデンに奪われた。

【ギーズ公アンリ】
16世紀フランスの貴族。ユグノー戦争期の旧教派の指導者。1572年サン・バルテルミの虐殺を首謀した。85年には国王アンリ3世、ユグノーの指導者ナバラ王アンリ(のちのアンリ4世)と三つ巴の戦いを交えた(3アンリの戦い)。結局88年にアンリ3世の命で暗殺された。

【アンリ3世】
16Cヴァロワ朝最後のフランス国王(位1574-89)。兄王シャルル9世を助けてユグノー戦争を戦い、1572年サン・バルテルミの虐殺を首謀した。ポーランド王(位73-75)を経てフランス王位につくと宗教和議を模索する一方、ギーズ公アンリの活躍を警戒して暗殺した。

【ガスパール・ド・コリニー】
16Cフランス、ユグノー派の貴族。階級は提督。イタリア戦争、アメリカ探検で活躍した英雄。シャルル9世は彼を慕っていたが、王太后カトリーヌ・ド・メディシスと対立し1568年宮廷を脱出。ユグノー軍の指導者となる。72年サン・バルテルミの虐殺で惨殺される。

【フィリップ・メランヒトン】
16Cドイツの人文主義者、プロテスタント神学者。ヴィッテンベルク大学のギリシア語教授だったが同僚マルティン・ルターの宗教改革に共鳴。ルターを理論的に支え、その思想の体系化に尽力した。1530年新旧両派の和解を企図して「アウクスブルク信仰告白」を起草。

【神聖ローマ皇帝フェルディナント1世】
16C神聖ローマ皇帝(位1556-64)。ハプスブルク家。カール5世の弟。祖父マクシミリアン1世の画策でヤギェウォ家のアンナと結婚。ドイツ・ボヘミア・ハンガリー王位を継承しハプスブルク君主国を形成した。55年アウクスブルクの宗教和議に尽力。

【ザクセン選帝侯フリードリヒ3世】
15C末-16C前、宗教改革期のザクセン選帝侯(位1486-1525)。1502年ヴィッテンベルク大学を設立。21年ヴォルムス帝国議会後、同大学教授マルティン・ルターを居城であるヴァルトブルク城に保護した。25年死の間際にルター派へ改宗。

【ノストラダムス】
16Cルネサンス期フランスの占星術師、詩人。「ミシェル・ノストラダムス師の予言集」が当時から予言書として大反響を呼び、シャルル9世にも重用された。1970-80年代になって五島勉やジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌが彼の予言を紹介し世界的ブームとなった。

【クリストファー・マーロウ】
16C英国の劇作家、詩人。戯曲はヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテより200年早くファウスト博士伝説を扱った「フォースタス博士」、反ユダヤ主義的な「マルタ島のユダヤ人」など。ウィリアム・シェイクスピアに先がけてエリザベス朝演劇の基礎を築いた。

【エドマンド・スペンサー】
16C英国エリザベス1世の時代の詩人。1580年アイルランドに赴任、98年反乱軍によって屋敷を焼かれた。「妖精の女王」が最も知られる。アレゴリーを多用した長編叙事詩で、エリザベス1世をアーサー王になぞらえて賞賛する。彼の詩体はロマン派に多用された。

【ローマ教皇ユリウス2世】
16C初ルネサンス期のローマ教皇(位1503-13)。教皇アレクサンデル6世と対立、チェーザレ・ボルジアを捕縛。イタリア戦争において教皇領を拡大。多くの芸術家を支援した。サン・ピエトロ大聖堂の新築を決定。ドイツで聖職と贖宥状の販売を行い、不満を買った。

【チェーザレ・ボルジア】
15C末-16C初イタリアの軍人・政治家。父は教皇アレクサンデル6世。イタリア戦争に乗じて外交・軍事両面で活躍し中部イタリアの平定を進めたが道半ばの31歳で戦死。ニッコロ・マキャヴェッリは「君主論」で彼を目的のために手段を選ばない理想の統治者とした。

【アレクサンデル6世】
15Cルネサンス期のローマ教皇(位1492-1503)。前名はロドリーゴ・ボルジア。息子のチェーザレ・ボルジアを右腕とし、大国との駆け引きを通じてローマ教皇庁の軍事的自立を図った。1493年にスペイン・ポルトガルの植民地分界線として教皇子午線を定めた。

【ジロラモ・サヴォナローラ】
15C末フィレンツェで神権政治を行ったドミニコ会修道士。1482年フィレンツェのサン・マルコ修道院に赴任すると、共和国の統治者ロレンツォ・デ・メディチを激しく批判。94年のメディチ家追放後政治顧問として実権を握ったが教皇から破門され98年処刑された。

【ヤーコプ・フッガー2世】
15C後-16C前南ドイツ、アウクスブルクの金融資本家。父がヴェネツィアとの貿易で築いた財で欧州の金銀銅の鉱山を次々に買収し莫大な利益を獲得。「フッガー家の時代」を築いた。神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世、カール5世や教皇レオ10世と癒着した。

【ジョルジョ・ヴァザーリ】
16Cイタリアの画家、建築家、美術史家。コジモ1世のウフィッツィ宮殿、フィレンツェ官庁舎およびそれらをむすぶヴァザーリの回廊を設計。現在はそのいずれもが美術館となっている。大著「芸術家列伝」はイタリアルネサンスの基本資料となった。

【ドナト・ブラマンテ】
15C-16C初、イタリアの盛期ルネサンスの建築家。ローマ建築を再構成して古典主義建築を創始した。1492年以降ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会を改築。1503年教皇ユリウス2世にサン・ピエトロ大聖堂の改築を命じられるが計画どまりに終わった。

【ティツィアーノ・ヴェチェッリオ】
16Cルネサンス期ヴェネツィアの画家。「色彩の魔術師」。官能的な「ダナエ」「ウルビーノのヴィーナス」が最も知られ、多くの画家がモチーフにした。他に「ディアナとアクタイオン」「皮をはがれるマルシュアス」など。1576年ペストにより死去。

【マサッチオ】
15Cイタリア人画家。写実的な人物表現や空間把握などでルネサンス初期の画風を革新。透視図法や消失点、明暗法、空気遠近法などの新しい技術を使用。代表作はサンタ・マリア・デル・カルミネ大聖堂の「貢の銭」、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の「聖三位一体」。

【フラ・アンジェリコ】
15Cルネサンス初期イタリアの画家。フィレンツェで活躍。ドミニコ修道士として生きる傍ら清純で静謐な宗教画を残した。壮麗なゴシック絵画に空間・人体の三次元的描写などのルネサンス的要素を加えた。代表作はサン・マルコ修道院の「受胎告知」、「聖者と聖母子」など。

【ベアトリーチェ・ポルティナーリ】♀
13Cフィレンツェの女性。ダンテ・アリギエーリは1274年9歳の時、祭りで出会った彼女の少女美に魂を奪われた。83年再会、ダンテは一方的に恋するが実らず互いに別の配偶者と結婚。90年24歳で死去。ダンテは「新生」「神曲」に彼女を描いた。

【フランシスコ・デ・アルメイダ】
16C初、ポルトガル海上帝国の建設に大きく貢献した英雄的軍人。1505年インド総督となり、モザンビーク、インド南西岸に築城、マラッカに遣使して、香料の集荷と通商路の防衛網を確立した。1509年ディーウ沖海戦において、イスラム連合艦隊を撃破。

【イブン・マージド】
ヨーロッパ人から「インド洋の教師」とも呼ばれた15C大航海時代のアラブ人航海士。オマーン出身。当時のアラブ人船乗りに知られていた紅海、ペルシア湾、インド洋、南シナ海における水路と、季節風の計算を含む航海知識を著作にまとめた。

【ピエール・ダイイ】
14C末-15C初フランスの神学者。1414-18年コンスタンツ公会議でシスマ解消に尽力。スコラ哲学では唯名論の代表者。占星術や宇宙誌にも通じ、「世界像」を著して地球球体説を掲載した。クリストファー・コロンブスがこれを所有しており、新大陸発見に影響した。

【スンジャータ・ケイタ】
13Cマリ王国の創始者で、伝説的英雄。マリンケ族を統一し、1235年にはスースー王国のスマングル・カンテ王の圧政を打倒した。ニジェール川最上流部のニアニに首都を定めた。伝統伝達者;グリオが彼の伝承を今に伝える。

【アーガー・モハンマド・シャー】
18C末イラン;カージャール朝の創始者。サファビー朝崩壊後の混乱期にあって、カージャール族はカスピ海南岸一帯に勢力を築いた。ザンド朝の後継争いに乗じてイランを制圧し、ザンド朝や衰退していたアフシャール朝を滅ぼし、テヘランを首都とした。

【ナーディル・シャー】
18C前イラン、アフシャール朝の初代シャー。「ペルシアのナポレオン」。衰退するサファビー朝に仕えたが、36年自らシャーとして即位。マシュハドを首都とした。東はオスマン帝国、西はムガル帝国に侵攻し広大な帝国を築いた。インドではデリーの大虐殺者として知られる。

【フマーユーン】
16Cムガル帝国の第2代君主(位1530-40、55-56)。父はバーブル、子はアクバル。40年シェール・シャー率いるアフガン系スール人の勢力に敗れ一時帝国は瓦解。55年サファヴィー朝の軍事的支援を受けてインドを奪回。壮麗な彼の廟はインド・イスラーム建築の代表。

【ムラト3世】
16Cオスマン帝国第12代皇帝(位1574-95)。スレイマン1世の孫でセリム2世の子。ハレムに入り浸り、ソコルル・メフメト・パシャやヴェネチア出身の妃サフィエ・スルタンが政治を補佐した。12年におよぶサファヴィー朝との戦争に勝利したが戦費と宮廷費で財政は悪化。

【セリム2世】
16C後オスマン帝国のスルタン(位1566-74)。スレイマン1世の子。トプカプ宮殿で放蕩と飲酒に耽り、ソコルル・メフメト・パシャらに国政を委ねた。彼の治世には1569年フランスにカピチュレーション授与、71年キプロス島陥落とレパントの海戦などが起こっている。

【ムラト1世】
14Cオスマン帝国第3代皇帝(位1360-89)。1363年ビザンツ帝国のアドリアノープル(エディルネ)を攻略し69年遷都。89年セルビアのラザル・フレベリャノヴィチ候率いる諸侯軍を破り(コソボの戦い)ドナウ川以南の支配権を確立。直後に殺害。イェニチェリの創設者。

【ガジャ・マダ】
14Cジャワ島、マジャパヒト王国の宰相(任1331-64)。「象将軍」。征服戦争を指揮してスマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国を滅ぼし、現在のインドネシアとマレーシアの全域に広がる海上帝国を築いた。インドネシアの国民的英雄として20Cの独立運動時も偶像化された。

【ハヤム・ウルク】
14Cジャワ島のマジャパヒト王国最盛期の王(位1350-89)。前代のトリプアナ女王に続いて名宰相ガジャ・マダの補佐を受けて国内を平定。領域は現在のインドネシアとマレーシアの全域に及んだとも。1377年スマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国を滅す。

【ラームカムヘーン】
13Cタイ、スコータイ王朝最盛期の王。建国者シー・インタラーティットの子。タイ史上3人いるマハーラート(大王)の最初の1人。王国の領域を拡大。留学僧を保護しセイロン島から上座部仏教を移入。タイ文字を創製し碑文を残す。元から陶工を招き、宋胡禄焼きの製造を開始。

【李滉】
16C朝鮮の朱子学者。李退渓。「東方の小朱子」。士林派の両班階級。李珥と並んで二大儒と称される。1560年陶山書院を開く。主理説を唱える彼の弟子は嶺南学派と呼ばれ、主気説を唱える李珥の機湖学派と対立した。林羅山、山崎闇斎ら日本の朱子学者にも影響を与えた。

【呉敬梓】
18C清朝の文人。豪快で義侠心が厚く施しを好み、数年にして家産を尽くした。貧窮生活の中でさまざまな身分、性格の人物を観察。白話小説「儒林外史」に活写した。オムニバス式に登場人物が入れ替わっていく斬新なスタイル。

【石濤】
17C後清朝初期の画家。明朝の末裔とも。明末三高僧の一人。仙境と言われる黄山の景勝を描いた黄山派の巨匠で山水画の他花鳥画も得意とした。画禅一如を追究し世俗を超越したきわめて独創的な画風を展開した。「黄山八勝画冊」「蘆山観瀑図」など。

【曹雪芹】
18C清朝乾隆帝時代の作家。八旗軍に属する旗人の家柄で、富豪であったが没落し困窮の中で育った。貴公子賈宝玉と十二人の美少女の交際を描く「紅楼夢」の作者とされる。優れた心情描写で三国志演義の「武」、水滸伝の「侠」に対して「情」の文学とされ、「源氏物語」とも比較される。

【洪昇】
17C-18C初、清朝の劇作家。孔尚任と並んで「南洪北孔」と称される。代表作は玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を題材にした「長生殿」。白居易「長恨歌」など数々の先行作品を集大成。導師が月宮に向かって仙橋を架け、玄宗と貴妃が再開するファンタジー。不運な生涯を送り、1704年水死。

【孔尚任】
17C-18C初、清朝の劇作家。孔子の子孫。洪昇と並んで「南洪北孔」と称される。博学で知られ国子監博士を務めた。代表作は明末清初の動乱と南京の盛衰をを背景に文人侯方域と名妓李香の恋愛を描く「桃花扇」。明朝遺臣を英雄的に描き、当局の警戒の対象となった。

【嘉慶帝】
18C末-19C初清の皇帝(位1796-1820)。乾隆帝の15男。長寿だった父帝に譲位されて即位。99年親政すると父帝が重用した奸臣和珅を誅殺した。 康熙・雍正・乾隆時代の安定による人口増加は困窮民を生み、反乱と海賊、アヘンに悩まされた治世は衰亡への転換期となった。

【ヘシェン】
18C清の官僚。和珅。乾隆帝、嘉慶帝の二帝に仕えたが、軍機大臣として官軍を私兵化して専横の限りを尽くし、収賄で巨万の富を築いた。乾隆太上皇帝が死去すると弾劾され、嘉慶帝に自害を命じられた。死後に没収された資産は清の財政収入の10倍を超えたという。

【ダライ・ラマ5世】
17Cチベットゲルク派の最高指導者(位1622-82)。オイラト系のグーシ・ハーンを味方につけ、カルマ派勢力を打倒し教主カルマパ6世を追放。チベットを統一した。ラサをチベットの首都と定め、1645年ポタラ宮の建設を開始。52年清を訪問して順治帝と面会した。

【朱舜水】
17C明末清初の儒学者。1644年の明滅亡後明朝再興運動に身を投じた。軍資金を得るため日本やヴェトナムへ渡り貿易を行い、59年南京攻略戦にも参加したが敗れて日本へ亡命した。柳河藩の儒学者;安東省菴の尽力で帰化。65年徳川光圀に招聘され水戸学へ思想的影響を与えた。

【隠元隆琦】
17Cに来日した禅宗の僧で黄檗宗の開祖。福建省出身。明末清初の動乱の中、鄭成功が仕立てた船で1654年長崎へ来港。58年将軍・徳川家綱と会見。後水尾上皇から賜った京都の宇治に黄檗山萬福寺を建て、密教や浄土信仰と禅を融合した混淆禅を日本に伝えた。インゲン豆の由来。

【鄭経】
17C台湾鄭氏政権の君主。鄭成功の長男。1662年に父が没した時は廈門の留守を預かっていたが、叔父の鄭襲を破って後継者となる。陳永華を重用。1674-76年三藩の乱を支援。遷界令による打撃もあって劣勢が続き日本に支援を求めたが実現せず。80年死去、83年鄭氏政権は崩壊。

【永暦帝】
17C明朝の亡命政権;南明最後の皇帝(位1646-61)。永明王。44年明滅亡後、唐王(隆武帝)、福王(弘光帝)とともに三藩をなし、遺臣を従えて南明政権を樹立した。鄭成功の協力を得て南方に勢力を張ったが、清軍の攻勢を受け敗走を続け、最後はビルマに逃れたが捕縛され刑死。

【湯顕祖】
16C後-17C初、明代の劇作家。「中国のシェイクスピア」。その戯曲は曲律に合わないため上演ではなく読むための戯曲(レーゼドラマ)として評価される。夢を効果的に用いた4作品「臨川四夢」で知られる。「牡丹亭」は夢で出会った男女の甘美なメロドラマ。

【文徴明】
15C末-16C明代中期の文人。文衡山。詩書画に巧みで三絶と称された。画人としては江南中心の呉派の代表で、明代四大家の一人。少年期に父の友人であった沈周に絵を学ぶ。代表作は「江南春図」など。堅物とも言われる高潔温順な努力家として知られる。88歳の長寿をまっとう。

【沈周】
15C-16C初明代中期の文人、画家。呉派の創始者。「明四大家」の一人で詩書画三絶の芸術家。山水画の他動物画も得意とした。蘇州の農村で文芸に耽り、その文房は有竹居と呼ばれ文人や好事家が千客万来した。弟子に唐寅、祝允明、文徴明。代表作は「滄州趣図」「廬山高図」など。

【呉承恩】
16C明朝末期の作家。博学で知られ多数の著作を残したが多くが散逸した。散逸した著作の一つに「西遊記」というタイトルがあり、清代考証学者の丁晏によって四大奇書の「西遊記」の作者とされ、魯迅が「中国小説史略」でその説をとったため一般に信じられた。現在では否定されている。

【高明】
14C元末明初の詩人、劇作家。元朝に仕えるが、元末の混乱で退き、寧波の有力者沈氏が保護した文学サークル「櫟社」に参加し創作に専念。代表作は後漢の蔡邕の妻が琵琶を弾きながら夫を探して放浪を続け、ついに夫と再会する「琵琶記」。豪奢を好む蔡邕の姿は士大夫への風刺と言われる。

【羅貫中】
14C元末明初の文人で、「三国志演義」の作者とされる人物。経歴はほとんど不詳。元代に成立した説話本「三国志平話」から荒唐無稽な部分を排し、陳寿の「三国志」などの歴史書に即して大河小説に再構成した。他に「平妖伝」など。「水滸伝」の共同作者とも。いずれも懐疑的な説あり。

【施耐庵】
明代以降一般に四大奇書の「水滸伝」の作者とされてる人物。「施耐庵墓志」という文献によれば4C元末明初の作家で、元末の反乱軍の首領・張士誠の参謀を務め、「三国志演義」の作者とされる羅貫中は彼の門人であったという。実在そものを疑う説も有力。

【ダヤン・ハーン】
15C後-16C初モンゴルの大ハーン(位1487-1524)。即位前はバト・モンケ。分裂していたモンゴルを統一、チンギス・ハーン家の権威を復活させた中期モンゴル再興の主。1488年以降たびたび明を脅かす。。1510年にはイブラヒム・タイシを破りオイラトを征服。

【ツォンカパ】
14C後-15C初、チベット仏教の学僧でゲルク派(黄帽派)の開祖。40歳の頃文殊菩薩の啓示を受けたという。既存のチベット仏教の堕落を批判してラサ近郊にガンデン寺を開いて厳格な戒律の道場とし、多くの信奉者を集めた。彼の弟子が初代のダライ・ラマとパンチェン・ラマ。

【鄧茂七】
15C明の農民反乱指導者。福建省の佃戸。当時福建の農村では都市に住む不在地主との倉庫に佃戸が5-6割の小作料を運んでいた。1448年、小作料の減免を求めて蜂起。銀山の工夫や流民も加わり、数十万の大反乱に膨れあがった。49年鎮圧。明末清初以降の抗租運動の先駆。

【韓林児】
14C元朝末期の農民反乱;紅巾の乱の指導者。韓山童の子。1351年父が反乱計画の失敗により処刑されると、門人の劉福通は逃れた韓林児を救出し、宋朝の末裔として皇帝に擁立した。58年一時的に開封に入る。63年劉福通が敗死。朱元璋を頼るが、66年に船が転覆し溺死。

【韓山童】
14C元朝末期の農民反乱;紅巾の乱の指導者。白蓮教団の布教活動を通じて江淮平原に勢力を伸ばし、元朝打倒を訴えた。1351年宋朝の末裔を名乗って、黄河の土木工事に徴用されていた人夫達を扇動して反乱を企てたが、事前に発覚し処刑された。反乱は劉福通と子の韓林児が引き継いだ。

【メアリー・ステュアート】
16Cステュアート朝のスコットランド女王(位1542-67)。英国王ジェームズ1世の母。生後すぐに即位。59-60年フランス王妃。不行跡を非難され67年退位。エリザベス1世廃位の陰謀に関係したとして87年処刑。波乱の生涯は多くの作品の題材となった。

【キャサリン・オブ・アラゴン】
16C初イングランド王ヘンリー8世の最初の王妃。父母はスペインのカトリック両王。娘はメアリー1世。1509年政略によりヘンリー8世と結婚するが男児が生まれず、33年アン・ブーリンとの結婚のために離婚を宣告される。これはイングランド国教会成立の一因。

【リチャード3世】
15Cヨーク家の英国王(位1452-85)。甥のエドワード5世を打倒して即位。85年ボズワースの戦いでランカスター派のヘンリー・テューダー(ヘンリー8世)に敗れ戦死。テューダー朝が創始され薔薇戦争は終結。ウィリアム・シェイクスピアの史劇で悪役の印象が定着。

【ヘンリー4世】
14C末-15C初ランカスター朝最初の英国王(位1399-1413)。ジョン・オブ・ゴーントの子。1399年従兄のリチャード2世を打倒しロンドン塔に幽閉。議会の承認を得て即位した。父が保護したジョン・ウィクリフを奉ずるロラード派を弾圧。百年戦争の休戦は維持した。

【シャルル勇胆公】
百年戦争末期、最後のブルゴーニュ公(位1467–77)。ルイ11世の王権強化に対抗し反国王貴族を糾合。イングランド王エドワード4世の妹マーガレット・オブ・ヨークと結婚したが男子はなく、死後ネーデルラントはハプスブルク家領に、ブルゴーニュはフランス王に帰属した。

【ルイ11世】
15Cフランスの王(位1461-83)。慎重王。ヴァロワ朝。シャルル7世の子。父の中央集権政策を受け継ぎ、養蚕や鉱業などの産業を育成。百年戦争で荒廃したフランスを復興した。シャルル勇胆公と戦い、ブルゴーニュの大半を王領とする。国内教会への支配も強めた。

【シャルル6世】
百年戦争中のフランス王(位1380-1422)。狂気王。12歳で即位。88年から親政。国内の安定に努めたが、92年寵臣暗殺や93年「燃える人の舞踏会」の事故を機に精神を病む。宮廷は忠臣のアルマニャック派と親英のブルゴーニュ派が対立、イングランドの介入を許した。

【シャルル5世】
14C百年戦争中のフランス王(位1364-80)。賢明王。56年父王ジャン2世が捕虜となると摂政。58年のジャックリーの乱とパリ市民の抵抗を鎮圧。名将ベルトラン・デュ・ゲクランを起用して百年戦争の劣勢を挽回。臨時徴税を頻発し官僚と常備軍を用いた絶対王政の先駆。

【シャルル4世】
14Cカペー朝最後のフランス王(位1322-28)。妹イザベラの夫であるイングランド王エドワード2世と争い、27年イングランドの反王派諸侯と結んで殺害した。28年死去したが男子がなく、軍功のあったヴァロワ伯シャルルの子フィリップ6世が王位を継いだ(ヴァロワ朝)。

【トマス・ア・ケンピス】
15Cドイツ出身の修道士、神秘思想家。聖アウグスチノ修道会所属。1418年霊的直観と神秘体験を通して神と合一する道を説く「キリストに倣いて」を著す。これは信仰的営み(ディヴォーション)のテキストとして聖書に次いでクリスチャンに最も読まれた書といわれる。

【ピーター・ワルドー】
12C-13C初フランスの宗教家。リヨンの商人から巡回説教者となりワルドー派を形成した。清貧を旨とし、聖書を重視。原始教会への回帰を目指した。1184年教皇により異端宣告される。彼の死後ワルドー派はカトリックに迫害されるが後にプロテスタントの先駆とされる。

【エロイーズ】
12Cフランスの修道女で、神学者ピエール・アベラールの妻。叔父のフュルベールを介して二人は知り合い結婚したが、アベラールとフュルベールは感情的に対立し、アベラールの男性器切除事件に発展した。修道士・修道女となった二人の文通が「愛の往復書簡」として知られる。

【トマス・ベケット】
12C英国の聖職者。カンタベリー大司教。教会自治をめぐりヘンリー2世と対立し1164年フランスに亡命。70年和解し帰国するが国王派の騎士により大聖堂で暗殺。彼の殉教によりカンタベリー大聖堂は欧州の主要な巡礼先となり、14Cには「カンタベリー物語」が生まれる。

【エドワード懺悔王】
11C中サクソン系のイングランド王(位1042-66)。デーン人の支配を逃れ、1013年から28年間を亡命先のノルマンディーで修道士としてすごしたため結婚後も童貞を守り、子はいなかった。ロンドンにウェストミンスター寺院を建設。のちに聖人として理想化された。

【神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世】
12C後、ホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝(位1191-97)。父はフリードリヒ1世、子はフリードリヒ2世。ザクセン公ハインリヒ獅子公やイングランド王リチャード1世と対立。1194年シチリア征服。国王選挙廃止・世襲制確率を企図したが失敗。

【ザクセン公ハインリヒ3世】
12C神聖ローマ帝国の領邦君主。獅子公。神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の従弟。対立していた従兄が帝位に着くと和解して武勲をあげる。リューベック、ミュンヘンを建設し、東方植民に尽力した。英国やビザンツ帝国とも手を結んだが、従兄に危ぶまれ追放された。

【神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世】
11C末-12C初、ザーリアー朝最後の神聖ローマ皇帝(位1099-1125)。ハインリヒ4世の次男。叙任権闘争の決着を図り1111年教皇を屈服させるが、逆に破門される。結局22年ヴォルムス協約で教皇の叙任権を認め、神権的な皇帝権は失われた。

【神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世】
11C、ザーリアー朝第2代の神聖ローマ皇帝(位1039-56)。黒王。ハインリヒ4世の父。1046年スートリ公会議で鼎立していた3人の教皇を廃して以降ドイツ人の教皇を次々に擁立し、皇帝権の最盛期をなした。賢明な教養人で学問を奨励した。

【神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世】
11C、ザクセン朝最後の神聖ローマ皇帝(位1002-24)。カトリックの聖人。1002年前帝オットー3世が21歳で急逝すると各地の実力者が帝位を狙ったが、バイエルン大公だった彼が帝位についた。教会の刷新に尽力し、結果的に帝国教会体制が強化された。

【オットー3世】
10C末-11C初の神聖ローマ皇帝(位983-1002)。3歳で王位を継承。母テオファヌや祖母アーデルハイトが摂政を執った。996年(14歳)から親政。古代ローマ帝国の復興と神権政治を企図。師のジェルベールを教皇に立てた(シルウェステル1世)。21歳で病没。

【ローマ教皇レオ9世】
11Cローマ教皇(位1049-54)。クリュニー修道院の影響を受け教会改革を行い、聖職売買と聖職者妻帯を厳に戒めた。教皇首位権を巡ってコンスタンディヌーポリ総主教ミハイル1世と対立。53年イタリア半島南部のノルマン人と自ら戦うが捕虜となり翌年獄死。

【ローマ教皇ヨハネス12世】
10Cローマ教皇(位955-64)。周辺諸侯と戦った際、東フランク王国のオットー1世に救援を要請。見返りとして962年オットーに対し「ローマ皇帝」の帝冠を与えた(神聖ローマ帝国成立)。まもなくオットーと対立し廃位された。教皇の権威は急落(鉄の時代)。

【イヴァン1世】
14Cのモスクワ大公(位:1325-40)。キプチャク・ ハン国による「タタールのくびき」の下、トヴェリ公国との争いに勝利してウラジーミル大公位を得、徴税利権を利用してロシアの諸侯国を支配下におさめた。正教会の支援も獲得し、主教座をモスクワに移した。

【ヴワディスワフ2世】
14C後-15C前リトアニア・ポーランドの王(位1377–1434)。中世後期東欧の大国ヤギェウォ朝の創始者。85年12歳のポーランド女王ヤドヴィガと結婚し、カトリックに改宗。異教討伐の大義を失ってなお侵入するドイツ騎士団を破り、欧州最大版図を実現した。

【ポーランド王ボレスワフ1世】
10C末-11C初ポーランド初代国王(位992-1025)。勇敢王。強力な騎兵隊を編成して広大な領土を征服し、ポーランドを公国から王国に昇格させた。ビザンツ帝国や後ウマイヤ朝から文化を吸収。グニェズノに大司教座を置く。デンマーク王クヌート1世は甥。

【ミェシュコ1世】
10C初代ポーランド公(位963-92)。ボレスワフ1世の父。クヌート大王の祖父。ポーランドを統一し13Cまで続くピャスト朝を創始した。異教討伐を掲げる神聖ローマ帝国の侵入を食い止めるため966年ギリシア正教からカトリックに改宗。国民のカトリック化を促した。

【アレクシオス1世コムネノス】
十字軍戦争時代のビザンツ皇帝(位1048-1118)。東からルーム・セルジューク朝、西からはノルマン人に包囲された危機的状況で即位した。ローマ教皇ウルバヌス2世に傭兵の提供を要請したが、これが1096年の第1回十字軍を招いたのは彼の想定外だった。

【バシレイオス1世】
9Cビザンツ帝国皇帝(位867-86)。アルメニアの農民の子から出世し、867年ミカエル3世を暗殺して帝位を奪い、11Cまで続くマケドニア朝を創始した。キプロス島や南イタリアをめぐってイスラーム勢力と抗争。フォティオス1世を罷免してローマ教会と和解を図った。

【レイフ・エリクソン】
10C末-11C初、グリーンランドのヴァイキング。赤毛のエイリークの子。「サガ」によると、グリーンランドから西へと航海し、1000年に豊かな「ヴィンランド」を発見し、入植した。入植地はその後放棄されたが、カナダのニューファンドランド島に定住地跡が残る。

【シャルル2世】
9C西フランク王国の初代国王(位843-77)。禿頭王。父ルートヴィヒ1世(敬虔王)の死後次兄ロタール1世と結んで長兄ルートヴィヒ2世と争い、843年ヴェルダン条約で王国を3分した。70年にはメルセン条約でイタリアを除く中フランク王国を分割、フランスを形成した。

【東フランク王ルートヴィヒ2世】
9Cカロリング朝東フランク王国の初代王(位843-76)。ドイツ人王。ルートヴィヒ1世の三男。弟シャルル2世と結んで兄ロタール1世に対抗(ストラスブールの誓約)。843年のヴェルダン条約で東フランク王国を形成、70年メルセン条約で領土を拡張した。

【ロタール1世】
9Cフランク王(840-43)、中フランク王(43-55)。カール大帝の孫、ルートヴィヒ1世の長男。弟である東フランク王ルートヴィヒ2世と西フランク王シャルル2世に敗れ、845年ヴェルダン条約で帝国を3分。死の直前3人の子に分割相続し中フランク王国はさらに分裂。

【フランク王ルートヴィヒ1世】
9Cカロリング朝フランク王国の王(位814-40年)。敬虔王。カール大帝の子。817年父から継いだ広大な帝国を部族の伝統に従い帝国を分割相続する取り決めを行う。彼の死後長男ロタール1世、三男ルートヴィヒ2世、四男シャルル2世により帝国は分割された。

【カンタベリーのアウグスティヌス】
5C末-6C初の司教で、カンタベリー大司教座の創設者。教皇グレゴリウス1世の命により約40人の修道士とともに596年にブリテン島へ布教のために上陸。597年、ケント王;エゼルベルトの改宗に続き約1万人のアングロ=サクソン族が改宗した。

【ホノリウス】
4C末-5C前、西ローマ帝国最初の皇帝(位395-423)。10歳の時に父テオドシウス1世の遺言により兄アルカディウスと帝国を東西に分割。402年西ゴート族が侵入するとラヴェンナへ遷都。410年のローマ略奪にも対処できず、多くの属州をゲルマン人に奪われた。

【サアディー】
13Cイランの詩人。ハーフェズとともにイラン2大詩人とされる。1226年から托鉢をしながら各地を遊学。56年からイルハン朝支配下のシーラーズで詩作を始める。代表作は「果樹園」「薔薇園」。人生訓に満ちた散文詩で、世界中で愛読され、西洋文学にも大きな影響を与えた。

【イッズッディーン・アイバク】
13C中エジプト、マムルーク朝の建国者(位1250-57)。テュルク系のマムルークで、アイユーブ朝の親衛隊長だったたが、アイユーブ朝の女性スルターン;シャジャル・アッ=ドゥッルと結婚し、スルタン位の禅譲を受け、カリフにも承認された。

【イドリースィー】
12Cアラブ人の地理学者。シチリア王ルッジェーロ2世にまねかれて、「タブラ・ロジェリアナ」(ルッジェーロの書)とよばれる世界地図とその解説書を作成した。ユーラシア大陸全体と北アフリカが地誌とともに記載され、15Cまでもっとも正確な地図であった。

【マフムード・カシュガリー】
11Cトルキスタン、カラハン朝王族出身の学者。セルジューク朝支配下のバグダードに移住し、1077年「トルコ語辞典」を編纂。トルコ人の言語、文化、歴史とトルキスタンの地理をアラビア語で解説。トルコ・イスラーム文化の先駆。ウイグルでは現在も文化的英雄。

【イブン・ハイサム】
11Cアラブ人の物理学者。西洋ではアルハーゼンとして知られていた。レンズや鏡を使った屈折や反射の実験などから光学の諸原理を発見し、「光学の父」とされる。実験と観察の結果を帰納し、数学的に法則化する近代科学の手法の発展に寄与した。

【ガズナ朝のマフムード】
10C末-11C初ガズナ朝最盛期の君主(位997-1030)。999年にサーマーン朝滅亡に乗じてホラーサーン地方を支配。北インドにも繰り返し侵入しヒンドゥー寺院を略奪・破壊した。イラン文化の保護者で、フェルドウスィーは「シャー・ナーメ」を彼に献じた。

【アフマド・イブン・ファドラーン】
10Cアラブ人の旅行家。アッバース朝カリフがヴォルガ・ブルガール王に派遣した使節団に加わり、見聞録を記した。当時南ロシア一帯に住んでいたスラブ系民族の実態を伝える貴重な資料。長く引用でのみ知られていたが、20Cイランの図書館で写本が発見された。

【アブド・アッラフマーン1世】
後ウマイヤ朝の創始者(位756-88)。ウマイヤ朝の王族だったが750年のアッバース革命を逃れ、ベルベル人の援助でウマイヤ朝旧臣を連れてイベリア半島に上陸、コルドバでアミールに即位した。778年にはカール大帝のフランク王国の侵入も退けた。

【ワリード2世】
8Cウマイヤ朝第6代カリフ(位705-15)。アブドゥルマリクの子。中央アジアからインド北部、イベリア半島、東ローマ帝国に進出して最大版図を形成した。内政面では学校や病院を多数建設。ダマスカスの聖ヨハネ聖堂をモスクに改造してウマイヤド・モスクとした。

【アブドゥルマリク】
7C末-8C初ウマイヤ朝の第5代カリフ(位685-705)。ウマイヤ朝中興の英主とされる。カリフを名乗ったイブン・アッズバイルを打倒し第二次内乱を終結させた。東西に領土を拡大し、ディーナール金貨・ディルハム銀貨を鋳造、エルサレムに「岩のドーム」を建設した。

【フサイン・イブン・アリー】
7Cシーア派第3代イマーム。第4代正統カリフ(初代イマーム)アリー・イブン・アビー・ターリブと預言者の娘ファーティマ・ザフラーの子で、第5代正統カリフ(第2代イマーム)ハサン・イブン・アリーの弟。680年カルバラーの戦いでウマイヤ朝軍に惨殺される。

【アッバース・イブン・アブドゥルムッタリブ】
7Cメッカ、アッバース家の豪商で、預言者ムハンマドの母アーミナの弟。ムハンマドが布教活動を始めると最初は反対したが、のちに協力した。彼の有する債権の利子を受け取る権利をムハンマドが放棄したのが、利子の禁止の始まり。

【馬致遠】
13C末-14C初、元の劇作家。元曲四大家の1人。号は東籬。代表作は王昭君を主題とした雑劇「漢宮秋」で、「元曲選」の巻頭を飾る。元帝が雁の声に王昭君への思慕の情を募らせるシーンで知られる。「任風子」「岳陽楼」「黄梁夢」には仙人奇跡が登場し、彼の超世思想を示す。

【王実甫】
元代中国の劇作家。元曲作家の代表者。詳細な経歴不明。元稹による唐代の短編伝奇恋愛小説「鶯鶯伝」を戯曲にした「西廂記」が北曲の傑作とされる。原作では悲恋に終わる主人公とヒロインが「西廂記」ではラストで結ばれる。儒教の封建的道徳に抗い自由を求める人々の姿を描いたとも。

【トゴン・テムル】
14C元朝最後の皇帝(位1333-70)。順帝。7歳で即位。天災と疫病が蔓延する中で軍閥のバヤンやトクトと対立。48年塩の専売を強化すると51年紅巾の乱が発生。68年朱元璋の北伐軍に追われてモンゴル高原に逃れた。風流人で南宋朝の血をひくとの伝承がある。

【陳興道】
13C大越陳朝の王族。英雄的軍人。叔父にあたる陳太宗に仕え、1257年モンゴル軍の侵攻撃退に活躍。82年元の侵攻に際し総司令官としてゲリラ戦を繰り広げて元軍に大勝。87-88年3度目の侵攻もチャンパとの共同戦線を張り、退却する元軍を退却する白藤江の戦いで撃滅した。

【蒲寿庚】
南宋末元初の貿易商、軍人。アラブ系イスラム教徒。泉州で貿易商として大船団を率い、それを転用した福建水軍の司令官となる。南宋首脳部は彼を頼り泉州遷都を検討するが結局元に寝返り、南宋の再興は絶望的となった。元朝でクビライの海上進出に協力。泉州の空前の繁栄を導いた。

【ラッバーン・バール・サウマ】
13Cウイグル人のネストリウス派僧侶。大都近郊で活動後弟子のラッバーン・マルコス(のちネストリウス派総主教)とエルサレム巡礼に出立。イルハン朝アルグンの外交使節として欧州に派遣され各国君主や教皇と面会したがマムルーク朝挟撃の軍事同盟の締結は失敗。

【モンケ】
モンゴル帝国の第4代皇帝(位1251-59)。チンギス・ハーンの末子トルイの長男でクビライの兄。1248年グユクが死ぬとバトゥの支持を受けてク即位。オゴデイ家やチャガタイ家の反対派を粛清。フレグを中東に派遣し58年アッバース朝を滅ぼす。自ら南宋遠征に出たが四川で病没。

【グユク】
13C第3代モンゴル帝国皇帝(位1246-48)。第2代皇帝オゴデイの長子。父帝の時代にバトゥの欧州遠征に参加。41年父帝が死去。46年母ドレゲネの尽力によりクリルタイで皇帝に選出。母の死後、色目人のアブドゥッラフマーン罷免など粛清を断行。48年征西の途上で死去。

【ジョチ】
13C前モンゴル帝国初期の王族。チンギス・カンの長男でバトゥの父。ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)の始祖。オイラト、キルギスの征服、金への遠征、中央アジア遠征で活躍し、カザフ草原に所領(ウルス)を築いたが、1225年病没。チンギス・カンの実子ではないとの説がある。

【文天祥】
13C南宋末期の軍人。モンゴル帝国軍との戦いに活躍するが賈似道とは対立。臨安陥落後もゲリラ的に抵抗を続けた。1278年に捕えられて大都へ連行。クビライはその才を惜しんだが宋朝への忠節を守ったため83年処刑された。後世忠臣の鑑として称えられ、日本の尊王思想にも好まれた。

【賈似道】
13C南宋末期の軍人。理宗の寵妃であった姉;賈貴妃の縁故で出世し、国境防備を指揮。1258-60年モンゴル帝国の総攻撃を撃退した。この功績で宰相となり、理宗・度宗・恭帝の3代16年間政権を握り、改革により南宋の再建を図るが、75年元軍に大敗し失脚。流罪地で暗殺された。

【陸游】
12C-13C初、南宋の官僚、詩人。陸放翁。南宋四大家の1人。強硬な対金強硬論者で、中央での任官と蜀地方での隠棲を繰り返した。詩風には、愛国的な詩と田園生活を詠じた詩の二つの側面がある。「入蜀記」は紀行文の圧巻とされる。現存する詩は約9200首を数える。朱熹とも親交。

【王重陽】
12C金の道士。道教を革新した全真教の開祖。前半生は放蕩無頼の生活を送っていたが、1159年48歳のときに「甘河の偶仙」と呼ばれる隠者に口伝を受け、道士となった。儒教、仏教、道教の「三教一致」を標榜。「七真人」と呼ばれる高弟らの布教により同世紀中に金朝が全真教を公認。

【呉乞買(う・きつばい)】
12C前、金の皇帝(位1123-35)。太宗。太祖阿骨打の弟。領土を満州から華北、モンゴル高原にまで拡大した。1125年遼を滅ぼす。同盟国の宋が金を牽制する動きを見せると激怒し、27年開封を攻めて徽宗、欽宗を含む宋の支配層を金に拉致した(靖康の変)。

【方臘】
12C前北宋末期の反乱指導者。漆園の経営者でマニ教系の秘密結社「喫菜事魔」の指導者であったが、花石綱事件をはじめとする徽宗の政治に対する不満を背景に1120年江南地方で反乱を起こした。北宋は遼攻撃を延期して禁軍を派遣し鎮圧した。「水滸伝」の登場人物としてもしられる。

【蔡京】
12C初北宋末期の宰相(任1103-26の間断続的)。徽宗の信任を得て権力を掌握。反対勢力を弾圧し、民衆に重税を課した。16年頃から実権を失い、25年靖康の変で失脚。書道の達人でもあった文化的才人で、風流天子;徽宗と馬が合った。のち「水滸伝」の描写で悪人の評価が確立。

【宋の哲宗】
11C北宋の第7代皇帝(1085-1100)。神宗の子。徽宗の兄。9歳で即位すると1093年までは英宗の皇后だった宣仁太后高氏の垂簾政治が行われた。このとき20年余り実施された新法が全廃され大混乱が起こった。親政後は章惇が新法を復活するが混乱は止まず。24歳で崩御。

【宋の英宗】
11C北宋の第5代皇帝(位1063-67)。先代の仁宗に嗣子がなかったため養子となり帝位を継承したが在位4年で病没した。実父である趙允讓に対する祭祀上の扱いをめぐって韓琦ら執政系官僚と司馬光ら言職系官僚が論争し、新法・旧法の争いに先駆けて深刻な党争となった(濮議)。

【范仲淹】
11C北宋の政治家、文人。1038年西夏建国後、44年の慶暦の和約まで国境を防備した。43年から副宰相として仁宗として「慶暦の治」に貢献した。「岳陽樓記」の中に「先憂後楽」の言葉を残し、後世に士大夫の理想像として仰がれた。宗族互助のための義荘を初めて設立(范氏義荘)。

【畢昇】
11C北宋の発明家。沈括の「夢渓筆談」によると、膠泥活字を用いた活版印刷術を発明した。土を膠で固めた上に字を刻んで焼き固めた活字を鉄板上に配列した組版を用いた。木版印刷がすでに普及していたため膠泥活字は普及しなかったが、活版印刷としては先駆的。

【宋の仁宗】
北宋の第4代皇帝(位1022-63)。真宗の子。12歳で即位し1033年から親政。宰相に呂夷簡を起用した治世で社会は安定し(「慶暦の治」)、優れた文人が多数登場した。西夏や遼に対する歳幣や常備軍の強化により財政の悪化が表面化した。63年嗣子が無いまま病死。

【寇準】
11C初北宋の宰相(1004-06、17-20)。皇帝に対しても直言する諫臣として知られる。1004年遼が聖宗の親征により軍を南下させると、王欽若らの南遷論を退け、真宗を鼓舞し親征を主張。 遼軍を澶州で食い止め、澶淵の盟が結ばれた。これは北宋の安定的発展の基礎となった。

【宋の真宗】
北宋の第3代皇帝(位997-1022)。太宗の子。太宗の方針を受け継ぎ、文治主義を推進。1004年遼の聖宗の進軍に対して親征、澶州で遼軍を食い止め、澶淵の盟を結んだ。軍事的緊張緩和により北宋の経済発展の基礎を築いた。道教を尊崇し、08年宋代唯一の封禅を行った。

【柴栄】
五代後周の第2代皇帝(位954-59)。世宗。後周の建国者郭威(太祖)に外戚として仕え、嗣子がなかった郭威の後継者となる。54年北漢・契丹連合軍の侵入を撃退。殿前軍を編成し節度使の弱体化と皇帝権の強化を進めた。十国の後蜀、南唐にも勝利。「三武一宗の廃仏」を行った一人。

【陸羽】
8C-9C初唐代の文筆家。孤児として苦学を重ね顔真卿に詩集編纂への協力を求められるようになった。当時の茶に関する知識を網羅した「茶経」で知られる。これは飲茶の普及を助長し、茶商人からは「茶伸」と崇められた。岡倉天心は彼を茶道の元祖とする。

【唐の哀帝】
10C初唐朝最後の皇帝(位:904-07)。即位時には最大藩鎮の朱全忠がすでに権力を握っており、904年に父帝の昭宗が殺され、12歳で即位した。907年に既定路線通りに朱全忠に禅譲し、唐朝は滅亡した。翌年、後梁の太祖となった朱全忠によって毒殺。享年17。

【唐の武宗】
9C唐の第18代皇帝(位840-46)。李徳裕を宰相に起用し宦官や藩鎮の抑制に努めた。道教を尊ぶ一方で三武一宗の廃仏の中でも最大とされる会昌の廃仏を行った。肥大化した教団から荘園を没収し、貨幣用の銅が仏像に使われることを防いだとの説も。唐代三夷教も弾圧され消滅した。

【唐の徳宗】
8C末-9C初、唐の皇帝(779-805)。父代宗が即位すると大元帥に任じられ、安史の乱の終息に務めた。即位後は唐の財政再建に尽力し、宰相楊炎の進言により建国以来の均田制・租庸調制を廃し、資産に応じて課税する両税法を施行した。節度史の抑制を試みたが失敗。

【楊国忠】
8C唐の官僚。楊貴妃の親族で、楊貴妃の姉・虢国夫人の愛人であった。玄宗に評価され751年宰相となる。財政に明るい一方南詔遠征の失敗を隠すなど専横が目立った。節度使の安禄山と対立。755年安禄山が楊国忠排除を掲げて安史の乱を起こす。皇帝につき従い逃亡中に兵士に殺された。

【唐の睿宗】
7C末-8C初、唐の第5代、第8代皇帝(位684-90、710-12)。父は高宗、母は則天武后、子は玄宗。20歳で即位したが母;武則天の傀儡であった。則天武后の死後実権を握った韋后一派を子の隆基(のちの玄宗)の活躍で排除して復位。在位3年で玄宗に譲位した。

【王玄策】
7C唐からインドに派遣された使節。643年太宗からヴァルダナ朝のハルシャ・ヴァルダナへの使節団に加わる。47年正使として渡航するが、ハルシャ王が死去。チベット(吐蕃)とネパールの援助でヴァルダナ朝の反乱を鎮圧した。田中芳樹の小説「天竺熱風録」にこの冒険が描かれる。

【文成公主】♀
7C唐の皇女。「チベット仏教の母」。640年技術者集団をともなって吐蕃のグンソングンツェン王に降嫁。42年夫が急死。服喪後復位した父王ソンツェン・ガンポと再婚。中国の文物をチベットに伝えたがとりわけ仏教を崇拝しラサにラモチェ寺を建立。チベット仏教成立に寄与した。

【智顗】
6C隋の僧。天台宗の実質的な開祖。560年大蘇山で慧思に学ぶ。75年から浙江省の天台山に登って天台教学を確立。91年隋の晋王(後の煬帝)に菩薩戒を授ける。経、律、論の三蔵のうち、論よりも仏の教えをつたえる経を重視した。天台三大部、天台五小部を講義、章安灌頂が筆記した。

【武烈王】
7C新羅の王(位654-61)。金春秋。太宗。文武王の父。即位前には高句麗、唐、日本に使節として渡った。金庾信と協力し、真徳女王死去後に即位。麗済同盟に対抗して唐の高宗と同盟。660年唐と連合して百済を滅ぼした。王権を強化し、貴族合議制から世襲王政に転換した。

【金庾信】
7C新羅の朝鮮半島統一に貢献した武将。647年義兄の金春秋と共に真徳女王を立てこれを補佐。54年金春秋が武烈王として即位し宰相。60年に麗済同盟に対抗して唐と同盟。唐の強大な軍事力を利用して60年に百済、68年に高句麗を滅ぼし、63年の白村江の戦いでは倭国も撃退した。

【長寿王】
5C高句麗の最盛期の王(位413-91)。好太王の子。414年首都の国内城に父の事績を記した好太王碑を建造。27年平壌に遷都。新羅、百済、百済を支援する日本軍と戦い、漢城を占領するなど最大版図を成した。中国の南北朝(北魏・宋)の両方に朝貢を重ねて良好な関係を構築した。

【曇曜】
5C北魏太武帝の廃仏から復興した仏教教団の中心人物となった僧。文成帝、献文帝、孝文帝の3代の皇帝に仕えた。雲崗に石窟寺院を造営し、「皇帝即如来」の考えを反映した大仏を彫らせた(曇曜五窟)。征服民、貧民、奴婢を集めて僧祇戸・仏図戸を創設し復仏事業の財政基盤を確立した。

【王献之】
4C東晋の書家。「書聖」王羲之の七男(末子)。その書は特に南朝の士大夫に支持され、書格においてはおよばずとも優美さで父をしのぐといわれ、父とともに「二王」と称された。官僚としても宰相格まで出世し、東晋皇室の公主を娶った。娘の王神愛は安帝の皇后。

【劉裕】
5C南朝の宋の初代皇帝(位420-22)。儒教秩序の凋落と下克上の風潮を象徴する人物。東晋の軍人、宰相として東晋最後の北伐(10-17)などに活躍。13年華北からの避難民を戸籍登録する「義熙の土断」を行う。東晋の皇族を殺戮して20年皇帝に即位し宋を建国した。

【郁久閭社崙】
4C末-5C初、柔然の初代可汗。北魏に追われてモンゴルに逃れた柔然部族を再興。高車を攻略、匈奴の残存勢力も滅ぼし、東トルキスタンからバイカル湖にまでいたる大帝国を築く。402年と409年には長城を越えて北魏に侵攻した。410年明元帝の討伐軍に敗れて敗走中に没。

【道武帝】
4C末-5C初、北魏の創始者(任398-409)。拓跋珪。鮮卑族拓跋部の代の王子で、386年に代を復興し国号を魏に改称(北魏)。柔然や高車など討ち華北を支配。398年平城を都として皇帝に即位。漢民族の文化を取り入れ、仏教を保護した。晩年は精神を病んで子に殺害された。

【苻堅】
4C五胡十六国時代、氐族の国:前秦の第3代皇帝(位357-85)。世祖。王猛を重用して農耕と儒教を重視し、漢人の支持を得て華北統一に成功。中国統一を目指して378年以降大軍を南下させ東晋に挑んだが83年淝水の戦いで大敗。統治は一気に崩壊し85年羌族の後秦に打倒された。

【曹叡】
3C中国三国時代魏の第2代皇帝(位226-39)。明帝。曹操の孫で、曹丕(文帝)の子。司馬懿、曹真、陳羣らの補佐を受け、蜀・呉との天下三分を維持した。238年司馬懿に命じて遼東の公孫淵を討伐。東方の諸民族との関係を強化し、39年邪馬台国の卑弥呼を「親魏倭王」に任じた。

【関羽】
3C中国三国時代、蜀の武将。後漢末の戦乱で劉備に従い、張飛とともに蜀の樹立に貢献した。219年呉の将軍呂蒙に追い詰められ戦死。明代、羅貫中「三国志演義」の中心人物として大衆的人気を博し、孔子を祭る文廟と並び関羽を祀る武廟が各地に建てられ、武神、商神として崇められた。

【馬融】
2C、後漢中期の儒学者。春秋三伝の異同を研究するなど多くの経書の注釈を行ったが、多くが散逸した。儒家の規範にとらわれない破天荒な言動で知られ、女人を侍らせ歌舞を楽しみながら講義をしたという。弟子に盧植、鄭玄がいる。清流派からは「濁流」と非難された。

【司馬相如】
前2C、前漢の詩人。成都出身。漢賦の巨匠。孝王や武帝に評価され保護を受けた宮廷文人。孝王の狩猟を描いた「子虚の賦」を武帝が気に入り、新たに皇帝の狩猟を描いた「上林の賦」を作成した(合わせて「天子游獵賦」)。富豪の娘卓文君との駆け落ちでも知られる。西南夷工作の発案者。

【漢の安帝】
2C前、後漢の皇帝(位:106-25)。即位後も長期間、和帝の皇后だった鄧皇太后が朝政を行った。この際皇太后と官僚の連絡を担った宦官の勢力が拡大した。21年からは安帝が親政したが、宦官と外戚の対立はやまなかった。この間異民族の侵入と災害が続き、後漢の衰退は進行した。

【漢の哀帝】
前1C末前漢の第12代皇帝(位:前7-前1)。即位すると、当時権勢を誇った外戚の王莽を退け、皇帝独裁を復活させようとした。男色を好み、美少年の董賢を寵愛した。嗣子はなく、崩御に際して董賢に皇帝の璽綬を託したが、璽綬は王莽に奪われた。その後王莽が新を建て、前漢は滅亡。

【王昭君】
前1C匈奴の呼韓邪単于と子の復株累若鞮(ブクシュルイニャクタイ)単于の妃。外交政策として前漢;元帝の後宮から匈奴へ贈られた。父の妻妾(子の母ではない)を子が娶るのは匈奴の風習。後に「似顔絵」の伝承が加わり悲話として「昭君辞」「漢宮秋」など数々の創作の題材となった。

【呼韓邪単于】
前1C前漢時代の匈奴の単于。分裂していた匈奴を統一し、前漢滅亡まで続く和平を実現した。前54年兄の郅支単于と匈奴を東西に2分。前53年兄との戦いに際して漢に救援を求める。前51年漢の宣帝と面会。続く元帝とも盟を結び、後宮の女性王昭君を閼氏として賜わった。

【呉広】
前3C初秦朝末の大農民反乱;陳勝・呉広の乱の指導者。前209年辺境守備に駆り出されたが遅参による死罪が確実になったため陳勝とともに反乱を起こした(大沢郷起義)。楚の武将項燕を名を騙る。圧制に耐えていた各地の人民は一斉に放棄し大反乱になったが人望がなく、部下に暗殺された。

【蒙恬】
前3C秦の将軍。始皇帝に重用され、始皇帝の長男扶蘇の指揮下にあった。前215年30万の軍を率いての匈奴征伐を指揮し勝利。長城、直道の築造も担当した。前210年始皇帝の死後、胡亥(二世皇帝)を擁立した丞相の李斯と宦官の趙高の策謀によって扶蘇とともに自殺に追い込まれた。

【呂不韋】
前3C中国戦国時代秦の官僚。始皇帝の父・荘襄王が公子の頃から支援し、前250年秦王とすることに成功し宰相となる。始皇帝の母・趙姫は元々彼の愛人であり、始皇帝の実父とする説がある。後に政王(始皇帝)に危ぶまれ粛清。彼が荘襄王に出会った故事から好機を「奇貨」と言う。

【恵施】
前4C中国戦国時代、諸子百家のうち論理学をなした名家の代表的思想家。魏で宰相を務めた。著作はすべて散逸。尺度によってすべての差異は無意味になるので、万物は全てが等価だとする「大同異」を唱えた。墨家の博愛主義と通ずるとも。荘子との討論が「荘子」に登場する。

【周公旦】
前11C周王朝最初期の王族。初代文王の子で第2代武王の弟。武王の子第3代成王が幼少の時期に7年間摂政として政務をとった。殷の神権政治から形式と道徳を重んじる「礼教政治」に転換した人物とされる。儀式・儀礼書「周礼」「儀礼」の著者とされ、孔子によって聖人と崇められた。

【アサンガ】
中国では無著と呼ばれる4Cインドの仏教思想家。「摂大乗論」(「マハーヤーナ・サングラハ」)を執筆してそれまでの大乗仏教の教理を集大成した。その根本は、個人にとっての世界は視覚、聴覚などの「識」によってなりたっているにすぎず、実態はない(「空」)という唯識思想である。

【アンブロジウス】
4Cローマ帝国の司教。西方四大教会博士の一人。374年に民衆の要求でミラノ司教になるまでは、キリスト教徒ではなかった。アリウス派を駆逐して正統信仰の擁護に尽力。テオドシウス帝によるキリスト教の国教化に大きな影響を与えた。アウグスティヌスの回心にも影響を与えた。

【セプティミウス・セウェルス】
2C末-3C初ローマ帝国皇帝(位193-211)。最初の軍人皇帝でセウェルス朝の創始者。カルタゴ出身。193年ディディウス・ユリアヌス帝を失脚させて即位。二人の対立皇帝を撃破。194-98年第七次パルティア戦争で大勝。軍を厚遇して元老院と対立した。

【小アグリッピナ】
1C古代ローマ;第5代ネロ帝の母。兄は第3代カリグラ帝。ネロを産んだあと、異母弟である第4代クラウディス帝の妃となる。54年、クラウディス帝を毒殺してネロを擁立するが、59年にネロの命で暗殺された。ネロとの近親姦の伝承から、後世に母子相姦の代名詞となる。

【ピラト】
1Cローマ帝国のユダヤ属州総督(任26-36)。30年ごろ、サンヘドリン(ユダヤ最高法院)が死刑を決定したナザレのイエスを審問した末、釈放を試みるが、群集の求めに屈して十字架刑を命じた。コプト正教会の伝承では罪を悔いキリスト教に改宗したとして聖人とされる。

【イスカリオテのユダ】
使徒の一人。「新約聖書」によると教団の会計係で、祭司長たちに自ら持ちかけ、キスでイエスを示して引き渡した。銀貨三十枚を得たが、悔いて首を吊って自殺したという。ところが外典「ユダの福音書」によるとイエスが最も信頼する彼に「裏切り」を指示したという。

【使徒ヨハネ】
使徒の一人。兄は使徒ヤコブ。兄とガリラヤ湖で漁師をしていたが、イエスと出会い最初の弟子の一人となった。ペトロとともに初代教会を指導。聖母マリアを連れエフェソスに移住。キリスト教では「新約聖書」中の「ヨハネの黙示録」「ヨハネによる福音書」などの記者とされる。

【イエスの母マリア】
イエス・キリストの母。前4頃ナザレでヨセフとの結婚前にイエスを身籠り出産した。イエス磔刑の後晩年は使徒ヨハネとエフェソスで余生を送ったとされる。キリスト教ではイエスを処女懐胎した聖母とされる。カトリックでは原罪のない人とされるが、マリア崇拝は禁じられている。

【洗礼者ヨハネ】
「新約聖書」に登場する預言者。ヨルダン川河畔の荒野で救世主の到来を主張し、イエスの教義を先駆けるような教えを説いていた。ヨルダン川でイエスらに洗礼(バプテスマ)を授けた。ヘロデ・アンティパスの結婚を非難したため処刑された。彼をエッセネ派の修道者とする説もある。

【ヘロデ・アンティパス】
ローマ支配下のガリラヤとペレアの領主(位:前4-39)。ヘロデ大王の子で他の兄弟と父王の領地を四分割した。ヘロディアとの結婚を洗礼者ヨハネに非難した処刑したが、「新約聖書」ではこれを義娘サロメの要求によるとする。39年カリグラ帝によりガリアに追放。

【ヘロデ大王】
ローマ支配下のユダヤ王(位:前37-前4)。ローマの後ろ盾でハスモン朝を破って王位に就くと、エルサレムのヘロデ神殿、カイサリア・マリティマ、マサダ要塞、ヘロディウム要塞などの大建築を行った。「新約聖書」ではイエス生誕時にベツレヘムの幼児虐殺を命じた人物とされる。

【ルクレティウス】
前1C共和政ローマ期の詩人、エピクロス派の哲学者。詩「事物の本性について」を著した。自然や死に対する恐怖が神を生んだとして唯物論的自然哲学と無神論を説いた。15Cポッジョ・ブラッチョリーニがドイツの修道院で同書の写本を発見。ルネサンス思想に大きな影響を与えた。

【アリストニコス】
前2Cペルガモン王国の王族で、反ローマ闘争の指導者。前133年異母兄アッタロス3世が死に際して王国を共和制ローマに遺贈したが、彼はこれに異を唱えて王を名乗った。奴隷や隷農の解放を宣言し、理想国家「ヘリオポリス」(太陽の国)を標榜したが、前129年に鎮圧された。

【マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス】
前3C末-前2C前ローマの政治家。政敵スキピオ・アフリカヌスを弾劾。対カルタゴ強硬派で、演説の最後を必ず「カルタゴ滅ぶべし」で結んだが、第3次ポエニ戦争の直前に没。ギリシア語文化への傾倒を嫌い、ラテン語で「農業論」「起源論」を著した。

【ヒッパルコス】
前2Cヘレニズム時代の天文学者。ニケーア出身で、ロードス島で観測を行った。クラウディオス・プトレマイオスに影響を与え、「トレミーの48星座」は彼の星表を基にしている。歳差による春分点移動を発見。地理学にも業績があり、緯度と経度による座標を初めて用いた。

【ヘロフィロス】
前4C-前3Cヘレニズム時代の医学者。カルケドン出身。アレクサンドリアのムセイオンで人体に対する解剖学的研究を行ない、脳神経、眼球、臓器についての先駆的な解明を行った。多数の囚人を人体実験に用いたとも。著作は散逸したが、ローマ時代の医学書に頻繁に引用されている。

【アルサケス1世】
前3Cアルサケス朝パルティアの創始者。イラン系遊牧民の族長であったが、バクトリアに続いてセレウコス朝に反乱をおこし、サトラップのアンドラゴラスを打倒した。セレウコス2世の遠征を退けて自立。独自の通貨を発行し、要塞を築いて450年以上存続する国家の基盤を成した。

【ネアルコス】
前4C、アレクサンドロス大王の武将。クレタ島出身。東征の帰途、インダス川からユーフラテス川まで航海を指揮し、各地の地誌を詳細に記録した。アラビア遠征の艦隊総指揮官に予定されていたが、前323年大王の死により中止。ディアドコイ戦争ではアンティゴノスの部将となった。

【デモステネス】
前4Cアテナイの政治家。優れた弁論術を生かし、ピリッポス2世のマケドニア王国に対する諸ポリスの自立を訴えて遊説を重ね反マケドニア運動を展開した。その後も前336年ピリッポス2世暗殺時、前323年アレクサンドロス3世急死時と機を見てはマケドニアからの自立を訴えた。

【ディオゲネス】
前4C古代ギリシアの哲学者。黒海南岸のシノペ出身。大樽を住処とし犬のような生活を送った犬儒派(キュニコス派)思想を体現者とされる。欲望から解放されるために、知識や教養よりも肉体的・精神的な鍛錬を重んじた。ポリス間抗争の時代にあってコスモポリタニズムを主張した。

【スコパス】
前4Cポリス衰退期に活躍した古代ギリシアの彫刻家、建築家。パロス島出身。激しく感情を表現する人物彫刻を得意とし、後世に多大な影響を与えた。ハリカルナッソスのマウソロス霊廟のレリーフ、テゲアーのアテーナー・アレア神殿など。「ポトス像」はローマ人による複製が残る。

【ポリュクレイトス】
前5C-前4C古代ギリシアのブロンズ像彫刻家。アルゴス出身。現存作品はないが、ローマ時代の大理石複製が残る。人体各部の最も美しい比例を数的に算出し「カノン」を著わした。代表作は「ドリュポーロス」(槍を持つ男)、「ディアドゥメノス 」(勝利の紐を頭に結ぶ男)。

【アスパシア】
前5Cアテネで活躍したミレトス出身の女性で、ペリクレスの恋人。美貌と教養でアテナイ市民のアイドルとなり、彼女の家はソクラテスなどの知識人が集まる一種のサロンをなした。保守派は彼女を非難し、民会に告発したが、ペリクレスはあくまで彼女を弁護した。

【クセノポン】
前5C-前4Cアテナイ出身の哲学者、歴史家。ソクラテスの弟子。アケメネス朝の小キュロスの反乱(前401)に傭兵として参加。前399年に脱出するまでの冒険を「アナバシス」に著わした。「ソクラテスの思い出」「ギリシア史」「キュロスの教育」など歴史書、伝記も多数残す。

【クサンティッペ】
前5C頃アテナイ、哲学者ソクラテスの妻。クセノフォン「ソクラテスの思い出」やプラトン「パイドン」に断片的に記述があるのみで詳細な実態は不明だが、後世に口うるさい悪妻の代名詞となった。

【レオニダス1世】
前5Cペルシア戦争期のスパルタ王(位:前489-80)。前480年わずかな兵を率いてクセルクセス1世率いるアケメネス朝の大軍を隘路で迎撃し、奮戦するが敗北して戦死した(テルモピュライの戦い)。2007年の映画「300 〈スリーハンドレッド〉」に描かれる。

【クセルクセス1世】
前5Cアケメネス朝の王(位:前486-65)。ダレイオス1世の子。前480年、海・陸の大軍をもって自らギリシア遠征。テルモピュライの戦いでスパルタ王レオニダス1世を敗死させアテネを占領するが、サラミスの海戦で敗れ帰国。ペルセポリスに万国の門を建設。

【ミレトスのヘカタイオス】
前6C-前5C古代ギリシア、ミレトスの歴史家。ペルシア戦争前後には外交面で活躍。イオニアの反乱に反対。ヨーロッパ、アジア、アフリカが描かれた円盤状の世界地図が付された「世界概観」で知られる。「系譜」では神話と事実の混同を批判しヘロドトスに影響を与えた。

【エンペドクレス】
前5Cのギリシア哲学者。シチリア島のアクラガス出身。万物の根源(アルケー)は火、水、土、空気の四つの元素(リゾーマタ)であり、宇宙はその集合離散であるとした。この考えはアリストテレスを経てイスラム世界、中世ヨーロッパにまで受け継がれた。魂の転生説を支持。

【アナクサゴラス】
前5Cイオニア自然哲学の末期の哲学者であり、移住によりアテネに哲学を持ち込んだ。物体は無数の微小な「スペルマタ」から構成され、「ヌース」によって世界は秩序づけられるとして、原子論の先駆けをなした。天体は神ではなく巨大な石だと主張し、涜神の罪に問われた。

【エレアのゼノン】
前5C古代ギリシアの自然哲学者。南イタリアのエレア出身でエレア派の始祖パルメニデスの弟子であり、愛人。感覚よりも理性を重視し、「弁証法」を創始。「アキレウスと亀」などのパラドックスを用いて「雑多」や「運動」を否定し、師の「不生不滅」の考えを擁護した。

【アナクシマンドロス】
前6Cミレトスの哲学者。タレスの弟子で、西洋哲学史上タレスに次ぐ二番目の哲学者とされる。万物の根源(アルケー)は、「無限なるもの」(ト・アペイロン)であるとした。人間は魚から変化したという一種の進化論や、平行世界(パラレルワールド)の存在を提唱したとも。

【アイソーポス】
一般には「イソップ」として知られる前6Cの寓話作家。サモス島の奴隷だったが解放された。現在伝わっている「イソップ寓話」すべてがアイソーポスの創作ではない。「アリとキリギリス」「田舎のネズミと町のネズミ」「ウサギとカメ」「オオカミ少年」「北風と太陽」など。

【エゼキエル】
前6C、バビロン捕囚時代のユダヤ人の預言者。「旧約聖書」の3大予言者の一人。前597年新バビロニア帝国の都バビロンに強制連行された後、市内の難民コミュニティの指導者として預言活動を開始。前587年のユダ王国の滅亡を預言。その後は一転してイスラエルの復活を預言した。

【エレミヤ】
前7C末-前6C前、ユダ王国の預言者。「心の預言者」。「旧約聖書」の3大予言者の一人。王国の滅亡は神の意志であるとし、侵略者ネブカドネザル2世を「神の僕」と呼んだ。最期はエジプトで殉教。キリスト教徒は彼が予言した神との「新約」がイエスによる福音であると解釈する。

【センナケリブ】
前8C末-前7C初アッシリアの王(位:前705-681)。サルゴン2世の子。ニネヴェに遷都。前701年ヒゼキヤ王時代のユダ王国を攻めたがイザヤの預言通りに撤退。メロダク・バルアダン2世やムシェズィプ・マルドゥクらバビロニア王と戦い、前689年バビロンを破壊した。

【サルゴン2世】
前8C末、新アッシリア王国の王(位:前722-05)。即位当初の支持基盤は脆弱であったが、オリエント各地に遠征し領土を拡大した。前721年イスラエル王国を滅ぼし、上層民を各地に強制移住させた(失われた十部族)。新都ドゥル・シャルキン(コルサバード遺跡)を建設。

【イザヤ】
前8Cユダ王国の預言者。「旧約聖書」の3大預言者の一人。前740年頃から預言者として活動し、アッシリアの圧迫は国民の不信心の結果だと説き、ヤーウェ以外の神の信仰を批判した。前701年にアッシリア王センナケリブがユダ王国を攻めた際にはエルサレムの不落を予言した。

【ツタンカーメン】
前14C古代エジプト第18王朝のファラオ。即位後父王アメンホテプ4世が廃止したアメン信仰を復活させ、首都をアマルナからメンフィス、テーベに戻した。若くして死に、王位は大臣のアイが継いだ。1922年考古学者ハワード・カーターが王のミイラと副葬品が残る王墓を発見。

【トトメス3世】
前15C古代エジプト第18王朝のファラオ。最大版図を築いた「エジプトのナポレオン」。継母ハトシェプスト女王の治世下で長期間軍隊で過ごす。即位後、女王時代の平和外交から転換し周辺諸国への遠征を繰り返した。前1479年メギドの戦いでシリア・パレスチナに覇権を確立。

【メンカウラー】
エジプト第4王朝のファラオ(位:前2532-04)。父はカフラー。ギザの第3ピラミッドを建造した。他の2つのピラミッドと比較してはるかに小さく、財政の逼迫がうかがえる。1837年玄室から遺体の一部が発見されたが、大英博物館への輸送中に船が沈没し行方不明となった。

【カフラー】
エジプト古王国第4王朝のファラオ(前2520-前2494年)。クフ王の子。ギーザ三大ピラミッドの一つと大スフィンクスを建設。ピラミッドにはアスワン産の赤色花崗岩が使われており、ナイル川の上流域まで支配が及んでいたことが伺える。王の彫像は古王国時代の彫刻の傑作。

【メネス】
おおむね紀元前3000年頃の古代エジプトのファラオ。伝承によると上下エジプトを統一し、第1王朝を興した。首都としてメンフィスを建設したとも。1898年に発見された「ナルメルのパレット」に記載されたナルメル王またはその子ホル・アハと同一人物であるとする説がある。
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